(写真)京丹後市の離村・廃村を主題としている文献『消えない村』と『小脇の子安地蔵さん』。
2021年(令和3年)11月14日、京都府京丹後市丹後町宇川地区で開催された「ウィキペディアタウン宇川vol.3 宇川の離村・廃村」に参加しました。
1. イベント概要
京丹後市丹後町の宇川地域は丹後半島の北端部にある地域。宇川地域で地域活性化に関する取り組みを行っている宇川スマート定住促進協議会、丹後地方でWikipediaなどを通じた情報発信を行っているedit Tangoによるイベントであり、2月13日に開催されたプレ、4月10日に開催されたvol.1(テーマは袖志)、7月26日に開催されたvol.2(テーマは宇川のアユ)に次いで4回目のイベントです。
戦後の高度経済成長期には丹後半島の各地で離村・廃村が相次ぎました。丹後町の山間部も例外ではなく、戦後には少なくとも11集落が廃村となっています。今回は「宇川の離村・廃村」がテーマ。丹後町小脇(1963年廃村)、丹後町三山(1974年廃村)、丹後町立虎杖小学校(1991年閉校)を訪れて話を聞いた後に、これらの地域に関するWikipedia記事を作成しました。
1.1 スケジュール
午前
(写真)丹後町鞍内。
2. 離村集落を訪れる
丹後町鞍内から宇川を上流に向かうと、まず1991年(平成3年)に閉校となった丹後町立虎杖小学校が、次いで現役の関西電力小脇発電所があります。小脇発電所付近で道路が分岐しており、南に向かうと丹後町小脇、東に向かうと丹後町三山です。
(写真)1964年の航空写真における丹後町小脇・丹後町三山・虎杖小学校。
2.1 丹後町小脇(1963年廃村)
丹後半島における離村・廃村を誘発した出来事として、1963年(昭和38年)1月の昭和38年1月豪雪 - Wikipedia(三八豪雪)が挙げられます。三八豪雪の際には小脇や三山で積雪600センチを記録したそうです。
小脇は宇川地区で廃村となった集落の中では最も下流に位置する集落ですが、現地を訪れてみるとほとんど平地がなく、車を止めるのにも苦労するような集落でした。奥様が小脇出身だという三宅保さんによると、三宅さんが結婚した1958年(昭和33年)には11世帯があったとのこと。三八豪雪と同年に廃村となったとする文献が複数ありますが、その後も1世帯(織戸信治氏夫妻)は1989年(平成元年)まで居住していたようです。
(写真)小脇の集落中心部。
(左・右)小脇の集落中心部。右は1993年建立の「小脇乃里由来碑」。
(写真)三宅保さん(中央)の話を聞く参加者。
「小脇乃里由来碑」の東側には入母屋屋根の民家があります。2000年代に撮影された写真では建物の形状を保っており、その後柱が崩れて崩壊したようです。手入れされなくなった木造家屋のもろさを感じます。この民家と同一面上には2棟の土蔵がありますが、こちらは冬の厳しさにも耐えていました。
(写真)小脇の集落中心部。
(左)1964年の航空写真における小脇。(右)現在の航空写真における小脇。
2.2 丹後町三山(1974年廃村)
丹後町三山は丹後町小脇とはかなり雰囲気が異なりました。比較的広い平地があり、もともと小脇よりも多くの居住者がいたようです。1974年(昭和49年)は最後まで残った12戸が集団移住して廃村となりましたが、1990年(平成2年)以後にはキリスト教系団体によってコテージが新築されるなどしており、この日も作業を行っている方が複数おりました。
(写真)三山の集落中心部。
(左)三山の集落中心部。(右)三山から碇高原に至る道路。
(写真)1975年建立の石碑「三山之跡」。
(左)1964年の航空写真における三山。(右)現在の航空写真における三山。中央の数棟は新築されたコテージ。
2.3 京丹後市立虎杖小学校(1991年閉校)
丹後町鞍内・小脇・三山・乗田原・竹久僧の5集落の児童が通っていた小学校として丹後町立虎杖小学校(いたどりしょうがっこう)があります。1963年(昭和38年)1974年(昭和49年)までに小脇・竹久僧・乗田原・三山の4集落が相次いで廃村となっており、1975年(昭和50年)から1991年(平成3年)までは鞍内の児童のみが通う小学校だったようです。三八豪雪で木造校舎が崩壊したため、1964(昭和39年)に現在の鉄筋コンクリート造校舎が建築されています。
(写真)虎杖小学校の校舎。
(写真)虎杖小学校の通学路。
(写真)弁当。
3. Wikipediaを編集する
3.1 準備された文献
編集会場となった宇川アクティブライフハウスには、丹後半島の離村・廃村を主題とする文献が多数準備されていました。京都府立図書館や京丹後市立図書館や京都府立久美浜高校図書館の蔵書に加えて、「丹後半島における廃村現象の地理学的考察」『人文地理』(第18巻第6号、1966年)などの雑誌論文もありました。
公共図書館のOPACで "小脇" や "三山" と検索しただけでは出てこない文献も多く、また大学図書館等でなければ所蔵していない学術雑誌の文献も。事前に編集記事を絞っているからこその文献の集め方だとは思いますが、毎回これだけの文献を準備していることには頭が下がります。
(左)京丹後市の離村・廃村を主題としている文献『消えない村』と『小脇の子安地蔵さん』。(右)京丹後市の離村・廃村を主題としている雑誌論文など。
(左)『角川日本地名大辞典』などの参考図書や『丹後町史』などの自治体史。(右)『京丹後市の歴史』などの書籍。
3.2 編集した記事
今回のイベントではWikipediaに「丹後町の離村・廃村」と「丹後町立虎杖小学校」の2記事を新規作成しています。「丹後町の離村・廃村」についてはWikipediaの熟練編集者が骨格となる記事を投稿した後、各参加者が小脇や三山などの集落ごとに役割分担して加筆を行っています。
私は廃村となった集落の座標をプロットした地図を前日に作成し、編集時間の序盤には撮影した写真をWikimedia Commonsに多数アップロードしています。その後は「丹後町立虎杖小学校」の新規作成を行い、また閲覧可能性を高めるために「丹後町」や「宇川 (地名)」などに作成記事のリンクを貼りました。今回作成した記事については今後edit Tangoが主催する編集イベントでも加筆修正を行っていくようです。
丹後町の離村・廃村 - Wikipedia(新規作成)
丹後町立虎杖小学校 - Wikipedia(新規作成)
(写真)編集中の参加者。
(写真)編集中の参加者。