(写真)丹後ちりめんに関する新聞スクラップブック。
2024年(令和6年)10月19日、京都府京丹後市峰山町で開催された「ウィキペディアにゃウン vol.7 ものづくりの丹後」に参加しました。
1. イベント概要
1.1 こまねこまつり
こまねこまつりは京丹後市峰山町の祭礼であり、地域おこし(まちおこし)を主眼として2016年(平成28年)から開催されています。峰山町の金刀比羅神社には狛犬の亜種である「狛猫」(こまねこ)があり、祭礼の名称は狛猫に因んでいます。
2020年(令和2年)には金刀比羅神社の狛猫が京丹後市指定文化財に指定されました。こまねこまつりは同年の丹後ちりめん創業300周年を集大成として創設された祭礼ですが、2021年(令和3年)以後も継続して開催されています。
(写真)2018年のこまねこまつり公式サイト。
1.2 ウィキペディアにゃウン
2018年(平成30年)秋、京丹後市峰山町で開催されるこまねこまつりの一企画として、京丹後市初のウィキペディアタウン「ウィキペディアにゃウン」が初開催されました。
ウィキペディアにゃウンの主催は京都府北部でウィキペディアタウンやマッピングパーティなどを開催する市民団体のedit Tangoです。ウィキペディアにゃウンは2019年(令和元年)以降もこまねこまつりに合わせて開催されており、2024年(令和6年)が第7回となりました。
一般的にウィキペディアタウンは、まちあるき要素とWikipedia編集要素のふたつを含むワークショップとされています。2021年(令和3年)以後のウィキペディアにゃウンは、こまねこまつり内のまちあるきイベント「こまねこウォーク」に参加した後でWikipedia編集を行うイベントとなっています。
2. こまねこウォーク
今回のこまねこウォーク2024は「ものづくりのまち峰山」をテーマとしています。
福知山公立大学地域経営学部の小山元孝ゼミによる案内の下、峰山市街地にある吉村商店、染色工房嶋津、日進製作所創業記念館の3か所をめぐり、現地で当事者の方々の話を聞きました。
なお、前回までのこまねこウォークは以下のテーマが設定されていました。
2021年 - 「丹後ちりめんと河辺飛行場ゆかりの地を見に行こう」
2022年 - 「峯山藩立藩400年京極家ゆかりの地を歩く」
2023年 - 「峰山の古今食文化をめぐる」
(写真)ウォーク中の参加者。
2.1 吉村商店
吉村商店は峰山市街地中心部にある丹後ちりめんの生地商です。吉村家住宅とも呼ばれる峰山支店の建物内で、昨今の縮緬産業の状況などに関する話を伺いました。
ピークの1973年(昭和48年)に996万反だった丹後ちりめんの生産量は、翌年のオイルショックやその後の着物離れによって低迷が続き、現在はピーク時の数パーセントにすぎない十数万反となっているようです。とはいえ、丹後ちりめん業界は2018年(平成30年)から「TANGO OPEN」というブランド名で国内外への発信に取り組むなど、産業であり続けるために模索を続けています。
(写真)吉村商店。話を聞く参加者。
(写真)吉村商店。蔵に積まれたちりめん。
伝統的に、ジャカード織機で製品を織る際には紋紙(パンチカード)が使われます。現代では紋紙の代わりにフロッピーディスクが主流となり、さらに最新の記録装置としてUSBメモリが使われるようです。紋紙はいかにも0(穴が開いていない)と1(穴が開いている)の2進法的な記録装置で、パソコンと相性がよさそうです。
(写真)吉村商店。紋紙と呼ばれる設計用型紙の変遷。
(写真)吉村商店。1930年頃の縮緬問屋で実際に用いられた婚礼衣装。(左)「黒縮緬地御所車花扇模様振袖」。(右)「黒縮緬地日本三景振袖」。
2.2 染色工房嶋津
峰山町中心部の吉村商店から西に800m、峰山町安(やす)という小字に染色工房嶋津があります。先ほど訪れた吉村商店は生地商ですが、染色工房嶋津の嶋津澄子さんは染色のみを手掛ける染色家です。
(写真)染色工房嶋津。話を聞く参加者。
(写真)染色工房嶋津。染色されたちりめん。
約1世紀前の1927年(昭和2年)3月7日には丹後大震災が起こりましたが、峰山町は特に被害の大きかった自治体であり、大半の建物が倒壊した峰山市街地の写真が残されています。このため、「峰山町にある建物は全て丹後大震災後の建物」と早合点していたのですが、染色工房嶋津の建物は震災前の建物とのことでした。
こまねこまつりは毎年のように悪天候となり、ウォークの前半は雨に降られましたが、染色工房嶋津を出る際には雨も止んでいました。
(写真)丹後大震災前に建てられた染色工房嶋津の建物。
2.3 日進製作所創業記念館
再び峰山市街地に戻り、金刀比羅神社から南にすぐの場所にある日進製作所創業記念館を見学しました。日進製作所は自動車部品などを手掛ける精密機器メーカーであり、東京商工リサーチによると丹後地方最大の企業とのことです。
2019年(令和元年)9月7日には「ウィキペディアにゃウン in 丹後峰山」が開催され、ウィキペディア日本語版管理者のさかおりさん(や私も)などが講師を務めました。この時には日進製作所 - Wikipediaも編集対象となり、錦織米一による創業などの沿革が加筆されています。
(写真)日進製作所創業記念館。2019年7月。
こまねこウォーク終了後、参加者は金刀比羅神社境内の金刀比羅神社会館に戻り、丹後ちりめんの端切れを用いてしおりを作るワークショップに参加しました。また、Wikipedia編集会の最中にはゼミ生によるインタビューを受けました。
まちあるき中の案内、しおり制作ワークショップ、ケーブルテレビで放送するための動画制作と、小山元孝ゼミのゼミ生はいくつかのグループに分かれてこまねこウォークに関わっていたようです。
京丹後市から最も近い大学である福知山公立大学をはじめとして、丹後地域の各地区では多数の大学のゼミが入って実習を行っています。京丹後市を訪れるときはいつもどこかのゼミの存在を感じますが、高校生や大学生の姿がある地域には活気があり、そうではない地域との差は歴然としています。
3. Wikipedia編集会
3.1 Wikipediaの講習
午後の会場は金刀比羅神社境内の金刀比羅神社会館です。2階がホールになっており、ウィキペディアにゃウンの際には長机や椅子を並べて編集会場としています。
今回は地元からの参加者の他に、和歌山市、山口県周南市からも参加者がいました。まずは漱石の猫さんからWikipediaに関する講習を受け、その後Wikipedia記事の編集を行いました。
今回は特別ゲストとして、Code for ふじのくに/Numazuの市川希美さんを招いています。編集作業終了後には、静岡県沼津市におけるシビックテック活動の取り組みなどに関する事例紹介を聞きました。
Code for ふじのくに/Numazuは市民・図書館員・学芸員などが一緒に参加するウィキペディアタウンを開催しており、沼津市はWikipedia記事に飛ぶQRコードを文化財の説明看板に添付する取り組み(QRペディア - Wikipedia)を本格的に実施した日本初の自治体です。その実践例については「静岡県沼津市におけるWikipedia Townの実践例」『奈良文化財研究所研究報告』(奈良文化財研究所、2022年、第33冊)にまとめられています。
(写真)市川希美さんによるCode for ふじのくに/Numazuの活動紹介など。
3.2 準備された文献
Wikipedia記事の編集には文献が不可欠ですが、今回も京丹後市立図書館、京都府立図書館、京都府立丹後緑風高校図書館などから事前に文献が集められていました。
(写真)準備された文献。
京丹後市立峰山図書館は現在も新聞スクラップブックの製作を続けています。Wikipediaで地域記事を編集する際、書籍で集められる情報には限界がありますが、京都新聞や毎日新聞京都版には有益な情報が多く掲載されています。さらに、京都新聞はキーワード検索が可能な利用者用データベースを公開していないため、2020年代現在もこのような新聞スクラップブックには価値があるといえます。
(写真)近年の新聞スクラップブック。
昭和30年代から40年代の古い新聞スクラップブックも会場に持ち込まれていました。丹後ちりめんの全盛期はこの頃であり、スクラップブックを時代順にめくっていくと繁栄と衰退の歴史が見えてきます。吉村商店に関する悲しい出来事の記事なども発見しました。
(写真)昭和30~40年代の新聞スクラップブック。
3.3 編集記事
今回のイベント中に編集されたのは以下の5記事。私は「吉村商店」や「丹後織物工業組合」を編集しつつ、事前に下書きしていた「吉村伊助」の加筆にも取り組みました。
吉村商店 - Wikipedia(新規作成)
丹後織物工業組合 - Wikipedia(新規作成)
吉村伊助 - Wikipedia(加筆)
衣料品を販売する企業の文献は多くても、衣料品を製造する企業や流通させる問屋に言及する文献は少なく、分業化が進んだ業界の一企業に言及する文献はなかなか見つからない。イベント全体で目玉となった記事は「吉村商店」ですが、私も含めていろんな参加者が文献を見つけるのに苦労していました。
3.4 Wikipedia「吉村伊助」の加筆
「吉村伊助」は衆議院議員や峰山町長も務めた吉村家の当主であり、2021年(令和3年)に他者によってWikipedia記事が新規作成されています。出典には『衆議院名鑑』などの参考図書が使われていたのですが、イベント中に郷土資料などを用いて加筆しました。
その結果、郷土資料と‟中央”の資料(『衆議院名鑑』)ではいくつかの部分で相違があることが分かりました。郷土資料には「1873年1月生まれ」とありますが、‟中央”の資料には「1880年2月13日生まれ」とあり、郷土資料には「京都市の西本願寺経営学校で学んだ」とありますが、‟中央”の資料には「高等商業学校を卒業した」とあります。
他の文献も考慮すると、‟中央”の資料における情報の精度には疑問の余地があることから、「〇〇年に生まれたとされるが、××年に生まれたとされることもある」という体裁に修正しています。
イベント終了後にも、宿泊していたKissuien Stay & Food(旧称・プラザホテル吉翠苑)のフリースペースを借りて文章の修正などを続けました。ちょっとした作業や打ち合わせの際に役に立つ空間です。
(写真)Kissuien Stay & Foodのフリースペース。