(写真)かんざらし。
2024年(令和6年)11月10日(日)、長崎県島原市でウィキペディアタウン「島原Wikipedia Town~みんなでつくろう島原の百科事典~」が開催されました。
1. イベント概要
1.1 開催経緯
主催者は島原市の活性化のために様々な取り組みを行っている島原青年会議所です。副理事長の松本段さんが新たな取り組みを模索していた際、島原図書館で伊達深雪さんの『ウィキペディアでまちおこし 』(紀伊國屋書店、2024年)を見つけて読み、市民による情報発信活動として今回のイベントが企画されました。
Wikipediaのメイン講師&ファシリテーターは伊達深雪さんであり、私(かんた)は編集サポート等を行うアシスタントとして参加しました。この企画は島原城築城400年関連事業のひとつにもなっていることから、近世の島原などを研究する吉岡慈文学芸員が題材に関する講師としてイベントをサポートしています。
(写真)イベントのチラシ。
1.2 参加者
午前中の会場は島原市霊丘公民館です。10時に開始すると松本段さんらによる挨拶があった後、参加者がグループごとに自己紹介(アイスブレイク)をしてからまちあるきに入りました。
参加者は島原市民、長崎国際大学の学部生や院生、島原青年会議所のメンバーなど約20人。長崎国際大学は佐世保市にある大学であり、観光学を学ぶ人間社会学部国際観光学科などがあります。
題材は新規作成が「銀水」、「島原水まつり」、「本光寺 (島原市)」の3記事、加筆が「島原城」、「松倉重政」の2記事の計5記事です。5グループがそれぞれの対象をまちあるきした後、午後には島原図書館に移動してWikipediaを編集しました。まちあるきや移動には島原青年会議所メンバーの自家用車を用いています。
(写真)午前中の会場である霊丘公民館の集会室。
2. まちあるき
2.1 かんざらしの名店「銀水」
私は島原名物のかんざらしを提供する飲食店「銀水」のグループに入りました。かんざらしは白玉団子を蜜に浸した甘味であり、湧水の町である島原市を象徴する食べ物です。
銀水は1915年(大正4年)に創業した老舗です。1991年(平成3年)の雲仙普賢岳火砕流災害に伴う観光客の減少などを乗り越え、2代目経営者が亡くなる1997年(平成9年)頃に閉店しますが、島原市が2016年(平成28年)に復活させて現在に至っています。かんざらしの発祥地が銀水とのことで、今日では島原市内の約30店舗でかんざらしが提供されています。
(写真)かんざらしを食べる参加者。
(写真)湧水に浸されたかんざらし。
3. Wikipedia編集
3.1 Wikipediaの講習
午後の会場は島原城に近い島原図書館の集会室です。まずは伊達深雪さんからWikipediaの特徴やWikipediaを地域活動に用いる意義などの説明を聞き、5グループに分かれてWikipediaの編集作業に入りました。
(写真)Wikipediaの説明をする伊達深雪さん。
今回の題材には小規模な飲食店である「銀水」や、島原青年会議所が実行委員会に名を連ねている「島原水まつり」があります。
これらは宣伝的または主観的になってしまいがちな題材であるため、伊達深雪さんは「Wikipediaは宣伝目的のサイトではないため、客観的に記述する」という点を強調されています。また、既存記事では「松倉重政」はやや中立性に欠けるという指摘もありました。
Wikipediaを書く際には、題材に関する文献を読み、頭の中で内容を整理し、文章として書き出すという作業が必要です。
「文献の文章をWikipedia内にコピペすればよい」と考えている方は一定数おり、そうでない方も時間に追われて著作権侵害を起こしてしまうことがあります。伊達深雪さんからはどのように文章を書けばよいかという説明もありました。
(写真)編集題材に関する注意事項。
3.2 グループワークの開始
午前中のアイスブレイクではリーダー決めも行っており、各グループのリーダーが役割分担や進行などを行いました。私は文献が少ないことが予想された銀水グループに入りつつ他のグループもフォローし、伊達深雪さんは全体のフォローを行っています。
グループワーク開始直後、新規作成対象となった銀水、本光寺、島原水まつりの3記事については私が初版をWikipedia上に投稿しました。
以下は島原水まつりの初版です。「歴史」「運営体制」「開催概要」などの節構成をざっくりと示すことで、参加者がこの記事に何を書いていけばよいか理解しやすくしています。
また、定義文、冒頭部、インフォボックス、外部リンク、カテゴリなどは初版時点できちんと書くことや、最上部にはTemplate:工事中を添付することで、イベント外部からの編集による編集競合が起こるリスクを減らしています。
(写真)私が作成したWikipedia「島原水まつり」の初版。2024年11月10日 15:07:59 (UTC)。
事前に主催者が島原図書館に対して文献探しを依頼し、会場には5つの題材の文献が積まれたブックトラックが準備されていました。
主に準備された文献を用いて編集作業を行いましたが、イベント中にも参加者が司書に対してレファレンスを行ったり、参加者自身が郷土資料コーナーに向かうなどして文献を増やしています。イベント後には図書館の文献を使うという機会が新鮮だったという声がありました。
(写真)編集中の参加者。
(写真)編集中の参加者。
3.3 記事作成「島原水まつり」
島原市公式サイト等には「島原水まつり」の初開催が1987年(昭和62年)であると書かれています。島原青年会議所のメンバーで構成された「島原水まつり」グループは、『島原新聞』の原紙をめくって初開催に言及している記事を探しました。奇妙なことに1987年(昭和62年)の新聞には水まつりに関する記事が見あたらず、1988年(昭和63年)夏の新聞に初めて水まつりに関する記事が登場します。
島原市公式サイトの情報が誤っている可能性が高そうです。どこかのタイミングで初開催年が誤って伝えられ、その情報が様々な媒体でコピペされて広まったと考えられます。一般的に、新聞原紙をめくる作業は労力の割に成果が乏しいものですが、今回は大きな収穫があったといえるのではないでしょうか。
(写真)第1回島原水まつりを報じる『島原新聞』1988年6月29日。
3.4 記事作成「銀水」
私がフォローしていた「銀水」も、言及している文献が少ない題材です。書籍レベルで言及している文献は『しま恋1 しまばらに恋して』(NHK長崎放送局、2018年)のみでした。特色節や歴史節は『しま恋1 しまばらに恋して』を用いるとして、メニュー節は公式サイト、建築節は文化遺産オンラインを主な出典にしたらよいのではないかというアドバイスを行い、節ごとに担当者を決める役割分担を行いました。
飲食店/飲食物の記事ということで、記事中に写真があることも重要です。店舗の外観やかんざらしの写真は島原青年会議所カメラマンのSさん、交通アクセスの地図は長崎国際大学のXさんが撮影/作成&アップロードをしてくださいました。
(写真)参加者によってアップロードされた「File:Ginsuikanzarasi.jpg」。photo : Omochi-omochi
3.5 記事作成「本光寺」
深溝松平氏は転封のたびに新たな領地に本光寺を同道していました。現在では愛知県幸田町と島原市に瑞雲山本光寺(※山号も寺号も同じ)があり、文献では島原市の本光寺について創建年などについて曖昧な書き方がなされています。
城下町にはこのような寺院がありますが、文献の内容を即座に理解してWikipediaに正確に記述するのは難しい。本光寺チームでも題材の難しさに戸惑っていた方がおり、その方はWikipediaの編集はハードルが高いと感じられたようです。
ウィキペディアタウンにおける編集時間はわずか2~3時間ですが、この間に題材に関する複数の文献を読み、内容を正確に理解し、頭の中で組み立て直し、文章を書き出してWikipedia記事を作成する必要があります。研究者である吉岡慈文学芸員の講評に「(ウィキペディアタウンは)無理ゲー」という言葉がありましたが、全国各地のウィキペディアタウンに参加している私も同感です。
無理ゲー感の強いイベント終了後のWikipedia記事には、文献の誤読、文献からのコピペ、読みづらい文章、全角数字などWiki記法の誤り、出典表記方法の誤りなどが発生することも多いのですが、Wikipedia講師側のイベント設計の工夫でこれらをいかに減らすかが重要だと考えています。
(写真)正確に理解するのが容易でない本光寺成立の背景。本光寺 (島原市) - Wikipedia
4. イベント終了後
4.1 帰宅後の編集
Wikipediaの編集者の間に上下関係はありません。私は講師も参加者のひとりと考えており、イベント後には積極的に文章の加筆を行っています。
山陽新幹線の車内で閲覧した国立国会図書館デジタルコレクションでは、長崎県広報誌『にこり』にも銀水に関する有益な情報が見つかりました。帰宅後には愛知県図書館でヨミダスを閲覧し、読売新聞において銀水に言及している記事を探してWikipedia記事に反映させました。1991年(平成3年)の雲仙普賢岳火砕流の際の休業など、有益な情報が多数見つかっています。
長崎県における新聞シェアは長崎新聞、西日本新聞、読売新聞の順であるため、朝日新聞クロスサーチや日経テレコンよりも銀水に言及する記事が多いと推測してヨミダスを用いています。また、
(写真)銀水のリニューアルオープンを報じる『広報しまばら』2016年8月号。
4.2 編集記事
今回は以下の5記事を編集しました。【産業】や【文化】という要素の強い銀水と島原水まつりはともかく、本光寺、島原城、松倉重政の3記事は【歴史】という要素の強い記事であり、予備知識として江戸時代や島原藩の歴史的な背景がないと苦しい記事でした。実際にこれらのグループに入った方の中には、「難しかった」という感想を持った方もいたようです。
私がウィキペディアタウンの題材を検討する際には【地理】(→山岳、河川、集落など)、【産業】/【文化】(→地場産業、食文化など)などを提案するようにしています。【歴史】の要素の強い記事は参加者層次第で題材から外す方がよいことも多いです。
浜の川湧水観光交流館「銀水」 - Wikipedia - 新規作成
島原水まつり - Wikipedia - 新規作成
本光寺 (島原市) - Wikipedia - 新規作成
島原城 - Wikipedia - 加筆
松倉重政 - Wikipedia - 加筆
上に初版を示した島原水まつりの記事ですが、最新版(2024年11月15日時点の第20版)は以下のようになっており、この後ろにもまだまだ文章が続いています。イベント後にはイベントに参加していないWikipedia編集者による編集も加わっており、初版と比べると劇的に質が高まっています。
(写真)Wikipedia「島原水まつり」の最新版。2024年11月13日 20:48:38 (UTC)