振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

丸亀市の映画館

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(写真)丸亀日本劇場や丸亀銀映の跡地でもあるJR丸亀駅

2021年(令和3年)8月、香川県丸亀市を訪れました。

丸亀市立中央図書館を訪れる」からの続きです。かつて丸亀市には「丸亀プラザ劇場・丸亀東映劇場」、「丸亀銀映」、「丸亀日本劇場」、「丸亀パレス北浜劇場」、「丸亀有楽座」、「丸亀蓬莱館」、「地球館」の7施設8館の映画館がありました。

ayc.hatenablog.com

 

1. 丸亀市の映画館

映画黄金期である1960年(昭和35年)の丸亀市には7館の映画館がありました。同年の丸亀市の人口は約6万3000人。約6万6000人の坂出市とほぼ同等であり、映画館数も坂出市と同じでした。

坂出市では郊外の林田町・高屋町・加茂町・王越町などに映画館がある時期もありますが、丸亀市の映画館は中心市街地のみであり、丸亀市のほうが中心市街地への吸引力が強かったようです。ただし、丸亀市には映画館が密集した映画館街は存在せず、国鉄丸亀駅やアーケード商店街の周辺に散らばっていました。

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(写真)1960年の映画館名簿。『映画便覧 1960』時事通信社、1960年。

 

1962年(昭和37年)の航空写真を見ると、通町商店街、富屋町商店街、本町商店街、浜町商店街、浜町ガレリアの5本の商店街にはすでに全蓋式アーケードが設置されています。2013年(平成25年)には富屋町商店街のアーケードが撤去されましたが、他の4商店街のアーケードは現在も健在です。

丸亀市の映画館史やそれぞれの映画館の沿革がわかる文献として、数ページのパンフレットではありますが『丸亀の映画文化史展』丸亀市立資料館、1996年があります。

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(写真)1962年の丸亀市街地にあった映画館。地図・航空写真閲覧サービス

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(地図)現在の丸亀市街地。Google My Maps

 

1.1 地球館(1920年-1960年)

所在地 : 香川県丸亀市浜町3(1960年)
開館年 : 1920年2月20日、1948年7月
閉館年 : 1960年
1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「地球館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ホテルアルファーワン丸亀」北東50mにある月極駐車場。最寄駅はJR予讃線丸亀駅

住宅地図が刊行されていない年代の丸亀市にあった商店などの場所がわかる文献として、1940年(昭和15年)や1952年(昭和27年)の『大日本職業別明細図』があります。1940年版には浜町ガレリアと浜町商店街に挟まれた部分に地球館が描かれており、正確な跡地ははっきりしませんが、現在は月極駐車場がある部分ではないかと思われます。

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(地図)1940年の『大日本職業別明細図』。中央上に「地球館」と「蓬莱館」。左下に「日本館」(後の丸亀日本劇場)と「帝国館」(後の丸亀銀映)。

 

1.2 丸亀蓬莱館(1932年10月-1965年)

所在地 : 香川県丸亀市通町161(1966年)
開館年 : 1932年10月
閉館年 : 1965年
『全国映画館総覧 1955』によると1932年10月開館。1940年の日本商工業別明細図では「蓬莱館」。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「蓬莱館」。1966年の映画館名簿では「丸亀蓬莱館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「吉田病院」南西80mにある工事用地。最寄駅はJR予讃線丸亀駅

1940年(昭和15年)や1952年(昭和27年)の『大日本職業別明細図』には蓬莱館が描かれています。全蓋式アーケードの通町商店街の北端部近くにあり、松竹や東映の上映館だったようです。1965年(昭和40年)に閉館すると、跡地には長らくスーパーがあり、現在は工事用地となっています。

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(地図)1952年の『大日本職業別明細図』。中央右に「蓬莱館」。

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(写真)通町商店街。左端の工事用地が丸亀蓬莱館跡地。

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(写真)通町商店街の北端部。

 

1.3 丸亀有楽座(1950年代後半-1980年代初頭)

所在地 : 香川県丸亀市浜町80(1980年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1980年以後1982年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「丸亀文化劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年・1980年の映画館名簿では「丸亀有楽座」。1982年・1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「丸亀市立中央図書館」建物南西部。最寄駅はJR予讃線丸亀駅

1950年代後半には国鉄丸亀駅の駅前に丸亀文化劇場が開館。1964年(昭和39年)頃には富屋町にあった有楽座が丸亀文化劇場跡地に移転します。有楽座は1980年代初頭に閉館し、跡地は丸亀市立中央図書館となっています。旧有楽座の正確な場所はわかりません。

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(写真)丸亀有楽座跡地にある丸亀市立中央図書館。

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(地図)1972年の住宅地図。中央左に「有楽座」。

 

1.4 丸亀パレス北浜劇場(1960年代初頭-1985年頃)

所在地 : 香川県丸亀市通町173(1985年)
開館年 : 1960年以後1963年以前
閉館年 : 1985年頃
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「パレス北浜劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「丸亀パレス北浜劇場」。1986年・1988年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「平田歯科医院」。最寄駅はJR予讃線丸亀駅

国鉄予讃線の北側にあった丸亀唯一の映画館が丸亀パレス北浜劇場です。丸亀パレス北浜劇場が最後に掲載されている1985年(昭和60年)の映画館名簿によると、経営会社は丸亀東映劇場と同じ丸亀東映有限会社、250席、上映作品は東宝・松竹・成人映画でした。東映作品は丸亀東映劇場で、洋画は丸亀プラザ劇場で上映し、その他の作品をすべて引き受けていたようです。

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(写真)丸亀パレス北浜劇場跡地にある平田歯科医院。

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(地図)1972年の住宅地図。中央上に「パレス北浜劇場」。

 

1.5 丸亀日本劇場(1915年-1986年)

所在地 : 香川県丸亀市新町6-3(1986年)
開館年 : 1915年10月
閉館年 : 1986年
『全国映画館総覧 1955』によると1915年10月開館。1940年の日本商工業別明細図では「日本館」。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「日本劇場」。1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「丸亀日本劇場」。1988年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「JR丸亀駅」構内の「ニッポンレンタカー丸亀駅営業所」付近。最寄駅はJR予讃線丸亀駅

丸亀日本劇場が最後に掲載されている1986年(昭和61年)の映画館名簿によると、経営会社は丸亀銀映と同じグランド劇場、経営者が辻清治、支配人が辻茂一、木造1階、400席、上映作品はにっかつ・洋画でした。1980年代の丸亀市では丸亀東映有限会社(丸亀東映劇場と丸亀プラザ劇場と丸亀パレス北浜劇場)と株式会社グランド劇場(丸亀日本劇場と丸亀銀映)の2社が5館の映画館を経営していました。

丸亀駅の高架化工事にともなって1986年(昭和61年)に閉館。1987年(昭和62年)に高架化が完成した際には駅がやや北側に移動しており、丸亀日本劇場の跡地は駅構内となっています。

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(写真)丸亀プラザ劇場・丸亀東映劇場跡地にあるJR丸亀駅。右端の店舗付近に日本劇場が、2台のタクシー左の店舗付近に丸亀銀映があった。

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(地図)1972年の住宅地図。中央に「日劇」。中央右に「銀映」。

 

1.6 丸亀銀映(1923年-1986年)

所在地 : 香川県丸亀市新町1-6(1986年)
開館年 : 1923年5月
閉館年 : 1986年
『全国映画館総覧 1955』によると1923年5月開館。1940年の日本商工業別明細図では「帝国館」。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「銀映劇場」。1958年の映画館名簿では「丸亀東宝劇場」。1960年・1966年・1969年・1980年・1985年・1986年の映画館名簿では「丸亀銀映」。1988年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「JR丸亀駅」構内の「セブンイレブンKioskおみやげどころ丸亀店」付近。最寄駅はJR予讃線丸亀駅

丸亀銀映が最後に掲載されている1986年(昭和61年)の映画館名簿によると、経営会社は丸亀日本劇場と同じグランド劇場、経営者が辻清治、支配人が辻茂一、木造1階、320席、上映作品は成人映画でした。丸亀駅の高架化工事にともなって1986年(昭和61年)に閉館。1987年(昭和62年)に高架化が完成した際には駅がやや北側に移動しており、丸亀銀映の跡地は駅構内となっています。

 

1.7 丸亀プラザ劇場・丸亀東映劇場(1950年代後半-1999年)

所在地 : 香川県丸亀市魚屋町5(1998年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1999年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「丸亀東映劇場」。1973年・1976年の映画館名簿では「丸亀プラザー・丸亀東映劇場」(2館)。1980年・1985年・1990年・1995年・1998年の映画館名簿では「丸亀プラザ劇場・丸亀東映劇場」(2館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。丸亀市最後の映画館。跡地は「吉田病院」建物東側。最寄駅はJR予讃線丸亀駅

1950年代後半に開館した丸亀東映劇場は、建て替えを経験している丸亀市唯一の映画館だと思われます。1970年代初頭に4階建てのビルに建て替え、閉館時には1階に丸亀東映劇場が、3階に丸亀プラザ劇場が入っていました。

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(写真)丸亀プラザ劇場・丸亀東映劇場跡地にある吉田病院。

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(地図)1972年の住宅地図。中央右に「2Fキッサ桜 3F丸亀東映 4Fぼてじゅ」。

 

丸亀市の映画館について調べたことは「香川県の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(中国・四国版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com

丸亀市立中央図書館を訪れる

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(写真)丸亀市立中央図書館。2017年5月。

2021年(令和3年)8月、香川県丸亀市丸亀市立中央図書館を訪れました。「丸亀市の映画館」に続きます。

 

1. 丸亀市立中央図書館

1.1 図書館の歴史

丸亀市立図書館 - Wikipediaによると、戦前の丸亀市には香川県教育会丸亀市教育部会が運営する図書館として私立丸亀市図書館があり、戦後の1947年(昭和22年)に丸亀市に移管されて丸亀市立図書館となったようです。1965年(昭和40年)には新館が開館、1972年(昭和47年)にはより規模の大きな建物に移転し、1991年(平成3年)には谷口吉生が設計した現行館に移転しています。

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(写真)1930年の私立丸亀市図書館。『ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 丸亀』 国書刊行会、1979年。

 

1.2 図書館の館内

丸亀市立図書館は丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)に併設されており、建物の西側が図書館、東側が美術館になっています。美術館は巨大な箱が口を開けたような外観で目立ちますが、図書館部分は建物の "裏側" のような印象を受け、入口も目立ちません。

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(写真)屋外から見た図書館内。2021年8月。

 

図書館の天井・床面・書架は銀色(灰色)でまとめられており、1991年(平成3年)の当時は未来的な印象だったと思われます。同時代の愛知県に開館した図書館には刈谷市中央図書館(1990年)や東浦町中央図書館(1991年)や長久手市中央図書館(1992年)などがありますが、丸亀市立中央図書館とはかなり印象が異なります。

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(写真)一般書の書架。2021年8月。

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(左)新刊コーナー。2021年8月。(右)文芸書の書架。2021年8月。

参考:同時代に開館した愛知県の図書館の館内

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(左)1990年に開館した刈谷市中央図書館。(中)1991年に開館した東浦町中央図書館。(右)1992年に開館した長久手市中央図書館。

 

AVコーナー・雑誌コーナー・新聞コーナーなどは30年前の図書館とは思えないほど洗練された印象を受けます。とはいえ、ガラス張りで丸見えのテレビ、あまりにも低い雑誌書架などが利用者から評判が良いとは思えません。

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(写真)AVコーナー。2021年8月。

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(左)雑誌コーナー。2021年8月。(右)新聞コーナー。2021年8月。

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(写真)郷土資料コーナー。2017年5月。

 

琴平町の映画館

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(写真)JR土讃線琴平駅

2021年(令和3年)8月、香川県仲多度郡琴平町を訪れました。かつて琴平町には「琴平松竹」、「琴平希望館」、「日本館」、「寿座」、「金丸座」の5館の映画館がありました。金丸座は琴平町のシンボルである旧金毘羅大芝居 - Wikipediaの別名であり、建物は移築されて現存しています。

 

1. 琴平町を訪れる

琴平町金刀比羅宮 - Wikipediaこんぴらさん)の門前町として栄えた町であり、鉄道は高松方面からことでん琴平線が、丸亀方面からJR土讃線が通じています。金刀比羅宮の東側には土産物店や旅館が並ぶ表参道があり、表参道は金倉川を渡るとアーケードの新町商店街に、郊外に出ると金毘羅街道に名を変えます。

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(写真)金刀比羅宮の表参道。

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(写真)琴平町公会堂。登録有形文化財

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(写真)琴平町中心部の通り。

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(写真)新町商店街の西端。

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(左)新町商店街の垂れ幕。(右)新町商店街の内部。

 

 

2. 琴平町の映画館

かつて琴平町には「琴平松竹」、「琴平希望館」、「日本館」、「寿座」、「金丸座」の5館の映画館がありました。日本の映画館数が最も多かった1960年(昭和35年)の映画館名簿には5館すべてが掲載されています。

琴平町は人口の割に映画館が多かった自治体であり、4路線もあった鉄道などで周辺町村からも観客を集めていたのでしょう。前島裕美『香川県仲多度郡琴平町新地遊廓周辺の復原』『お茶の水地理』42号、2001年には「映画館が地元琴平の人々のための娯楽であったのに対し、先述の芸者、そして新地の特殊飲食店は、門前町ゆえの参詣客を相手とした施設であった。」とあり、金刀比羅宮への参詣者の存在が映画館数の多さにつながっていたわけではないようです。

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(写真)琴平町の5館が掲載されている1960年の映画館名簿。『映画便覧 1960』時事通信社、1960年。

 

しかし、1954年(昭和29年)には琴平急行電鉄線が廃線となり、1963年(昭和38年)には琴平参宮電鉄線が廃線となっています。1960年代中頃には映画館が琴平松竹と琴平希望館の2館となり、1970年代初頭には琴平松竹が閉館して琴平町から映画館がなくなります。

全盛期の映画館数の割には映画館の消滅が早い。1970年代初頭以後、琴平町から最も近い映画館は善通寺市の「善通寺キリン劇場」と「善通寺世界館」となり、善通寺世界館は1988年(昭和63年)まで、善通寺キリン劇場は1994年(平成6年)まで営業しています。

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(写真)1962年の琴平市街地にあった映画館。地図・空中写真閲覧サービス

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(地図)琴平町の映画館。Google My Maps

 

2.1 金丸座(1835年-1960年代初頭)

所在地 : 香川県仲多度郡琴平町758(1960年)
開館年 : 1835年10月9日
閉館年 : 1960年以後1963年以前
Wikipedia旧金毘羅大芝居
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1930年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「金丸座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1970年重要文化財指定。1976年現在地移築。

琴平町のシンボルとして芝居小屋の旧金毘羅大芝居があり、金丸座という別名でも知られています。天保6年(1835年)に建てられた旧金毘羅大芝居は、日本に現存する最古の芝居小屋。1970年(昭和45年)に重要文化財に指定されると、1976年(昭和51年)に現在地に移築されています。

現在は歌舞伎の興行が行われる芝居小屋として知られていますが、昭和20年代・30年代はもっぱら映画館だったようで、『映画館名簿』には1930年から1960年代初頭まで金丸座が掲載され続けています。1960年版の『映画館名簿』によると定員は950であり、東映作品を上映していました。現在の座席定員は約740人だそうです。

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(写真)金丸座が掲載されている1930年の映画館名簿。『日本映画事業総覧 昭和5年版』 国際映画通信社、1930年。

 

旧金毘羅大芝居では2020年(令和2年)10月から2022年(令和4年)3月まで「令和の大改修」が行われています。

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(写真)2021年8月の旧金毘羅大芝居(金丸座)。長期休館中。

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(写真)2010年の旧金毘羅大芝居(金丸座)。663highland - Wikimedia Commons

 

1976年(昭和51年)に旧金毘羅大芝居が現在地に移転した後、跡地には琴平町立歴史民俗資料館が建設されました。敷地内には「旧金毘羅大芝居跡地」の石碑が建っています。

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(左)琴平町立歴史民俗資料館。旧金毘羅大芝居(金丸座)の移築前の所在地。(右)跡地を示す石碑。

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(写真)1976年の琴平市街地。移築後の旧金毘羅大芝居(金丸座)。地図・空中写真閲覧サービス

 

2.2 寿座(1950年代初頭-1964年頃)

所在地 : 香川県仲多度郡琴平町(1964年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「寿座」。1958年・1960年の映画館名簿では「寿劇場」。1963年・1964年の映画館名簿では「寿座」。1965年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。

琴平町の中心部から金毘羅街道を1.2km北東に向かうと、中国銀行琴平支店がある交差点の南東側に寿座があったようです。寿座が掲載されている最後の『映画館名簿』は1964年版であり、経営者が西本信子、支配人が横関美智子、定員360、上映作品は邦画となっています。

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(写真)1962年の寿座。地図・空中写真閲覧サービス

 

2.3 日本館(1950年代後半-1964年頃)

所在地 : 香川県仲多度郡琴平町(1964年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1964年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「日本館」。1964年の映画館名簿では経営者が西本勝太郎、支配人が豊島綾信、木造2階、定員400、邦画を上映。1965年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。

日本館が掲載されている最後の『映画館名簿』は1964年版であり、経営者が西本勝太郎、支配人が豊島綾信、定員400、上映作品は邦画となっています。日本館は琴平希望館の北西にあったようです。

 

2.4 琴平希望館(1913年-1970年9月)

所在地 : 香川県仲多度郡琴平町266(1970年)
開館年 : 1913年
閉館年 : 1970年9月
『全国映画館総覧 1955』によると1913年8月開館。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「希望館」。1963年・1964年の映画館名簿では「琴平東映」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「琴平希望館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ことでん琴平線琴平駅」南南東140mにある駐車場。最寄駅はことでん琴平線琴平駅

1913年(大正2年)に映画館として開館した際の名称は「金陵座」。1938年(昭和13年)に田中絹代主演の『愛染かつら』が上映されたのは金陵座だそうです。1955年(昭和30年)に公募によって「希望館」に改称。希望館が掲載されている最後の『映画館名簿』は1970年版であり、経営者が詫間勝市、支配人が山路正雄、定員320、上映作品は大映・日活・松竹となっています。

希望館と琴平松竹の間のエリアはかつて琴平栄遊郭だった場所であり、前島裕美『香川県仲多度郡琴平町新地遊廓周辺の復原』『お茶の水地理』42号、2001年には映画館と遊郭(赤線)の位置関係がわかる図が掲載されていました。松竹座と日本館の位置は1軒分程度ずれているように思われますが、遊郭を囲むように3館の映画館があったことがわかります。

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(写真)戦後の赤線時代の希望館・松竹座・日本館周辺。前島裕美『香川県仲多度郡琴平町新地遊廓周辺の復原』『お茶の水地理』42号、2001年。

 

希望館は1970年(昭和35年)9月に閉館し、現在の跡地は月極駐車場となっています。金陵座/希望館時代から西隣にあった栄稲荷は現在も残っています。琴平栄遊郭の名残を示すものとして現役のソープランドがあります。

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(写真)琴平希望館跡地の駐車場。

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(左)琴平希望館跡地の駐車場と面する富士見町通り。(右)逆方向から見た富士見町通り。左はカラオケスナック白夜、右はソープランド ジャックと豆の木

 

2.5 琴平松竹(1956年-1970年代初頭)

所在地 : 香川県仲多度郡琴平町(1970年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「琴平松竹」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は金倉川沿いの「琴平リバーサイドホテル」。最寄駅はことでん琴平線琴平駅

1970年版の『映画館名簿』によると、経営者・支配人ともに詫間勝市、定員300、上映作品は東宝東映・成人映画となっています。

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(写真)琴平松竹跡地にある琴平リバーサイドホテル。手前は金倉川に架かる栄橋。

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(写真)金倉川。右は琴平松竹跡地にある琴平リバーサイドホテル。

 

琴平町の映画館について調べたことは「香川県の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(中国・四国版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com

笠岡諸島の映画館

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(写真)北木島にあった光劇場の座席。Muscla3pin - Wikimedia Commons

2021年(令和3年)8月、岡山県笠岡市を訪れました。笠岡市街地沖合の笠岡諸島には、かつて北木島・白石島・神島に計5館の映画館があり、うち「光劇場」「白映館」「神映館」「港映劇場」は現存しています。「笠岡市立図書館を訪れる」「笠岡市の映画館」からの続きです。

※大福座も建物が現存しているといえるが、建物全体が映画館ではなかったので含めていません。

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1. 笠岡諸島の映画館

1950年代・60年代の『映画館名簿』に掲載されている笠岡諸島の映画館は「光劇場」のみ。しかし、2020年(令和2年)に刊行された『笠岡シネマ風土記』(世良利和、岡山文庫、日本文教出版)によると、白石島と神島にも映画館があったようです。

白石島の「白映館」はウェブ上で建物について言及されている方がいますが、北木島の「港映劇場」と「大福座」、神島の「神映館」はまったく知りませんでした。日本遺産のサイトなどには "北木島にあった映画館は4館" とあり、『笠岡市シネマ風土記』によると大浦郵便局北40mにある公園の場所とのことですが、情報量の少ない映画館であるためここでは取り上げていません。

笠岡市立図書館は1964年頃の『笠岡市住宅案内図』(日本住宅地図刊行会)を所蔵していますが、この住宅地図の範囲は笠岡市街地のみであり、笠岡諸島は含まれていません。

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(写真)2020年に刊行された岡山県の映画館本3冊。『笠岡シネマ風土記』、『シネマ・クレール物語』、『消えた映画館を探して』。

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(地図)笠岡諸島の映画館。Googleマイマップ

 

1.1 大福座(北木島、1955年頃-1963年頃)

所在地 : 岡山県笠岡市北木島町 民宿多喜2階
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1963年頃
映画館名簿には掲載されていない。跡地は「笠岡市北木島診療所」西北西60mにある「民宿多喜」廃墟。

北木島東岸の大浦集落、笠岡市北木島診療所の北西には「民宿多喜」の看板が掲げられた建物があります。『笠岡シネマ風土記』によるとこの建物の2階が映画館「大福座」だったとのこと。建物は小規模なので "映画の上映も可能な宿泊施設" 程度の位置づけだったのかもしれませんが、映写機とスクリーンを有していたのであれば立派な映画館ですね。

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(写真)2階に大福座があったとされる民宿多喜。Googleマップ

 

1.2 港映劇場(北木島、-1963年頃)

所在地 : 岡山県笠岡市北木島
開館年 : 1958年以前
閉館年 : 1963年頃
映画館名簿には掲載されていない。建物は「笠岡市立北木小学校」北西200mに「笠岡奥憲荘」として現存。

北木島北岸の金風呂集落には施設の再活用が模索されている映画館「光劇場」がありますが、光劇場の北東には「港映劇場」(OK劇場)も現存しているようです。Google マップYahoo! 地図などの各種ネット地図では、港映劇場の建物はプロパンガス会社の奥憲商店であるとされています。

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(写真)北木島金風呂集落における港映劇場の位置。Googleマップ

 

1.3 神映館(神島、1956年頃-1963年頃)

所在地 : 岡山県笠岡市神島外浦
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1963年頃
映画館名簿には掲載されていない。建物は「山本旅館」西北西100mに現存。

現在の神島 (笠岡市) - Wikipedia(こうのしま)は笠岡湾の干拓によって本土と陸続きになっていますが、1960年代までは独立した島だったこともあってこのページに掲載しています。神島港のすぐ近くに建物が現存しています。

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(写真)神島における神映館の位置。Googleマップ

 

1.4 白映館(白石島、1955年頃-1964年頃)

所在地 : 岡山県笠岡市白石島610
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1964年頃
映画館名簿には掲載されていない。食料雑貨店「あまのストア」の向かいに映画館の建物が現存。

白石島で唯一のスーパーであるあまのストアの向かいにはコンクリートの壁が見えますが、このコンクリートの構造物が「白映館」の建物であり、北端部には「白映」の2文字をデフォルメしたマークも刻まれています。

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(写真)白映館。Googleマップ

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(写真)白石島における白映館の位置。Googleマップ

 

1.5 光劇場(北木島、-1967年頃)

所在地 : 岡山県笠岡市北木島8203(1965年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1967年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「光映劇」。1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「光映画劇場」。1965年の映画館名簿では経営者・支配人ともに赤瀬光、木造2階、定員300、邦画を上映。1966年の映画館名簿には掲載されていない。建物は「笠岡市立北木小学校」西北西130mに見学施設「光劇場」として現存。

北木島は中近世から石材(北木石 - Wikipedia)の切り出しで栄えた島であり、採石場跡地に水が溜まって池となった丁場湖という独特な景観があります。

笠岡諸島最後の映画館「光劇場」は1967年(昭和42年)頃に閉館しますが、半世紀近く経った2014年(平成26年)頃から再生プロジェクトが行われており、現在は見学施設となっているようです。2019年(令和元年)には日本遺産 笠岡諸島の構成文化財として「光劇場」が選定されました。

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(写真)北木島金風呂集落における光劇場の位置。Googleマップ

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(写真)光映画劇場が掲載された映画館名簿。『映画便覧 1965』時事通信社、1965年。

 

2015年(平成27年)1月11日にはオープンデータ京都実践会などが協力し、北木島ウィキペディアタウン&マッピングパーティ「第1回北木島オープンデータソン」が開催されました。本記事冒頭の写真や以下の写真は、このイベントの際に参加者が撮影した写真です。なお、私がオープンデータ京都実践会のイベントに初参加したのは2014年(平成26年)12月のことでした。

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(写真)光劇場の屋根組。Muscla3pin - Wikimedia Commons

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(写真)光劇場の映写機。Muscla3pin - Wikimedia Commons

 

笠岡諸島の映画館について調べたことは「岡山県の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(中国・四国版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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