振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

神流町万場の映画館

(写真)万盛座の建物と十石街道。

2024年10月、群馬県甘楽郡神流町(かんなまち)万場を訪れました。かつて万場には映画館「万盛座」と「力春座」があり、万盛座の建物は自動車整備工場として現存しています。

 

1. 神流町万場を訪れる

1.1 万場の建物

万場は神流川に面した十石街道の宿場であり、十石街道は中山道の新町宿から佐久地方に至る脇往還です。十石街道の北15kmには同じく脇往還下仁田街道が並行しており、下仁田街道には近代になって上野鉄道(現・上信電鉄)が開業しますが、十石街道には鉄道が通ることもありませんでした。

商人宿の雰囲気を感じる今井屋旅館は350年以上前の創業とのことで、1891年(明治24年)の大火後に建てられた木造3階建の建物には詩人の尾崎喜八も泊まったそう。旧万盛座のはす向かいにも、廃業した旅館建築が残っています。

(写真)今井屋旅館。

(写真)万盛座はす向かいの旅館建築。

 

世界文化遺産富岡製糸場に象徴されるように、群馬県では養蚕や生糸の生産が盛んでしたが、万場でも明治時代に甘楽社万場組の蔵として建てられた蔵ギャラリー、1938年(昭和13年)に万場町役場土蔵として建てられたギャラリー万が目につきます。

(写真)蔵ギャラリー。

(写真)ギャラリー万(旧万場町役場土蔵)。登録有形文化財

 

2. 神流町万場の映画館

2.1 力春座(1957年頃-1964年頃)

所在地 : 群馬県多野郡万場町87(1964年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1964年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「力春劇場」。1960年の映画館名簿では「力春劇座」。1961年・1963年・1964年の映画館名簿では「力春座」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「群馬銀行万場支店」西南西50mの「神流町営本町団地」。

(写真)万場町に力春座と万盛座が掲載されている『映画便覧 1964』時事通信社、1964年。

(写真)町営本町団地(左)と神流町商工会館

 

2.2 万盛座(1910年以前-1965年頃)

所在地 : 群馬県多野郡万場町291(1965年)
開館年 : 1910年以前
閉館年 : 1965年頃
1953年の映画館名簿には掲載されていない。1954年・1955年・1958年の映画館名簿では「万場映画劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。1961年の映画館名簿では「万場映画劇場」。1963年・1965年の映画館名簿では「万盛座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は「石崎自動車整備工場」として現存。

(写真)万盛座に言及している『多野郡誌』多野郡教育会、1910年。

(写真)万盛座の建物(石崎自自動車整備工場)。

(写真)万盛座の建物(石崎自自動車整備工場)。

(写真)万盛座の建物に記された「座盛萬」の文字。

(写真)万盛座の入口だったと思われる部分。

(写真)万盛座の経営者だった大谷秋男。『群馬県菓子業界史』群馬県菓子業者大会本部、1970年。

(写真)万盛座の建物内部。

(写真)万盛座の建物内部。

(写真)万盛座の建物内部。

(写真)案内図「万場宿まわり道」。

(写真)案内図「万場宿まわり道」。

(写真)観光マップ「ぶらり万場宿Guide Map」。

 

神流町万場の映画館について調べたことは「群馬県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(群馬県版)」にマッピングしています。

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