(写真)出水麓武家屋敷群。
2024年(令和6年)11月、鹿児島県出水市を訪れました。かつて出水市街地には映画館「仲町松竹」「泉映」「出水東映」がありました。
1. 出水市を訪れる
1.1 出水麓武家屋敷群
出水市は鹿児島県北西部(北薩)にある人口約5万人の市です。九州新幹線の出水駅があり、1本/1時間+αの頻度で「さくら」「つばめ」が停車することから、鹿児島県内では比較的訪れやすい自治体です。
江戸時代、薩摩藩は領内に「麓」(ふもと)と呼ばれる外城を多数築きました。出水は薩摩国と肥後国の国境に近かったことから、出水麓は薩摩藩にとって重要な防衛拠点だったようです。重伝建地区に選定された出水麓武家屋敷群には、今日でも約50戸の武家屋敷が残っており、現存する九州最大級の武家屋敷群とされています。
(写真)石垣と垣根の景観が特徴的な出水麓武家屋敷群。
2017年(平成29年)には出水麓の歴史を紹介する博物館として出水麓歴史館が開館しました。2019年(令和元年)には出水麓など8つの麓と鹿児島市からなる「薩摩の武士が生きた町」が日本遺産に選定されており、観光客は年々増加していると思われます。
(写真)出水麓歴史館。
(写真)出水麓歴史館。
出水麓歴史館には江戸時代の町並みを示したジオラマがありました。出水麓は丘陵上に形成されていますが、近現代には平良川の河岸に市街地が形成され、出水麓の下の市街地には2館の映画館が開館することになります。
(写真)出水麓歴史館。江戸時代の町並みの模型。
1.2 出水公会堂
近現代には平良川の河岸に市街地が移動しますが、1938年(昭和13年)に竣工した近代建築が出水公会堂です。縦のラインを強調したモダニズム要素の強い建物であり、文化財登録/指定はされていませんが、現在も使用されている建物のようです。
1943年(昭和18年)には郊外に出水海軍航空隊も設置されており、1944年(昭和19年)8月には芝居小屋の出水座も竣工していることから、この頃が出水の発展期と考えてよさそうです。出水海軍航空隊からは約200人の特攻隊員が飛び立ったという悲しい歴史もあります。
(写真)出水公会堂。
2. 出水市立中央図書館
米ノ津川の南岸には出水市立中央図書館と出水市歴史民俗資料館が併設された建物があります。出水文化の会が刊行していた雑誌『出水文化』などを書庫出納しました。
(写真)出水市立中央図書館。
(写真)出水市立中央図書館。郷土資料コーナー。
郷土資料の分け方は熊本県の文献と出水市の文献の2分類ですが、「郷土資料」と書かれた棚が熊本県の文献、「行政資料」と書かれた棚が出水市の文献なのがやや分かりにくい。
郷土資料の別置資料としては「武家屋敷」や「ツル」などがありました。出水市は1万羽を超える鶴が飛来する日本一のツルの越冬地だそうです。
(写真)出水市立中央図書館。郷土資料コーナーの「武家屋敷」「ツル」の見出し。
3. 出水市の映画館
3.1 出水東映(1946年12月-1962年頃)
所在地 : 鹿児島県出水市上鯖渕43(1962年)
開館年 : 1946年12月
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧1955』によると1946年12月開館。1955年の映画館名簿では「第二泉劇」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1962年の映画館名簿では「出水東映」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ローソン出水ことぶき店」南東50mの更地。
寿屋出水店(現・老人ホームことぶき)の南側、ローソンがある場所には出水東映があったようです。映画黄金期の出水市には4館の映画館があり、うち出水東映、泉映、米ノ津南映の3館の経営者は村下改蔵です。
村下改蔵は出水市や熊本県水俣市で複数の映画館を経営し、水俣市議会議長なども務めた興行主でした。歌手の村下孝蔵 - Wikipediaは村下改蔵の孫であり、村下孝蔵は水俣市と出水市の双方に住んだ経験があるようです。
(写真)出水市に4館(うち出水市街地には3館)が掲載された『映画便覧 1962』時事通信社、1962年。
3.2 泉映(1944年8月-1962年頃)
所在地 : 鹿児島県出水市武本(1962年)
開館年 : 1944年8月
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧1955』によると1944年8月開館。1941年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「出水座」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「泉映座」。1953年の映画館名簿では「泉映映劇」。1955年の映画館名簿では「泉映座」。1958年・1960年の映画館名簿では「第一泉映」。1962年の映画館名簿では「日活泉映」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「出水中央交番」西南西90mの「サンシャインビル」。
村下改蔵が経営する泉映は、平良川に架かる専修寺橋の東詰にありました。『写真アルバム 北薩の昭和』(樹林舎、2022年)には1958年の出水市街地の航空写真が掲載されています。この写真集の中で明示されているわけではありませんが、泉映と仲町松竹の巨大な建物も写っています。
(写真)1958年の出水市街地。『写真アルバム 北薩の昭和』樹林舎、2022年。
(写真)1982年の住宅地図。専修寺橋東詰の「アキ」が泉映跡地。
泉映の跡地にはサンシャインビルという商業ビルが建っています。屋根のあるスナック街とでもいう印象の建物であり、逆「L」字に延びる中央通路の両側にスナックが並んでいます。
(写真)泉映跡地のサンシャインビル。
(写真)出水市街地のメインストリートである鹿児島県道373号。
3.3 仲町松竹(1960年-1988年10月)
所在地 : 鹿児島県出水市本町11-29(1989年)
開館年 : 1960年
閉館年 : 1988年10月
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1961年の映画館名簿では「出水仲町東映」。1963年の映画館名簿では「仲町東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「出水仲町松竹映画劇場」。1973年・1975年・1978年・1980年の映画館名簿では「出水仲町松竹劇場」。1982年・1985年・1988年・1989年の映画館名簿では「出水仲町松竹」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「西照寺」西南西50mの「出水市中央商店街協同組合駐車場」。
1989年(平成元年)に出水文化の会が刊行した雑誌『出水文化』70号には出水市の映画館の歴史を回想する記事が掲載されています。前年の1988年(昭和63年)10月に仲町松竹が閉館し、出水市から映画館がなくなったことを惜しんで書かれた記事です。
(写真)出水市の映画館に言及している「あん頃ははずんだが… 興行師溝口栄一と戦後興行界の思い出・映画の今昔」『出水文化』出水文化の会、1989年、70号。
仲町松竹の経営者は溝口栄一です。戦前には満州で映画館を経営していた人物であり、日本に引き揚げた後には仲町松竹以外にも鹿児島県内で複数の映画館を経営しています。出水商工会議所の初代会頭を務めた人物でもあり、村下改蔵同様に単なる興行主以上の活躍をしたようです。
(写真)1982年の住宅地図。西照寺北西に「ニューひかり 仲町松竹」。
(写真)出水仲町松竹が掲載された『映画館名簿 1988』時事映画通信社、1988年。
仲町松竹の跡地は商店街の駐車場となっています。背後は出水麓武家屋敷群のある丘陵地であり、ちょっとした崖が形成されています。2022年(令和4年)にはこの崖に、鹿児島県立出水高校美術部によって「ワンダートレイン」と題した壁画が描かれました。
(写真)仲町松竹跡地の出水市中央商店街協同組合駐車場。右奥上は「日本一のお地蔵様」。
(写真)壁画「ワンダートレイン」の説明。
駐車場右側の階段を上ると「日本一のお地蔵様」という巨大な地蔵があります。駐車場部分にもこの地蔵の説明がありますが、仲町松竹の跡地であることも明示してあると嬉しいですね。
(写真)仲町松竹跡地の右奥にある「日本一のお地蔵様」。
出水市の映画館について調べたことは「鹿児島県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(鹿児島県版)」にマッピングしています。