(写真)的山荘の主屋。重要文化財。
2024年(令和6年)3月、大分県速見郡日出町(ひじまち)を訪れました。かつて日出町には映画館「日映館」と「松竹映劇」がありました。「日出町立図書館を訪れる」に続きます。
1. 日出町を訪れる
1.1 日出町の町並み
近世のこの地域は日出藩3万石の城下町(日出城)でした。別府湾を望む段丘上に旧市街地が形成されています。
(写真)札ノ辻の北西角にある建物。
2015年(平成27年)に日出町教育委員会が発行した『ふるさと日出の歴史』には、1921年(大正10年)頃の「日出町中心街商家配置図」が掲載されています。
東西に延びる街道沿いには西から本町、新町、魚棚、髪剃町があり、北側に並行する通りには西から裏町、北横町、寺町が、南側に並行する通りには下町があります。札ノ辻の南北には北横町と南横町があり、南北の町としては仲ノ町、新町、東横町もあります。
(地図)1921年頃の「日出町中心街商家配置図」。『ふるさと日出の歴史』日出町教育委員会、2015年。
1.2 日出若宮八幡神社
旧市街地の東端には日出若宮八幡神社があります。日出藩の歴代藩主から崇敬された神社であり、元禄16年(1703年)建立の楼門が日出町指定文化財であるほか、2016年(平成28年)には歴代藩主から寄進された鳥居4基と石灯籠8基も日出町指定文化財となっています。
各地の神社を訪れる際には鳥居や石灯籠の裏側に刻まれている寄進年を確認しますが、寄進者が藩主であることはなかなかない。日出町教育委員会が設置した説明看板には各鳥居&灯籠の位置も示してあって親切です。
この2024年(令和6年)4月には日出若宮八幡神社 - Wikipediaを作成しました。
(写真)日出若宮八幡神社。
(写真)日出藩主が寄進した石灯籠。日出町指定文化財。
(写真)日出町指定文化財の石鳥居と石灯籠の位置図。
(写真)日出町指定文化財の石鳥居と石灯籠の説明看板。
1.3 的山荘(国重文)
江戸時代の史跡としては日出城跡がありますが、近代の史跡としては成清博愛 - Wikipediaの別邸である的山荘(てきざんそう)があります。
主屋の建物内では城下かれいなどを出す割烹料理店が営業しており、現在は日出町が指名した企業が経営していますが(指定管理者)、もとは成清家が割烹料理店の経営者だったようです。庭園部分は自由に見学可能。主屋など6棟が重要文化財に指定され、庭園が登録記念物に登録されています。
(写真)的山荘の北離れ。重要文化財。
(写真)的山荘庭園。登録記念物。
(写真)的山荘の説明看板。
(写真)城下かれいの鏝絵。
2. 日出町の映画館
2.1 松竹映劇(1923年頃-1962年頃)
所在地 : 大分県速見郡日出町(1962年)
開館年 : 1923年頃
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1954年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1956年の映画館名簿では「暘谷館」。1958年の映画館名簿では「日出松竹座」。1960年・1962年の映画館名簿では「松竹映劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「二階堂酒造」西南西30mの「大石内科」。
各年版の映画館名簿には、日出町の映画館として2館が掲載されています。年度によって名称が変化しているのがややこしいですが、大正時代に開館して「松竹映劇」などと呼ばれていた映画館と、戦後に開館して「日映館」などと呼ばれていた映画館です。
(写真)日映と松竹映劇が掲載されている『映画便覧 1961』。
二階堂酒造があるブロックの中央部、通りからやや奥まった場所に松竹映劇がありました。1962年(昭和37年)の別府市住宅地図附日出豊岡では 「松竹座」として描かれています。
(写真)松竹座が描かれている1962年の『別府市住宅地図附日出豊岡』。大分県立図書館所蔵。
松竹映劇の跡地には大石内科が建っています。松竹映劇が面していた通りは緩やかにカーブしながら下っており、東方には日出若宮八幡神社の鳥居が見えます。
(写真)松竹映劇の跡地にある大石内科医院。
(写真)松竹映劇が面していた通り。奥は日出若宮八幡神社。
2.2 日映館(1953年頃-1963年)
所在地 : 大分県速見郡日出町(1965年)
開館年 : 1953年頃
閉館年 : 1963年
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1954年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「日出日劇」。1958年の映画館名簿では「日映劇場」。1960年の映画館名簿では「日映」。1963年・1964年の映画館名簿では「日出東映」。1965年の映画館名簿では「日出松竹」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はアパート「第2臼杵コーポ」。
日出町における後発の映画館が日映館であり、1962年(昭和37年)の別府市住宅地図附日出豊岡では 「日映」として描かれています。
1921年(大正10年)頃の「日出町中心街商家配置図」では蛭子屋醤油が描かれていた場所でした。この商家配置図には蛭子屋酒造も描かれていますが、1927年(昭和2年)には成清家の成清信愛 - Wikipediaが経営者となって成清酒造場に改称したようです。住宅地図に書かれた「的山」は成清酒造場の銘柄です。
(写真)日映が描かれている1962年の『別府市住宅地図附日出豊岡』。大分県立図書館所蔵。
日映館の跡地には緑色のアパートが建っています。
(写真)日映館の跡地にあるアパート。
(写真)日映館が面していた通り。右が日映館の跡地。左は西教寺。
(写真)1956年の航空写真における日出町の映画館。地図・航空写真閲覧サービス
日出町の映画館について調べたことは「大分県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(大分県版)」にマッピングしています。