(写真)足利市街地。
2024年(令和6年)3月、栃木県足利市を訪れました。
「足利市の映画館(1)」からの続きです。「足利東映プラザ劇場を訪れる」に続きます。
ayc.hatenablog.com
ayc.hatenablog.com
2. 足利市の映画館
2.1 アサヒ松竹(1951年12月-1969年頃)
所在地 : 栃木県足利市伊勢町218(1969年)
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 1969年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年12月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「足利演舞場」。1960年・1963年の映画館名簿では「アサヒ松竹」。1966年の映画館名簿では「足利アサヒ松竹」。1969年の映画館名簿では「アサヒ松竹」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「群馬銀行足利支店」東隣の駐車場など。閉館後の土地区画整理事業で敷地が変化しているので参考程度に。
1951年(昭和26年)12月に足利演舞場として開館し、1959年(昭和34年)4月2日に経営者が交代してアサヒ松竹に改称しました。『キネマ旬報』によるとアサヒ松竹の経営者は東武鉄道内のアサヒ自動車映画部とのことですが、(東武足利市駅ではなく)最も国鉄足利駅に近い場所にあった映画館です。
(写真)アサヒ松竹の開館を報じる「映画館」『キネマ旬報』キネマ旬報社、1959年6月1日。
(地図)中央にアサヒ松竹が描かれた1968年の『足利市住宅地図』住宅地図出版。足利市立図書館所蔵。
映画館名簿によるとアサヒ松竹の閉館は1969年(昭和44年)頃。1963年(昭和38年)から1970年代には足利駅前土地区画整理事業が行われ、特にアサヒ松竹の北側の道路が大きく変化しています。跡地は群馬銀行足利支店と足利銀行東支店に挟まれた場所だと思われますが、厳密な跡地は定かではありません。。
(写真)土地区画整理事業におけるアサヒ松竹跡地周辺。『足利駅前土地区画整理事業』。
(写真)アサヒ松竹跡地周辺。
2.2 高砂館(1950年2月-1972年頃)
所在地 : 栃木県足利市足利通1丁目(1972年)
開館年 : 1936年以後1941年以前、1950年2月
閉館年 : 1972年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年2月開館。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1941年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「高砂館」。1966年の映画館名簿では「足利高砂館」。1969年・1970年・1971年・1972年の映画館名簿では「高砂館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はビジネスホテル「ルートイン足利駅前」南西80mの月極駐車場「通一丁目パーキング」東側。
(地図)右下に映画館タカサゴが描かれた1968年の『足利市住宅地図』住宅地図出版。足利市立図書館所蔵。
(地図)高砂館の跡地付近が描かれた1984年の『ゼンリン住宅地図』。
(写真)高砂館跡地の駐車場とJR両毛線の線路。
2.3 足利京王(1951年6月-1974年頃)
所在地 : 栃木県足利市足利通り2丁目(1974年)
開館年 : 1951年6月
閉館年 : 1974年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年6月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「足利劇場」。1955年・1958年の映画館名簿では「足利サン劇場」。1960年の映画館名簿では「京王劇場」。1963年・1966年・1969年・1973年・1974年の映画館名簿では「足利京王」。1975年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は中橋北詰にある「アベ中央ビル」建物西側。
1932年(昭和7年)の『足利市全図』には、渡良瀬川に架かる中橋の北詰に足利座が描かれています。1933年(昭和8年)の『足利大観』によると足利座は映画館ではなく劇場であり、郷土資料によると翌年の1934年(昭和9年)3月18日に焼失したようです。
終戦までの動向は定かでありませんが、戦後には足利座の跡地に足利劇場が開館しており、映画館名簿によると開館は1951年(昭和26年)6月のことです。1950年代後半にはサン興業が経営者となって足利サン劇場に改称し、1950年代末以降は京王劇場/足利京王として映画館名簿に掲載されています。経営者の京王映画は茨城県水戸市などで多数の映画館を経営していた京王グループの企業です。
(地図)中央下に足利座が描かれた1932年の『足利市全図』。足利市立図書館所蔵。
(地図)中央に足利京王劇場が描かれた1968年の『足利市住宅地図』住宅地図出版。足利市立図書館所蔵。
1977年(昭和52年)には足利京王の跡地にアベ中央ビルというマンションが竣工しました。県道に面した1階と2階に焦点が入る下駄ばきマンションであり、大半の店舗区画はシャッターが下りていますが、アベ中央ビルが建つ前からこの場所で営業していたマルケイ帽子店は現役の商店かもしれません。
(地図)足利京王の跡地付近が描かれた1984年の『ゼンリン住宅地図』。
(写真)足利京王跡地のアパート。
(写真)足利京王跡地のアパート。1977年1月8日竣工を示す定礎プレート。
2.4 足利末広劇場(1923年6月-1982年頃)
所在地 : 栃木県足利市通り4-2801(1982年)
開館年 : 1923年6月
閉館年 : 1982年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1923年6月開館。1925年・1927年・1930年の映画館名簿では「末広座」。1936年・1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「末広劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「末広館」。1966年の映画館名簿では「足利末広劇場」。1969年・1973年・1975年・1978年の映画館名簿では「末広劇場」。1980年・1982年の映画館名簿では「足利末広劇場」。1983年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「足利警察署織姫交番」南東80mにある駐車場。
1913年(大正2年)時点の足利郡足利町には劇場として足利座と末広座がありました。末広座はその後活動常設館に転向したようであり、昭和初期時点の足利市には映画アkんとして末広座、大成館、有楽館の3館がありました。市街地西側(通4丁目の末広館)、中央部(井草町の有楽館)、市街地東側(助戸町の大成館)と、足利市街地にはバランスよく映画館があったことになります。
(地図)中央に末広座が描かれた1932年の『足利市全図』。足利市立図書館所蔵。
1959年(昭和34年)の『足利市詳図』では旧国道50号(中央通り)沿いに末広劇場が描かれていますが、末広劇場がブロックの南東角から北東角に移転したわけではなく、『足利市詳図』の誤りだと思われます。
(写真)末広劇場や有楽館が描かれた『足利市詳図』人文社、1959年。
(地図)右下に末広劇場が描かれた1968年の『足利市住宅地図』住宅地図出版。足利市立図書館所蔵。
昭和30年代の足利市には8館の映画館がありましたが、メインストリートである旧国道50号に面していたのは足利スカラ座とアサヒ松竹のみであり、その他の映画館は旧国道50号から分岐する路地、旧国道50号に並行する裏通りにあったのは興味深い点です。末広劇場と足利東宝アサヒ座はいずれも裏通り沿いにありました。
(地図)足利末広劇場の跡地付近が描かれた1984年の『ゼンリン住宅地図』。
(写真)足利末広劇場跡地の駐車場。
(写真)足利末広劇場跡地とその周辺。
2.5 足利東宝アサヒ座(1956年頃-1994年頃)
所在地 : 栃木県足利市通り5-3213(1992年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1994年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「アサヒ座」。1966年の映画館名簿では「足利アサヒ座」。1969年・1973年・1975年・1978年の映画館名簿では「東宝アサヒ座」。1980年・1985年・1990年・1992年・1994年の映画館名簿では「足利東宝アサヒ座」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ローソン足利通五丁目店」南西40mにある駐車場。
足利市街地で最も西にあった映画館が東宝アサヒ座です。1956年(昭和31年)頃開館の後発の映画館であり、アサヒ松竹と同様に東武鉄道内のアサヒ自動車映画部が経営者だった点が特徴です。下の住宅地図右下には料亭の相洲楼がありますが、明治初期創業の相洲楼は2024年(令和6年)現在も現役です(公式サイト)。
(地図)中央に東宝アサヒ座が描かれた1968年の『足利市住宅地図』住宅地図出版。足利市立図書館所蔵。
(地図)中央に東宝アサヒ座が描かれた1984年の『ゼンリン住宅地図』。
(写真)足利東宝アサヒ座跡地の駐車場。
(写真)足利東宝アサヒ座が面していた路地。
2.6 足利スカラ座(1949年12月-1997年1月31日)
所在地 : 栃木県足利市通り3-2764(1995年)
開館年 : 1949年12月(ワンプラー劇場)、1956年(スカラ座)
閉館年 : 1997年1月31日
『全国映画館総覧 1955』によると1949年12月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「足利ワンプラー劇場」。1953年の映画館名簿では「ワンプラー劇場」。1955年の映画館名簿では「ワンプラ劇場」。1958年の映画館名簿では「ワンプラー劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「足利大映」。1966年・1969年の映画館名簿では「足利日活」。1973年・1975年の映画館名簿では「足利スカラ」。1978年・1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「足利スカラ座」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「足利商工会議所友愛会館」北西50mにある「足利商工会議所友愛会館第1駐車場」。
旧国道50号に面していた数少ない映画館が足利スカラ座です。1949年12月、大山呉服店の一部を用いたワンプラー劇場として開館し、経営者や上映作品が変わるとともに足利大映、足利日活、足利スカラ座と改称しています。
(地図)中央に足利日活が描かれた1968年の『足利市住宅地図』住宅地図出版。足利市立図書館所蔵。
(地図)中央右に足利スカラ座が描かれた1984年の『ゼンリン住宅地図』。
1997年(平成9年)の閉館後、しばらく建物が雑貨店として用いられた後、現在は近隣の足利商工会議所の駐車場となっています。
(写真)足利スカラ座跡地の駐車場。
2.7 足利東映プラザ劇場(1977年8月6日-2000年4月17日)
ayc.hatenablog.com
(写真)足利東映プラザ劇場の建物。
2.8 足利中劇・足利シネマ2(1956年頃-2001年1月31日)
所在地 : 栃木県足利市通り2-1-1(2000年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 2001年1月31日
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「中央劇場」。1966年の映画館名簿では「足利中央劇場」。1969年・1973年・1975年の映画館名簿では「中央劇場」。1978年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「足利中劇・中劇シネマ2」(2館)。1995年・2000年の映画館名簿では「足利中劇・足利シネマ2」(2館)。2002年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「通三丁目児童公園」北東50mにある駐車場。
1968年(昭和43年)の住宅地図を見ると、中央劇場の東側や南側には複数の割烹料理店や旅館が、西側にはスナックやバーなどが集中しており、このエリアが小規模な歓楽街となっていたことが分かります。
2024年(令和6年)現在も数軒の居酒屋が点在しており、歓楽街の名残は感じられますが、割烹料理店や旅館は全て廃業してしまったようです。
(地図)中央に中央劇場が描かれた1968年の『足利市住宅地図』住宅地図出版。足利市立図書館所蔵。
(地図)右下に中劇 シネマ2が描かれた1984年の『ゼンリン住宅地図』。
(写真)足利中劇・足利シネマ2跡地の駐車場。
(写真)足利中劇・足利シネマ2跡地の駐車場とその周辺。
2.9 シネマックス足利(2007年12月-2009年2月27日)
所在地 : 栃木県足利市大月町3-2 あしかがハーヴェストプレース内(2009年)
開館年 : 2007年12月
閉館年 : 2009年2月27日
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2008年の映画館名簿では「シネマックス足利1-10」(10館)。2009年の映画館名簿では「シネマックス足利1-8」(8館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。あしかがハーヴェストプレース2階。
(写真)2007年12月のあしかがハーヴェストプレース。photo : Jara2000
2.10 ユナイテッド・シネマアシコタウンあしかが(2016年3月1日-営業中)
所在地 : 栃木県足利市大月町3-2 アシコタウンあしかが内(2020年)
開館年 : 2016年3月1日
閉館年 : 営業中
2015年の映画館名簿には掲載されていない。2017年・2020年の映画館名簿では「ユナイテッド・シネマアシコタウンあしかが1-8」(8館)。シネマックス足利の跡地を活用。
足利市の映画館について調べたことは「足利市の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(栃木県版)」にマッピングしています。
hekikaicinema.memo.wiki
www.google.com