振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「ウィキペディアタウン宇川vol.1 袖志」に参加する

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(写真)袖志の集落。

2021年(令和3年)4月10日(土)、京都府京丹後市丹後町袖志(そでし)で開催された「ウィキペディアタウン宇川vol.1 袖志」に参加しました。2月13日に開催された「ウィキペディアタウン宇川・プレ」に続くイベントです。

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1. イベント概要

1.1 狙い

京丹後市丹後町宇川地域で移住定住の促進や地域振興に取り組んでいる「宇川スマート定住促進協議会」、丹後地方でオープンデータを活用した情報発信に取り組んでいる「edit tango」の共催であり、農林水産省農山漁村振興交付金(地域活性化対策)スマート定住条件強化型モデル地区事業の取り組みのひとつだそうです。

丹後松島や経ヶ岬や袖志の棚田など、宇川地域には京丹後市や丹後地方を代表する景勝地がありますが、全国的に知られているとはいいがたい。宇川スマート定住促進協議会が取り組んでいる移住定住の増加は容易なことではありませんが、宇川地域に対する関心を持ってもらうために、Wikipediaを編集することで宇川地域の情報を得やすくします。

 

1.2 スケジュール

09:30 集合(袖志)
10:00 まちあるき(袖志)
12:00 昼食(宇川アクティブライフハウス)
13:00 ウィキペディア編集の注意(宇川アクティブライフハウス)
13:05 題材分析・文献調査・編集(宇川アクティブライフハウス)
16:30 成果発表・講評(宇川アクティブライフハウス)

 

 

2. まちあるき 

午前中は袖志農民研修所に集合し、下宇川連合区長で宇川アクティブライフハウス管理責任者の小林さんの説明を聞きながら袖志地区の集落内や袖志の棚田を歩きます。

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(写真)袖志の集落。左奥は経ヶ岬

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(写真)まちあるきコース。Google maps

 

袖志集落の西端の高台には間主神社と丹後町立下宇川小学校袖志分校跡地があり、それぞれ日本海の眺めが素晴らしい。間主神社は社叢がなくて殺風景とも言え、寄進物も多くない。袖志の漁業は海産物の採集が主であり、漁船を使う漁業とは形態が異なることが理由しているのでしょうか。

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(左)間主神社。(右)袖志分校跡地。

 

「日本の棚田百選」に選定されている「袖志の棚田」は約400枚の棚田からなりますが、かつては約600枚の棚田があったそうです。狭い棚田から耕作放棄されているようであり、傾斜のきつい川べりに放棄田が多いようです。

同じく丹後地方の伊根町には「新井の千枚田」があり、1枚当たりの面積の小ささでは全国屈指だとされますが、2019年(令和元年)にはついに休耕田となってしまったらしい。

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(左)石垣が積まれた棚田。(右)耕作放棄された棚田。

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(左)防衛庁のマンホール。(右)航空自衛隊経ヶ岬分屯基地入口のフェンス。

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(写真)要所で説明する小林さんと話を聞く参加者。

 

万福寺で住職の村上正宏さんに話を聞きました。村上さんは40年以上にわたって寺報「月刊万福寺」を発行しており、2018年(平成30年)には「月刊万福寺」が500号に到達したという新聞記事も掲載されました。「月刊万福寺」には袖志や宇川地域の歴史に関するコラムも掲載されており、Wikipedia編集にも活用させていただきました。村上さんは『袖志の概観』(1975年頃)、『丹後町 みてあるき 丹後半島』(1983年)、『ぶらりスケッチ丹後町』(1990年)なども執筆しています。

万福寺は間主神社や袖志分校と同じ段丘面にあります。集落の民家がある面よりも一段高く、境内からはやはり日本海を見渡せますが、冬季には強風が直撃するため、本堂に囲いがしてあります。集落の民家がある低位面にいると風をほとんど感じず、万福寺が集落の中で良い立地にあるのかどうかは判断が難しいと感じました。

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(写真)万福寺住職の村上さん。

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(左)村上さんが載った新聞記事。(右)万福寺からの日本海経ヶ岬の眺め。

 

万福寺の後は約600m離れた穴文殊まで参加者各自の車で移動し、航空自衛隊経ヶ岬分屯基地在日米軍経ヶ岬通信所に挟まれた複雑な場所にある穴文殊を見学しました。経ヶ岬通信所は近畿地方唯一の在日米軍施設であり、北朝鮮や中国やロシアを向いたミサイル防衛用レーダー「Xバンドレーダー」が配備されています。

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(写真)穴文殊分屯基地/通信所の位置関係。Google maps

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(左)航空自衛隊経ヶ岬分屯基地。(中)穴文殊。(右)在日米軍経ヶ岬通信所のXバンドレーダー。

 

まちあるきは穴文殊で終了。各自の車で3km離れた久僧地区に移動し、宇川アクティブライフハウスでキッチン高嶋の弁当を食べた後、午後には宇川アクティブライフハウスの講堂でWikipediaの編集を行いました。

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(左)宇川アクティブライフハウス。(右)キッチン高嶋の弁当。

 

 

3. Wikipedia編集

疑問点などがあるときにはすぐに質問できるように、村上さんは午後の編集にも参加してくださっています。午後には龍谷大学政策学部今里ゼミの学生も参加。今里ゼミは宇川の魅力発信などの活動を行っており、この4月には宇川スマート定住促進協議会と協力して編集した観光パンフレット「うかわたび」が発行されました。

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(写真)漱石の猫さんによるウィキペディア編集の注意。手前は村上さん。

 

3.1 編集記事

袖志 - Wikipedia(新規作成) - 4月13日にWikipediaのメインページに掲載。

穴文殊 - Wikipedia(新規作成) - 4月18日にWikipediaのメインページに掲載。

袖志の棚田 - Wikipedia(新規作成) - 4月16日にWikipediaのメインページに掲載。

袖志の海女 - Wikipedia(新規作成) - 4月15日にWikipediaのメインページに掲載。

袖志海苔 - Wikipedia(新規作成)

袖志漁港 - Wikipedia(加筆)

 

プレイベントも含めて2021年(令和3年)に5回開催される「ウィキペディアタウン宇川」では、地区そのものの記事と地区にある事物の記事を編集します。今回は「袖志」という地区記事と、袖志に関する5記事を編集しました。歴史、地理、民俗、文化とバランスが良く、かつ一癖ある題材ばかりだったのが楽しかった。

・「穴文殊」の原義は海食洞の名称ですが、海食洞の上にある寺院を指すことが多いので、記事の構成力が試されます。

・「袖志の棚田」は近年の保全活動などが盛んに報じられていますが、より本質的な情報を得るのが難しい。棚田の形状や面積などについて、段丘や棚田の形成過程などについて加筆したいところです。

・「袖志の海女」は『日本残酷物語』に登場することからもわかる通り、当事者たちが語りたくない実情もあるようです。

・「袖志」の地区記事は在日米軍問題をどこまで掘り下げて書くかが難しい。情報を得やすい新聞記事では在日米軍通信所の存在に否定的な意見が圧倒的ですが、時間が経たないと正解の見えない問題です。

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(左)準備された文献。(右)編集中の参加者。