振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「ウィキペディアタウン宇川vol.2」に参加する

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(写真)宇川のアユ。

2021年(令和3年)7月26日(日)、京都府京丹後市の宇川地域で開催された「ウィキペディアタウン宇川vol.2」に参加しました。

2021年(令和3年)2月13日(プレ)、4月10日(vol.1 袖志)に続いて宇川で3回目のウィキペディアタウン。主催は宇川スマート定住促進協議会。丹後地方にある宇川という地域の歴史や文化を学び、Wikipediaを通じて宇川地域と地域の外に情報を発信することで、最終的に地域の活性化につなげようとする取り組みです。

特徴的な参加者としては、京都府立丹後緑風高等学校久美浜学舎(京都府久美浜高校)の生徒2人や龍谷大学政策学部今里ゼミの学生約5人が参加。宇川地域内からの参加者はほとんどいないのですが、地域外の参加者が不思議な活動をしている、ということをもっと知ってほしい。

 

1. 宇川を訪れる

1.1 これまでのイベント

2021年(令和3年)2月のプレでは「宇川 (地名) - Wikipedia」全体をテーマとし、Wikipediaに「宇川 (地名)」と「宇川加工所」を新規作成。4月のvol.1では「袖志 - Wikipedia」集落をテーマとし、Wikipediaに「袖志」と「穴文殊」と「袖志の棚田」と「袖志の海女」と「袖志海苔」を新規作成、「袖志漁港」を加筆。いずれもその地区/集落の記事を作成しながら、地区/集落における特徴的な題材の記事も作成しています。

今回のvol.2ではやや視点を変えて、地区/集落ではなく「宇川のアユ - Wikipedia」(と「宇川」)がテーマとなりました。Wikipediaに「宇川のアユ」という記事を作成することが目標であり、アユ漁が行われている「平 (京丹後市)」集落も作成、河川記事「宇川」など関連記事も編集しています。

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(地図)京都府北部における宇川地域。

 

1.2. スケジュール

宇川親水公園(京丹後市丹後町平)

09:15 集合
09:15-09:45 開会あいさつ・宇川アユの紹介(酒井満雄さん)
10:00-11:30 巻網でのアユ漁の見学(ベテラン漁師2人)

 

宇川アクティブライフハウス(京丹後市丹後町久僧)

12:00-12:45 昼休み
12:45-13:30 アユ研究の話(瀬川信一さん)
13:30-16:30 文献調査・Wikipedia編集
16:30-16:55 成果発表
16:55-17:00 閉会

 

2. まちあるき

2.1 アユ漁の見学

今回は「宇川のアユ」がテーマであることから、一般的なウィキペディアタウンのようなまちあるきは行いませんでした。午前中は宇川親水公園に集合。上宇川漁業協同組合の酒井満雄組合長から宇川におけるアユ漁の話を聞いた後、ベテラン漁師2人による巻き網漁の実演を見学しました。

毎年5月頃、上宇川漁協は地元の保育園児とともにアユの稚魚を宇川に放流しています。琵琶湖生まれのアユと宇川生まれのアユ、宇川には2種類のアユがいるようですが、両者はすぐに見分けがつかなくなるとのこと。宇川の流れは小脇発電所付近で分断されており、小脇発電所より上流では野間漁業協同組合もアユの放流やアユ漁を行っています。

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(写真)アユ漁に用いる巻網。

 

アユ漁といえば釣り竿による友釣りのイメージがありますが、宇川では巻網漁が主流だそうです。漁師はマリンシューズを履いた軽装で川の中に入り、円形に網を投げてアユを囲い込みます。宇川の水深は人間のふくらはぎ程度しかなく、淵もない川の中央部に魚がいるのだろうかとも思ったのですが、コンスタントにアユが採れていました。とはいえ出荷できるほどアユが採れるわけではなく、個人的に食べたり販売する程度だそうです。丹後町平にあった旅館でもアユ料理が提供されていたそうです。

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(左)集落内にあるアユ漁の解禁案内。(右)巻網を投げてアユを追い詰める漁師。

 

アユ漁の実演を見学した場所は宇川親水公園と呼ばれており、毎年8月にはアユのつかみ取り体験(宇川アユまつり)が行われるそう。縄張りを持って一か所にとどまるアユの性質を利用したイベントなのかな。

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(写真)アユ漁を見学する参加者。

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(写真)採れたアユ。

 

2.2 平・久僧・中浜の街歩き

イベント開始前には宇川親水公園がある平(へい)の集落内を散策しました。基本的には通りの両側に民家が並んでいる縦長の集落であり、通りの脇には宇川から引かれた水路が流れています。寺院が2軒、神社が1社、簡易郵便局、公民館などがありますが、集落外の人間が散策するような集落ではなさそうです。平の集落内で撮られた写真は珍しいかもしれません。写真はWikimedia Commons(Category:Tango-chō Hei, Kyotango - Wikimedia Commons)にアップロードしています。

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昼休みには久僧(きゅうそ)と中浜の集落を散策しました。どちらも日本海に面した集落であり、久僧海水浴場には海遊びを楽しむ家族連れがいました。宇川地区は琴引浜よりもかなり丹後半島の先端に近く、砂浜と海食洞が交互に並んでいるのが特徴です。

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(左)久僧海水浴場。(右)久僧と中浜の間にある海食洞。

 

2021年(令和3年)2月のプレの際には、久僧にあった映画館の話を聞きました。『映画館名簿』には久僧の映画館は登場しないのですが、『丹後町史』(丹後町、1976年)、『うかわ 川と人のふるさと』(上宇川地区公民館、1989年)、『久僧 村の記録誌』(久僧自治区、2015年)の3冊の郷土資料には「久僧映画館」についての言及があります。

 

久僧映画館

所在地 : 京都府竹野郡丹後町久僧小字上地492・493番地
開館年 : 1950年
閉館年 : 1958年? 昭和30年代末?
映画館名簿には掲載されていない。跡地は「久僧公民館」西30mの空き地。

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(写真)久僧映画館の跡地。

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(写真)1964年の久僧映画館周辺の航空写真。地図・空中写真閲覧サービス

 

2.3 アユ研究史の解説

午後は宇川アクティブライフハウスに移動し、宇川で20年以上にわたってアユの生態調査を行っている自然観察指導員の瀬川信一さんによる講義を聞きました。午前中には上宇川漁協の酒井さんから漁業として宇川のアユの話を聞きましたが、研究者である瀬川さんは視点が異なるのが面白い。1950年代の宇川では食糧増産のためにアユ研究が行われていたわけですが、瀬川さんが調査を開始したのは1970年代末であり、純粋にアユの独特な生態に興味を持って調査を始めたとのことでした。

アユが遡上するのは日本海の水温と宇川の水温が等しくなる4月中旬~下旬。この頃には体長6センチ・約10グラムだったアユが、宇川の中流域で藻を食べて成長し、7月のアユ漁解禁までに成魚となるそうです。丹後半島の主要な河川としては宇川のほかに竹野川がありますが、宇川よりもアユの遡上数が少ない。竹野川は宇川より傾斜が緩く、河口から中流域までの距離が長いことが理由だそうです。

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(写真)アユの生態について話す瀬川さん。

 

3. ウィキペディアの編集

3.1 準備された文献

京都府立図書館、京丹後市立図書館、京都府久美浜高校図書館などから文献が持ち込まれています。毎度のことではありますが、京都府立図書館から届く文献の質と量は素晴らしく、またウィキペディアタウンに必要な文献について理解してくれていることを感じます。

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(写真)宇川アクティブライフハウスの廊下に並べられた文献。

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(左)宇川地区に関する文献など。(右)アユに関する文献など。

 

3.2 文献調査と編集

私が久僧や中浜のまちあるきにでかけていた頃には、edit Tangoの漱石の猫さんによって「これまでの取組」と「はじめてさんのWikipedia編集」のレクチャーがあったようです。今回のイベントには京都府久美浜高校の生徒が2人、龍谷大学政策学部今里ゼミの学生が5人参加しており、初めてWikipediaの編集を行う参加者や、一度しか編集を行ったことがない参加者が多数いました。

今回のイベントでは基本的に全員で「宇川のアユ」を新規作成しています。まずは十進分類法の図を使って記事に必要な要素を洗い出し、"アユの研究史"、"生態"、"アユ漁"、"食文化"などの役割分担を行いました。高校生と大学生がペアを組んでひとつの節を担当するなどしています。

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(左)参加者全員での編集ミーティング。(右)役割分担してのWikipedia編集。

 

3.3 荒らしとの遭遇

編集作業中には会場にいない荒らしによって記事が荒らされるハプニングも。半保護(Wikipedia:半保護の方針 - Wikipedia)や投稿ブロックWikipedia:投稿ブロック - Wikipedia)などによって荒らしの影響を少なくすることは可能ですが、半保護が行われた場合はアカウントを取得したばかりの参加者も編集できなくなってしまう点や、荒らしとの編集競合で編集内容が消えてしまう可能性がある点などは今後の不安要素です。

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(写真)荒らされている「宇川のアユ」2021年7月25日 16:04:47時点の版。

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(写真)荒らしの編集が並ぶ「宇川のアユ」。

 

3.4 編集記事

事前に編集記事を話し合ったうえで、私は宇川のアユではなく平 (京丹後市) - Wikipediaの新規作成に取り組みました。平(へい)はアユ漁を見学した宇川親水公園がある集落であり、宇川のアユの生態調査が行われていた集落でもあります。

愛知県内でも閲覧が容易な『日本歴史地名大系 26 京都府の地名』(平凡社、1981年)や『角川日本地名大辞典 26 京都府』(角川書店、1982年)で記事のひな型を作ったうえで、当日朝に撮影した写真をWikimedia Commonsにアップロードし、準備された文献から文章を加筆しています。

記事作成にかなり時間を撮られてしまい、他の方の編集サポートがおろそかになってしまったのが今後の課題。できるだけ暇そうにしていたほうがいいと思いつつも、現地でしか閲覧できない文献はできる限り記事に取り込みたいとも思います。

 

編集記事

宇川のアユ - Wikipedia(新規作成) - 2021年7月28日にWikipediaのメインページ掲載

平 (京丹後市) - Wikipedia(新規作成) - 2021年7月30日にWikipediaのメインページ掲載

宇川 (地名) - Wikipedia(加筆)

宇川 - Wikipedia(加筆)

アユ - Wikipedia(加筆)

 

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(写真)成果発表。