(写真)須川トンネル。
2024年(令和6年)4月6日(土)、京都府京丹後市弥栄町野間地域で「ウィキペディアタウン in 野間」に参加しました。
1. イベント概要
1.1 弥栄町野間地域の概要
弥栄町野間地域は丹後半島の中央部にある地域。弥栄町の中心部までやや距離があり、丹後町宇川地域とともに過疎化の進行が著しい地域です。
(写真)丹後半島における野間地域の位置。©OpenStreetMap contributor
1.2 edit Tango
edit Tangoは京都府北部の丹後地方を拠点としている団体です。ウィキペディアタウンなどのイベントを開催し、丹後地方の歴史や文化などを広く発信したり伝え残したりする取り組みを行っています。私もedit Tangoのメンバーのひとりであり、今回のイベントにはedit Tangoから交通費や宿泊費の補助を受けて参加しました。edit Tangoの企画は丹後地方だけではなく、毎年秋に横浜市で開催される図書館総合展などでも行っています。
2021年度には宇川スマート定住促進会議の主催、edit Tangoの協力によって、野間地域と同じく過疎化が進行する丹後町宇川地域で5回(プレ+4回)の「ウィキペディアタウン in 宇川」が開催されています。
2. 野間地域を訪れる
野間地域の中心には2014年(平成26年)3月に閉校となった京丹後市立野間小学校があり、隣接地には野間地域の中央公民館的位置づけの京丹後市野間基幹集落センターがあります。基幹集落センターの脇には「野間散策マップ」があり、味土野大滝や須川トンネル(マツタケ尾トンネル)などの観光スポットが記されています。
(写真)野間期間集落センターの脇にある「野間散策マップ」。
(写真)野間川と沿岸のサクラ。
2.1 京丹後森林公園スイス村
野間地域の東端には標高683メートルの太鼓山があり、山頂に近い部分はレクリエーション施設の京丹後森林公園スイス村となっています。この2024年(令和6年)4月7日(日)にはスイス村に京丹後舞輪源蒸留所がオープンし、前日の4月6日(土)にはオープン記念イベントが開催されました。「ウィキペディアタウン in 野間」はオープン記念イベントに合わせて開催されており、参加者は京丹後舞輪源蒸留所を見学しました。
(写真)ヴィラ マイリンゲンの建物を活用した京丹後舞輪源蒸留所。
(写真)京丹後舞輪源蒸留所のクラフトジン。
京丹後舞輪源蒸留所はクラフトジンの蒸留所であり、京丹後産のジュニパーベリー、有機レモン、クロモジ、熊笹などをボタニカルとして使用しています。太鼓山山頂近くの標高600メートル地点にあり、平地よりもわずかに気圧が低いことも蒸留面での特徴のようです。
(写真)ジンに用いられるジュニパーベリー。
(写真)蒸留設備。
京丹後森林公園スイス村がある場所には、かつて住山集落がありました。1963年(昭和38年)1月の三八豪雪(昭和38年1月豪雪)では丹後半島も大雪に見舞われ、翌年の積雪シーズン前には住山集落でも挙家離村が行われました。
スイス村のバンガロー前には離村時に建立された石碑「住山五戸」が、スイス村の駐車場前には2012年(平成24年)4月に建立された石碑「住山集落の跡」があります。
(写真)スイス村にある石碑「住山五戸」と「住山集落の跡」。
(写真)京丹後市森林公園スイス村のバンガロー。
(写真)太鼓山スノーどんどんパークinスイス村。旧・森林公園スイス村スキー場。
3. 野間地域の各集落
3.1 霰(あられ)
京丹後舞輪源蒸留所のオープン記念イベント前後には野間地域の集落をめぐりました。野間地域の中心部には上流から霰(あられ)、野中、中津の3集落があり、野間川沿岸の開けた平地に水田が広がっています。
(写真)野間川と霰集落。
霰には曹洞宗の洞養寺(とうようじ)が、野中には大宮神社が、中津には曹洞宗の延命寺があります。現在の洞養寺は赤いトタン屋根が印象的ですが、戦前の写真には個性的な形状の入母屋が写っており、瓦葺ではなく茅葺屋根だったようです。
野間地域の寺院はこの2寺のみ、野間地域で規模の大きな神社は大宮神社だけであり、寺院がある集落には神社がなく、神社がある集落には寺院がありません。
(写真)円錐形に刈り込まれたツバキがある洞養寺。
(写真)戦前の洞養寺。『ふるさと野間 今昔写真集』ふるさと野間を考える会、1984年。
(写真)本わさびが添えられた蕎麦処 野間亭の蕎麦。
3.2 須川(すがわ)
須川は野間地域の南東端にある集落です。野間地域には弥栄町大字野中と弥栄町大字須川がありますが、大字須川を構成する5集落のひとつとして須川集落(須川区)があるのがややこしい。
(写真)入母屋屋根の民家が複数ある須川集落。
須川集落から林道を東に約10分歩くと、手掘りの須川トンネル(須川隧道、マツタケ尾トンネル)がありました。1939年(昭和14年)に開通した手掘りのトンネルであり、現在は観光客以外は立ち寄らないトンネルになっているようですが、野間地域で炭焼きが盛んだった頃にはこのトンネルを使って木炭が運ばれていたようです。
(写真)手掘りの須川トンネル。
(写真)1939年の開通記念写真。『ふるさと野間 今昔写真集』ふるさと野間を考える会、1984年。
3.3 野中(のなか)
京都府道75号浜丹後線は野間地域を縦断していますが、府道が集落内を通っているのは野中集落だけ。地理的にも野間地域の中心集落という印象が強いのが野中集落です。野中集落には大宮神社があり、大宮神社の例祭で披露される野中の田楽は選択無形文化財に指定されています。
(写真)野間地域の中心地区である野中集落。
(写真)野間地域最大の神社である大宮神社。
明治中期までの野間村には、字須川と字野中のそれぞれに学校があったようです。1907年(明治40年)には野間地域の中心である現在地に、須川校と野中校を統合した野間尋常高等小学校が開校しました。1963年(昭和38年)には冬季に遠方の児童が泊まり込む寄宿舎も開設され、1983年(昭和58年)頃には使用されなくなったようですが、2024年(令和6年)現在も寄宿舎の建物は現存しています。
(写真)2014年閉校の京丹後市立野間小学校。
3.4 来見谷(くるみだに)
霰集落から南西に延びる谷の先には来見谷集落があります。来見谷集落は5戸中4戸が移住者だそう。
(写真)小規模な谷に形成された来見谷集落。
3.5 吉野(よしの)
野中集落から北東に延びる谷には吉野集落があり、入母屋屋根の民家が点在しています。吉野集落は京丹後森林公園スイス村に向かう際に通る集落であり、自動車の往来があることもあって開けた雰囲気を感じます。
(写真)入母屋屋根の民家が点在する吉野集落。
(写真)ワサビの花が咲く小川。
3.6 中津(なかつ)
中津集落は野間地域の中央にある3集落のひとつです。かつては京都府道75号は集落の中を通っていましたが、1990年(平成2年)にバイパス道路と新中津橋が開通しています。高台の上には赤いトタン屋根の延命寺があり、本堂の前には樹齢400年を超えるとされるシイの巨木もあります。
(写真)中津集落。
(写真)樹齢約400年のシイがある延命寺。
4. Wikipedia編集
4.1 編集記事
野間村 (京都府) - 加筆
森林公園スイス村スキー場 - Wikipedia - 加筆&改名提案
横島昇 - Wikipedia - 新規作成
京丹後市立野間小学校 - Wikipedia - 新規作成
京丹後舞輪源蒸留所の見学後には弥栄町の中心部に戻り、京丹後市立図書館や京都府立図書館などの文献を用いて編集を行いました。私はイベント中にWikipedia「大宮神社 (京丹後市)」の加筆を行っています。
また、帰宅後には「野間村 (京都府)」の加筆、「森林公園スイス村スキー場」の加筆&改名提案、「京丹後市立野間小学校」の新規作成を行いました。さらに、Wikimedia Commonsに自身が撮った写真約100枚、文献に掲載された古写真約10枚の計約110枚をアップロードしています。他の方の編集も含めると、今回のイベントでは上記の5記事が編集されています。
(写真)Wikipedia「大宮神社 (京丹後市)」。文章の加筆のほかに、江戸時代の絵図、本殿や狛犬など現在の写真も掲載した。
(写真)Wikipedia「大宮神社 (京丹後市)」。選択無形文化財の野中の田楽については古写真を掲載した。