振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。図書館におけるウィキペディアタウンの開催を推進しています。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

長岡市立互尊文庫を訪れる

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(写真)新潟市立互尊文庫。

2020年(令和2年)2月、新潟県長岡市を訪れました。図書館の分館である長岡市立互尊文庫、映画館「長岡観光会館」跡地などをめぐりました。

 

1. 長岡市を訪れる

長岡市新潟県中越地方にある人口約27万人の自治体。中越地方の中心都市であり、人口37万人の長岡都市圏を形成しています。都市雇用圏の範囲は長岡市小千谷市見附市出雲崎町の3市1町のみで、中越地方の他都市(十日町市魚沼市南魚沼市柏崎市)は含まれません。新潟市を中心都市とする下越地方や、上越市を中心都市とする上越地方と比べると、中越地方における長岡市の拠点性は低いのでしょうか。

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(地図)新潟県における長岡市の位置。©OpenStreetMap contributors

 

中越地方ということで積雪を期待していましたが、今冬の降雪量は記録的な少なさであり、日陰に溶け残った雪がみられる程度でした。このため雪や寒さなどを気にすることなく、朝早くから中心市街地を歩くことができました。

1945年(昭和20年)の長岡空襲で市街地の大半が焼失した長岡市は、10年後の1955年(昭和30年)にはもう区画整理事業の完工式を迎えたようです。市街地に公園は少ないものの、この時に道路がよく整備されました。長岡駅の正面には幅員36mの大手通りが伸びており、大手通りや幅員30mのスズラン通り/セントラル通りも含めてアーケードが長く伸びています。これらのアーケード通りは歩道部分が広いし、片持ち式にしては天井が高く、「(雪国)新潟県の主要都市に来た」という高揚感がありました。

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(写真)長岡市街地中心部のアーケード。

 

大手通り

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(写真)長岡駅前の「大手通り」交差点。正面が長岡駅

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(写真)長岡駅前の「大手通り」交差点。正面が長岡駅

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(写真)大手通り

 

スズラン通り・セントラル通り

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(写真)スズラン通り。 

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(写真)セントラル通り。

 

2. 長岡市立互尊文庫

長岡市中心市街地から徒歩5分ほどの場所には、長岡市立図書館の分館である長岡市立互尊文庫があります。今回の旅行では長岡市立中央図書館は訪れておらず、互尊文庫で長岡市の映画館についての調査を行いました。

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(写真)1967年竣工の3代目長岡市立互尊文庫。

 

2.1 互尊文庫の歴史

1918年(大正7年)、長岡市初の公共図書館として初代互尊文庫が開館しました。図書館の創設者である野本恭八郎(野本互尊)の名前が冠されており、建物前には野本恭八郎の銅像も建てられています。1945年(昭和20年)の長岡空襲で蔵書の大半を焼失し、戦後には2代目互尊文庫が建てられました。

1967年(昭和42年)には現行館となる3代目互尊文庫が竣工し、長らく長岡市立図書館の本館として使用されました。1987年(昭和62年)には郊外に長岡市立中央図書館が開館し、互尊文庫は分館という位置づけに替わりました。合併で周辺自治体を吸収した長岡市には8図書館1分室がありますが、延床面積では中央図書館に次いで2番目、利用者数では中央図書館・西地域図書館・北地域図書館・南地域図書館に次いで5番目です。

築50年を越える互尊文庫は耐震性に問題があることから、250m南の「大手通坂之上町地区市街地再開発事業」(仮称)で整備される「米百俵プレイス」(仮称)にその機能を継承することが計画されています。2021年度までは現行館で開館し、2022年度に現行館が閉館、2023年度に「米百俵プレイス」の西館が開館する予定です。「米百俵プレイス」は交流機能を重視した "まちなか図書館" であり、現在の互尊文庫とはまったく印象が異なりますが、なぜだか名称が引き継がれるようです。

参考 : 「長岡市まちなか図書館施設更新計画長岡市、2018年3月

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(写真)1918年の初代長岡市立互尊文庫。

 

2.2 新潟県有数の古さの図書館施設

3代目互尊文庫は1967年(昭和42年)竣工であり、現役の図書館施設としては新潟県でも有数の古さだと思われます。

愛知県内の現役の図書館施設としては、豊橋市向山図書館(1967年、開館当時は中央館)、名古屋市千種図書館(1968年)、蒲郡市立図書館(1969年)、常滑市立図書館(1970年)、刈谷市城町図書館(1970年、開館当時は中央館)、瀬戸市立図書館(1970年)などが古い図書館に挙げられます。1967年竣工の3代目互尊文庫より確実に古い施設は存在しません。竣工当初は中央館だったものの、やがて分館に役割を変えた点は、豊橋市向山図書館や刈谷市城町図書館と同じです。

互尊文庫の外観や1階部分の構造には古さを感じますが、2階や3階に上がるとその印象が覆されます。書架がぎっちり並んだ空間は1階のみであり、2階はゆったりとしたブラウジングスペースが死守されています。3階には1967年(昭和42年)当時としては珍しかった学習室がありますが、ほぼ3面がガラス窓であり、明るく開放的な空間で学習ができます。とても新鮮で鮮烈な印象を受け、閉館後も何らかの形で建物が保存されることを期待しています。

互尊文庫のフロア案内

1階 一般貸出開架室、児童コーナー
2階 軽読書室、新聞雑誌コーナー、文書資料室
3階 学習室、郷土史交流室

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(左)階段。(右)2階の軽読書室。

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(写真)3階の学習室。なお、図書館に館内の撮影可否は尋ねていません。ごめんなさい。

 

2.3 個人名を冠した図書館施設

長岡市立互尊文庫には野本恭八郎(野本互尊)の名前が冠されています。新潟県の図書館としては類例がないと思われます。

愛知県内で個人名が冠された図書館施設としては、建設費を寄付した杉野繁一の名を冠した佐屋町立杉野図書館(1966年-1994年)、敷地を寄付した豊島半七の名を冠した一宮市立豊島図書館(1966年-2013年)があります。静岡県には鈴木忠治郎の名を冠した裾野市立鈴木図書館(初代1968年-1994年、2代目1994年-現在)があります。これらの3館や互尊文庫は、いずれも1960年代後半に竣工した図書館です。1960年代以前は単独施設の公共図書館は珍しく、寄付者の名を冠するのが流行のひとつだったのかもしれません。

2023年度(令和5年度)に開館予定の「米百俵プレイス」には、互尊文庫という名前の "まちなか図書館" が設置される予定です。4代続けて個人名が冠される図書館は全国的に見ても稀なのではないかと思います。

 

Wikipedia記事「佐屋町立杉野図書館」「豊島半七」は私が作成した記事であり、「一宮市立豊島図書館」は私が加筆した記事です。「鈴木忠治郎」と「裾野市立鈴木図書館」は裾野市で開催されたウィキペディアタウンで作成された記事です。歴史ある図書館やその貢献者については関心のある方が少なからずいると思われますが、Wikipediaにはまだ「野本恭八郎(野本互尊)」や「長岡市立互尊文庫」の記事はありません。今後の作成が期待されます。

参考:杉野繁一 - Wikipedia佐屋町立杉野図書館 - Wikipedia

参考:豊島半七 (四代目) - Wikipedia一宮市立豊島図書館 - Wikipedia

参考:鈴木忠治郎 - Wikipedia裾野市立鈴木図書館 - Wikipedia

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(左)長岡市立互尊文庫の入口。(右)野本互尊(野本恭八郎)の銅像。雪対策なのかコロナウイルス対策(!?)なのか、銅像部分がビニール袋でぐるぐる巻き。

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(写真)郷土資料は軒並み内容細目が入力されてて素晴らしい長岡市立図書館のOPAC

小千谷市の映画館

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(写真)小千谷市役所。

2020年(令和2年)2月、新潟県小千谷市を訪れ、「明治座」「中央映画劇場」「小千谷東劇」と3館あった映画館跡地などをめぐりました。

 

 

1. 小千谷市を訪れる

小千谷市(おぢやし)は新潟県中越地方にある人口約4万人の町。中越地方の中心都市である長岡市の南側にあり、豪雪地帯として知られる魚沼地方に含まれます。小千谷市を訪れるのは初めて。前日に車で本町通りを通った際、アーケードの長さや統一感が印象に残り、朝の時間帯に歩くことにしました。例年であれば市街地にも積雪があるそうですが、暖冬の今年は日陰にわずかに雪がみられる程度でした。

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(地図)新潟県における小千谷市の位置。©OpenStreetMap contributors

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(地図)小千谷市街地の色別標高図。国土地理院 地理院地図

 

1.1 本町通り・錦鯉の里 

小千谷市街地の中央を国道291号が通っており、市街地中心部では本町通りと呼ばれます。本町 (小千谷市) - Wikipediaによると町名としての本町は「ほんちょう」と読むそうですが、通りの読み方も「ほんちょうどおり」なのだろうか。

1960年代の航空写真を見ると、すでに現在と同じ場所に国道が整備されているようです。アーケードが雁木(がんぎ)から鉄骨に替えられたのは1972年から1973年のことで、1999年には再び建て替えられたようです。道沿いの建物がそれほど高くないこと、道幅が広いこと、交通量が多くないことなどが理由で、小千谷市街地の街並みには安心感・安定感を感じます。なお、今回の中越旅行では長岡市街地、小千谷市街地、魚沼市小出市街地のアーケードを見ています。

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(写真)小千谷市街地の中心点と言える、国道291号「本町2丁目」交差点。

 

本町通りの北側には茶郷川が流れています。Google mapで見た限りでは用水路程度の河川に見えましたが、実際には豊かな水量を持つ河川であり、流域面積は32km2もあるようです。Google mapではわかりづらいものの、本町通りと茶郷川の間には10mの高低差があり、小千谷市が "坂の町" であることを実感しました。

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(左)本町通りのアーケード。(右)本町通りと並行して流れる茶郷川

 

郷川のすぐ北側には、小千谷市地場産業である錦鯉に関する展示を行う「錦鯉の里」があります。9時の開館直後に入館しましたが、興奮しながら英語でしゃべっている外国人グループがおり、外国における錦鯉の人気の高さをうかがい知れました。

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(左)錦鯉の里の入口。(右)錦鯉の里の館内。

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(写真)錦鯉の里の屋内鑑賞池。

 

1.2 寺町通り・小千谷市立図書館

小千谷市街地の南西には寺町通りがあり、その名の通り寺院が集まっています。寺町通りの先には小千谷市小千谷小学校・小千谷市民会館・小千谷市立図書館がありました。

小千谷市立図書館は1978年の開館から42年が経過しており、施設面の古さは否めません。「本町2丁目」交差点のすぐ南東では2017年閉院の旧小千谷総合病院を取り壊し中であり、跡地には図書館を核とする複合施設を建設する方針が示されています。

参考:「旧小千谷総合病院跡地整備事業要求水準書(案)小千谷市、2019年3月

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(写真)寺町通り。左端は遠藤書店。

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(左)慈眼寺山門。登録有形文化財。(右)明石堂。小千谷市指定有形文化財

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(写真)小千谷市立図書館。

 

1.3 船岡公園東側

前日に魚沼地方を案内してもらった友人には、「魚沼地方は積雪が多すぎるために古い街並みが残りにくい」という話を聞きました。魚沼市には目黒邸と佐藤家という複数の重要文化財建造物があるものの、魚沼市南魚沼市登録有形文化財の建物は少ないです。ただし、小千谷市は魚沼地方の中ではもっとも北に位置するせいか、市街地にいくつもの登録有形文化財があるほか、比較的古い町並みが残されているように思えました。

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(写真)船岡公園東側の通り。

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(写真)割烹東忠。(左)中央に本館、左奥に上の蔵。いずれも登録有形文化財。(右)左に本館、右に別館。いずれも登録有形文化財。本館は江戸末期の2階建建築に3階部分を増築したもの。

 


2. 小千谷市の映画館

かつて小千谷市には3館の映画館がありました。「明治座」と「中央映画劇場」は信濃川より西の西小千谷地区に、「小千谷東劇」は信濃川より東の東小千谷地区にありました。なお、図書館で調査する前にGoogle検索しただけでは、館数も名称も所在地も判然としませんでした。

1985年(昭和60年)に「明治座」が閉館したことで、小千谷市から映画館が消滅しています。長岡市の「長岡観光会館」(-1990年)、十日町市の「十日町松竹」(-2004年)、北魚沼郡小出町の「柳生館」(-2003年頃)など、周辺市町に最後まで残った従来型映画館と比べると早い時期の閉館に思えます。

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(写真)1960年代の航空写真における映画館跡地。国土地理院 地理院地図

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(地図)現在の地形図における映画館跡地。国土地理院 地理院地図

 

小千谷市の映画館について調べたことは「新潟県の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(全国版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com

 

2.1 小千谷東劇(1926年-1960年代中頃)

所在地 : 新潟県小千谷市東大通り(1963年)
開館年 : 1926年
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「銀世界館」。1960年の映画館名簿では「小千谷東劇」。1963年の映画館名簿では「小千谷東映」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

小千谷・北魚沼今昔写真帖』(郷土出版社、2001年)と『写真アルバム 魚沼の昭和』 (いき出版、2013年)に写真あり。「銀世界」という別名があったようで、1950年代の映画館名簿では「銀世界館」として掲載されています。映画監督の湯浅浪男 - Wikipediaが若い頃に支配人を務めていた映画館です。

小千谷市にあった3館の中では唯一、東小地谷地区にあった映画館です。「国道291号の東栄2丁目交差点左手の空き地」にあったようで、『小千谷・北魚沼今昔写真帖』には跡地の写真も掲載されていますが、現在のどの場所なのか判然としません。

 

2.2 中央映画劇場(1952年-1965年)

所在地 : 新潟県小千谷市住吉町362(1963年)
開館年 : 1952年
閉館年 : 1965年
1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「中央映画劇場」。1966年の映画館名簿では「小千谷中央映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1992年のゼンリン住宅地図では跡地に「新潟県信用組合小千谷支店」。現在の跡地は「コーポたかの」。

『目で見る十日町小千谷・魚沼の100年』(郷土出版社、1992年)、『小千谷・北魚沼今昔写真帖』(郷土出版社、2001年)、『写真アルバム 魚沼の昭和』 (いき出版、2013年)に写真あり。

小千谷市街地の中心といえる国道291号本町2丁目交差点から南に80m、現在の「コーポたかの」の場所にあったのが「中央映画劇場」です。名前からすると「コーポたかの」はアパートに思えますが、外観を見る限りではアパートには見えず、オフィスビルとも違うような奇妙なビルでした。周辺には住吉地区飲食店街が形成されており、へぎそば屋「わたや本店」、寿司屋「美乃和寿司」、ラーメン屋「マサル」、バー「ZUNZUN」、スナック「繁美」「ニューみれん」「琥珀」などが軒を連ねています。

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(写真)中央映画劇場跡地のコーポたかの。

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(左)北から見たコーポたかの。(右)南から見たコーポたかの。奥は「本町2丁目」交差点。


2.3 明治座(1922年-1985年)

所在地 : 新潟県小千谷市孫八町127(1985年)
開館年 : 1922年
閉館年 : 1985年8月
1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「明治座」。1960年・1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「小千谷明治座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「いろは寿司」北側の駐車場。

『目で見る十日町小千谷・魚沼の100年』(郷土出版社、1992年)と『小千谷・北魚沼今昔写真帖』(郷土出版社、2001年)に掲載されています。

この地点は1874年(明治7年)に小千谷町初の法人が設立された場所でもあるようです。明治時代にあった劇場「茂松座」が前身であり、1922年(大正11年)には同一地点に新築されたのが明治座です。戦後には椅子席になりましたが、1985年(昭和60年)の閉館までずっと同じ建物だったようです。

小千谷市街地の中心といえる国道291号「本町2丁目」交差点から北に120mの場所にあり、現在は駐車場になっています。北側には茶郷川が流れており、跡地の駐車場からは茶郷川越しに錦鯉の里や小千谷市総合産業会館サンプラザを見下ろすことができます。

周辺には小料理屋「馬木」、寿司屋「いろは寿司」、スナック「えいこ」がありますが、映画館が営業していた頃はもっと多くの飲食店があったことを想像できます。

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(左)明治座跡地の駐車場。中央右奥に錦鯉の里がある。崖の下には茶郷川が流れている。(右)明治座跡地前の路地。左はいろは寿司。右奥のスナックえいこの手前が明治座跡地。

 

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(写真)よく倒れるロバ。2匹いる。

 

「関西館でWikigap」に参加する

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(写真)国立国会図書館関西館

 

2020年(令和2年)2月1日、京都府相楽郡精華町国立国会図書館関西館で開催された「関西館でWikigap」に参加しました。

 

codeforyamashiro.connpass.com

 

 

1. イベント概要

1.1 ウィキギャップとは

2019年(令和元年)9月から一年間をかけて、世界各地で「ウィキギャップ」(WikiGap)イベントが開催されています。日本ではこれまでに東京、大阪、福岡、名古屋で開催されており、関西館が5か所目となります。私は2019年10月14日の「WikiGapエディタソン 2019 in 大阪」と、12月15日の「WikiGap名古屋」にも参加しており、名古屋ではウィキペディアの説明役や編集サポート役を務めました。

なお、2020年2月29日には京都府京丹後市で、3月1日には神奈川県横浜市でもウィキギャップイベントが開催される予定であり、その後も9月までの間に全国各地で開催されると思われます。

wikigap.jp


1.2 参加者

私は今回のイベントに、運営側や講師ではなく一般参加者として参加しました。主催者は京都府山城地域でウィキペディアタウンを多数開催しているCode for 山城であり、スウェーデン大使館が後援しています。会場は国立国会図書館関西館であり、会場提供(研究室)・資料提供・館内ツアーなどで関西館が関わっています。通常業務としてではなく個人的にイベントに参加した職員も何人かいました。

 

1.3 スケジュール

今回のスケジュールは以下の通り。Code for 山城の青木和人さんがCode for 山城やウィキペディアタウンについて説明した後、ウィキペディアンのMiya.mさんからWikipediaについての説明があり、その後は参加者がそれぞれに執筆対象記事を選んで編集を行いました。ウィキペディアタウンでは参加者数人がグループになってひとつの記事を編集することが多いですが、今回は参加者ひとりひとりがひとつの記事を編集する個人作業であり、Wikipedia編集に慣れていない方にはMiya.mさんらが編集サポートを行っています。

編集時間は10時30分から16時30分までの6時間。各自が思い思いの時間に昼食を取りました。編集時間内に希望者のみの館内ツアーが組み込まれていたことも特徴です。10時30分からは関西館職員による館内ガイドツアーがあり、12時からは関西館職員によるバックヤードツアーがありました。

 

10:00-10:10 開会あいさつ

10:10-10:20 Code for 山城の説明(Code for 山城 青木和人さん)

10:20-10:30 Wikipediaの説明(ウィキペディアン Miya.mさん)

10:30-16:30 編集時間

 10:30-11:00 館内ガイドツアー ※希望者のみ

 12:00-12:30 バックヤードツアー ※希望者のみ

16:30-17:00 成果発表・記念撮影

 

1.4 編集方法

メイン会場として共同研究室2が用意され、各種説明や成果発表などはここで行いました。サブ会場としてデータベース用端末が多数ある共同研究室3なども用意されたことで、Miya.mさんなどにWikipediaの編集サポートを受けたい方は共同研究室2を、国立国会図書館デジタルコレクションや新聞データベースを使いたい方は共同研究室3を使っています。

私は共同研究室3に拠点を置き、デジタルコレクションや各種新聞データベースを閲覧しながら自身のパソコンで編集を行いました。関西館では全国紙5紙の新聞データベースが閲覧できますが、愛知県内には産経新聞データベースを閲覧できる公共図書館がないこともあって、今回の編集対象以外の事物の検索にも利用させてもらいました。

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(写真)メイン会場となった共同研究室2。

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(左)Miya.mさんによるWikipediaの説明。(右)題材探しのために準備された文献。

 

 

2. 館内ツアー

私は10時30分からの館内ガイドツアー(開架部分)と12時からのバックヤードツアー(書庫部分)の双方に参加しました。館内は基本的に写真撮影不可ですが、書庫のみは撮影可能とのことです。なお、関西館の館内にはカメラの持ち込みが禁じられているため、以下の写真はいずれも職員の同伴の下、スマホで撮影しています。

開架書架の蔵書数は約10万冊しかないそうですが、書庫を含めた収蔵能力は600万冊であり、現在進行中の新書庫が完成すれば1,100万冊になるそうです。書庫は資料保存に適した温度22℃・湿度55%に保たれており、冬季ということもあってかなり温かく感じました。閲覧室の広さはサッカー場よりもやや小さい100m×45mとのことですが、書庫の広さはサッカー場よりもやや大きくて130m×70m、書架の長さはのべ135kmにもなるそうです。

国立国会図書館は長尾真館長時代(2007年-2012年)にデジタル化を強力に推し進めました。関西館や東京本館に直接来館する一番の利点は、国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内公開」資料を閲覧できることだと思われますが、地方紙のマイクロフィルムを多数所蔵していることも気になりました。例えば中日新聞三河版は1965年から2005年のフィルムを所蔵しており、東愛知新聞は1958年から1991年のフィルムを所蔵しています。

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(写真)書庫にある雑誌書架。『婦人之友』。

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(写真)博士論文の書架。左は湯川秀樹が1938年に博士号を取得した際の博士論文。

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(写真)自動化書庫。



3. 編集記事

3.1 参加者の編集記事

参加者全員が人物記事の新規作成に取り組み、以下の24記事が作成されました。その職業における草分け的存在の女性が多く、その国で初めて何かを行った人物の記事が多い印象です。今回作成された記事のいくつかは、関西館の職員が個人的にイベントに参加して作成したものであり、イベント前から何日もかけて原稿を書いていた職員もいたようです。

 

ノエラ・ポントワ - フランスのバレエダンサー。

アリス・ハミルトン - アメリカの産業医学者。

カーラ・ヘイデン - アメリカの図書館司書。米国議会図書館長。

ルース・ハークネス - アメリカの探検家。アメリカに初めてパンダを持ち帰った人物。

スタマタ・レヴィチ - ギリシャ人女性。1896年に初めてマラソンコースを走った女性。

エレン・スワロウ・リチャーズ - アメリカの化学者。

バーバラ・ルーシュ - 日本文学研究家。

三井殊法 - 江戸時代の商人。三井家の遠祖。

大沢豊子 - 速記者・ジャーナリスト。

西尾京子 - 助産師。

阿武喜美子 - 化学者。

園部マキ - 保育事業家。京都市初の保育園を開設。

小倉末 - ピアニスト。

秋山十三子 - 随筆家。

飯田しづえ - 市民活動家。大阪府初の女性市議会議員。

藤井キク - 実業家。藤井大丸の創始者

岩波律子 - 映画館支配人。

稲庭桂子 - 童心社創業者。保育紙芝居の提唱者。

牧瀬菊枝 - 女性史研究者・生活記録運動家。

三輪田真佐子 - 教育者。三輪田学園の創立者

千嘉代子 - 茶人。14代千宗室夫人。

小泉節子 - 小泉八雲の妻。

山本佳世子 (情報学者) - 社会情報学者。

三井礼子 - 女性史研究者。

 

3.2 私の編集記事「岩波律子」

上記の編集記事のうち、私は「岩波律子 - Wikipedia」を作成しました。岩波律子さんは東京・神田神保町の映画館「岩波ホール」の支配人を務めている方です。岩波ホールと言えば「高野悦子 (映画運動家) - Wikipedia」さんが有名ですが、"総支配人" だった高野さんの下で1990年から "支配人" を務めているのが岩波さんであり、2013年に高野さんが死去してからは、岩波さんが高野さんの仕事を引き継いでいます。

"自身の興味のある分野の女性" かつ "関西館の所蔵資料やサービスが活かせる人物" の2点を併せ持つ方として岩波さんを選択しました。岩波さんは現役の映画館支配人であり、ぐぐっただけではその経歴が断片的にしかわかりません。各種受賞・受章歴のあり、なおかつ故人であるため経歴を回想されることの多い高野さんと比べると、経歴に言及している文献も多くありません。しかし国立国会図書館サーチで岩波さんを検索したところ、記事の核となりうる文献を見つけることができたため、Wikipediaに記事を作成するに値する人物だと判断して記事作成に着手しました。

記事の骨格は国立国会図書館デジタルコレクションで「国立国会図書館/図書館送信参加館内公開」となっている「映画を育てる最前線の人びと 11 岩波律子」(『シネ・フロント』1996年2月号)です。このほかに所蔵資料の書庫資料請求をおこない、「Interview 岩波律子 支配人」(『キネマ旬報』2018年2月号と「岩波ホール開設50周年 スクリーンの力を信じて」(『女性のひろば』2018年8月号)を閲覧しています。共同研究室のパソコンから書庫資料請求を行うと、10-15分後には書庫から閲覧室カウンターに届き、届いた旨がパソコンに通知されます。請求の際の時間ロスが少なく、快適に編集作業を行うことができました。

イベント中には閲覧できなかった文献として「インタビュー 岩波律子 高野悦子と私と岩波ホールの50年」(『映画と映画館の本 ジャックと豆の木』第4号)があります。関西館には所蔵されていない文献であり、愛知県内の公共図書館にも所蔵されていない文献ですが、自宅に戻ってから自前の文献を使って加筆を行いました。 

 

記事「岩波律子」の参考文献

「映画を育てる最前線の人びと 11 岩波律子」『シネ・フロント』シネ・フロント社、1996年2月号 (デジコレ参加館公開)

「Interview 岩波律子 支配人」『キネマ旬報』2018年2月号 (関西館が所蔵する雑誌)

「インタビュー 岩波律子 高野悦子と私と岩波ホールの50年」『映画と映画館の本 ジャックと豆の木』2017年、第4号 (関西館は未所蔵だが個人的に所蔵)

岩波律子「岩波ホール開設50周年 スクリーンの力を信じて」『女性のひろば』2018年8月号 (関西館が所蔵する雑誌)

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(写真)Wikipedia記事「岩波律子」。

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(写真)「インタビュー 岩波律子 高野悦子と私と岩波ホールの50年」(『映画と映画館の本 ジャックと豆の木』第4号)。

 

4. まとめ

私の図書館資料に対する興味は郷土資料に偏っており、正直に言えば、国立国会図書館の所蔵資料やサービスにはそれほど魅力を感じていませんでした。しかし、今回のイベントで作成された人物記事には国立国会図書館の所蔵資料やサービスが大いに役立ちました。ほぼすべての参加者がデジタルコレクションを活用していたようであり、デジタルコレクションの有用性を再確認するとともに、あらゆる資料へのアクセスポイントとなる国立国会図書館サーチの意義を再確認するイベントとなりました。

「WikipediaLIB@信州#03」に参加する

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(写真)会場の県立長野図書館。2018年5月。

2020年1月25日、県立長野図書館で開催された「WikipediaLIB@信州#03 -調べる・知る・表現する・伝える」に参加しました。

 

このイベントは、県立長野図書館が "これからの図書館" を市民と共に考えるために開催している「信州発・これからの図書館フォーラム」の一環であり、2017年3月に初開催された「WikipediaLIB@信州#01」、2017年8月に開催された「WikipediaLIB@信州#02【小諸編】」に続いて3回目の「WikipediaLIB@信州」です。私は1回目・2回目と同じく講師として招聘してもらいました。

www.library.pref.nagano.jp

 

 

1. イベント概要

1.1 WikipediaLIB@信州とは

2013年にはまちあるきとWikipedia編集を組み合わせた「ウィキペディアタウン」が初開催され、2016年頃から全国各地で開催されるようになりました。今回のイベントはウィキペディアタウンではなくWikipediaLIBと名乗っていますが、これは "長野県内の図書館を編集対象としていること"、"(主に)図書館員を参加対象としていること" の2つが理由です。ウィキペディアタウンとは違ってまちあるきを行わず、開始から終了まですべてのプログラムが図書館内で進行します。一般市民の参加も可能ですが、図書館員向け研修という意味合いも持っています。

今回の編集対象は長野県にある4つの公共図書館です。約20人の参加者のうち、半数は公共図書館/大学図書館/高校図書館に勤めている方でした。図書館員以外では、県内の地域おこし協力隊、県内の林業センター、県内の地域振興局、他県の博物館、他県の県庁生涯学習課などの方がおり、またウィキペディアンの一般参加者もいました。

 

1.2 イベントスケジュール

今回のイベントのスケジュールは以下の通り。外部からの講師は私(Asturio Cantabrio=かんた)とAraisyoheiさんであり、いずれもウィキペディアンとして参加。この2人以外には、著作権関連の講義などで県立長野図書館の職員も講師を務めています。私の役割は、主に「Wikipediaに関する講演」、「編集作業のサポート」、「編集記事に対する講評」の3点です。

 

10:00-10:05 主催者挨拶(県立長野図書館 平賀館長)

10:05-10:15 企画趣旨説明(県立長野図書館 小澤さん)

10:15-10:20 自己紹介

10:20-11:00 【講義】Wikipediaってナニ?(Araisyoheiさん)

11:00-11:40 【講演】Wikipediaと関わること(Asturio Cantabrio)

11:40-12:00 【講義】新しい著作権のカタチ CCライセンス(県立長野図書館 畔上さん)

12:00-13:00 昼休み

13:00-13:20 編集に関するガイダンス(県立長野図書館 朝倉さん)

13:20-13:30 関連資料紹介(県立長野図書館 槌賀さん)

13:30-15:45 Wikipedia編集

15:55-16:45 発表・講評・意見交換(Asturio Cantabrio・Araisyoheiさん)

16:45-17:00 まとめ・写真撮影

 

 

2. 午前:講義・講演

2.1 Araisyoheiさんの講義

Araisyoheiさんの講義は「Wikipediaってナニ?」と題し、Wikipediaというウェブサイトの概要、Wikipediaを運営する組織、Wikipediaの基本的なルールなどについて説明してくださいました。それぞれの題材をすべて自分の言葉で説明しており、即座に参加者の身になる説明にはほれぼれします。講師としての安定感・安心感には強い刺激を受けており、私もAraisyoheiさんに近づけるように努力しています。

(Araisyoheiさんが講義で使用したスライドは、近いうちに県立長野図書館公式サイトイベント開催報告ページなどに掲載されると思われます)

 

2.2 Asturio Cantabrioによる講演

私は「ウィキペディアと関わること -情報を拓くためのツール-」と題した講演を行いました。Araisyoheiさんや畔上さんの "講義" とは違って "講演" と銘打ってあります。Wikipedia編集に直接役立つ知識を話すのではなく、Wikipediaとの関わり方の変化とその意味を実体験に基づいて話しました。2019年3月に東久留米市立中央図書館で開催された「ウィキペディア実験室(ラボ)」で講師を務めた際の発表がベースになっています。

私は2014年にWikipediaでの活動を開始しました。Wikipediaを趣味として捉えていた時期(2014年-2016年)、ウィキペディアタウンに参加して図書館/図書館員に興味を持つようになった時期(2016年-2018年)を経て、Wikipediaでの活動に固執しなくなった時期(2018年-)を迎えています。多くの編集を重ねていた時期を経て、現在はWikipediaの編集に囚われなくなったことで、「ウィキペディアは情報を拓くためのツールとして有効である」ことを実感した、というのが私の講演の趣旨です。

私が講演で使用したスライドはSlide Shareにアップロードしています。ライセンスはCC BY-SA 4.0です。

www.slideshare.net

 

2.3 畔上さんによる講義

私の講演の後は県立長野図書館資料情報課の畔上さんによる講義。Wikipediaが採用しているクリエイティブ・コモンズライセンス(CCライセンス)についての解説です。インターネットが普及したことで重要になったライセンスであり、従来の著作権法では利用できなかったものが利用可能になるとのこと。Wikimedia Commonsにアップロードされている写真や、大学機関が公開している画像を紹介し、CCライセンスの中にも細かな違いがあること、機関がCCライセンスを採用することで著作物の活用の可能性が広がることがわかりました。

県立長野図書館に勤務して2年目の畔上さんにとって、イベントなどで講義を行うのは今回が初めてとのことでした。確かに緊張している様子がうかがえましたが、CCライセンスが採用されている著作物の実例などが挙げられており、とてもわかりやすい説明でした。今後、私がWikipediaやCCライセンスの説明をする際には、畔上さんのスライドを参考にさせてもらおうと思います。

(畔上さんが講義で使用したスライドは、県立長野図書館公式サイトイベント開催報告ページなどに掲載されるかもしれません)

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(写真)県立長野図書館の畔上さんによる講義。



3. 午後:Wikipedia編集

3.1 Wikipedia編集の概要

編集対象記事

今回の編集対象記事は以下の4記事であり、1グループ5人前後で編集を行いました。主催者が事前にグループ分けを行っており、ウィキペディアタウン参加経験者、Wikipedia編集未経験者、リーダーシップを取れる方などがバランスよく配置されています。

箕輪町図書館 - Wikipedia(新規作成)

池田町図書館 - Wikipedia(加筆)

長野市立図書館 - Wikipedia(加筆)

県立長野図書館 - Wikipedia(加筆)

 

Wikipedia編集のスケジュール

13:30-13:45 【方針・準備】執筆する節・項目を決める - 15分

13:34-14:00 【調査】資料を探す・読み込む - 15分

14:00-14:05 【構成】Wikipediaの編集方法(Araisyoheiさん) - 5分

14:05-14:15 【講義】構成を決める - 10分

14:15-15:45 【執筆・公開】執筆してアップロードする - 90分

 

3.2 WikipediaLIB@信州独自の編集方式

一般的なウィキペディアタウンとは異なり、WikipediaLIBでは午後の編集時間を【方針・準備】の時間、【調査】の時間、【構成】の時間、【執筆・公開】の時間などに細かく区切っています。これは "Wikipediaイベントの仕組みを学び、自館/自団体で実践できる人を育てたい" とする主催者の意図からであり、文章量の多い記事を書くことは重要視していません。特に編集時間の前半はあわただしく過ぎていきます。

一般的なウィキペディアタウンでは、編集時間の使い方は各グループに委ねられています。しかしこのやり方では、自身が行うべきことを見失ってしまう参加者が出てしまうこともあります。編集時間を細かく区切ることで、そのような参加者が出にくくなるようで、WikipediaLIBでは第1回からこの方式を採用しています。一般的なウィキペディアタウンでは、講師がことあるごとに参加者に声をかけてサポートしますが、編集時間を細かく区切っているWikipediaLIBでは講師の声かけが邪魔になりかねないため、今回は各グループの議論や編集を見守ることに徹しました。

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(写真)WikipediaLIB独自の編集方式について説明する県立長野図書館の朝倉さん。

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(写真)グループごとに編集を進める参加者。
 

3.3 講師による編集記事の講評

編集時間の終了後には、私とAraisyoheiさんが編集記事の講評を行いました。まずはグループごとに編集内容について成果発表を行ってもらい、続いて私が講評を行うと、それを踏まえてAraisyoheiさんが自身の講評を行っています。私は講評は以下の通りです。

 

Asturio Cantabrioによる編集記事の講評

1. 箕輪町図書館 - Wikipedia(新規)

箕輪町図書館のグループは4グループ中唯一新規作成を行うグループとなった。作成する節として「建物」節と「沿革」節の2節を設定し、「沿革」節の文献として『箕輪町史』、『長野県公共図書館概要』、『図書館のあゆみ』などを見つけたうえで、文献ごとに担当者を決めて役割分担をしていた。これによって、「沿革」節には4つの小節が作られている。文章作成のスピードには個人差があるが、小節ごとの文章量に差が出てしまうことなく、バランス良く記述されている。

私はいつもウィキペディアの記事を書くときに、現状の記事の欠点を埋める記述をすること、その題材のおもしろみを見つけて記述することを心掛けている。記事を新規作成する場合は雑多なことに時間を奪われ、おもしろみを記述する作業に時間を取りづらい。箕輪町図書館のグループもそうだったと思われるが、図書館記事に必要な記述を手堅くまとめている。これは編集を主導したウィキペディア編集経験者の力も大きかったと思われる。記事を新規作成するのは時間がかかるが、既存の記事に加筆するのは新規作成よりかなりハードルが低い。今後、箕輪町図書館の特色などを見つけた際には、今回作成した記事への加筆を行ってほしい。 

 

2. 池田町図書館 - Wikipedia(加筆)

池田町図書館は2017年8月の「WikipediaLIB#02」で新規作成対象になった記事である。2019年10月には新館が開館したことから、新館について加筆してほしいともくろんで今回の編集対象となった。

池田町図書館のグループはまず節構成を決めた上で、題材ごとではなく調査手段ごとに役割分担するという珍しい方法を取った。ネット検索する人、他グループに参加している副館長に聞き取り調査する人、池田町広報や新聞データベースを探す人、古い文献を探す人など。広報めくりは成果が出づらいのでもくもくと作業できる人、聞き取りは聞き上手な人など、各参加者の得意分野を活かしているように見えて面白かった。特に聞き取り調査からは、旧館/新館の建物の違い、新館を建てた経緯などを得られたようで、文献をめくっただけでは入手しにくい情報を得ていたように思われる。

イベント前までは2016年度の蔵書数が掲載されていたが、2019年度の情報に更新する編集も行われた。新館開館を前にして蔵書数などの数値は大きく変化していると思われ、たった3年分ではあるが意義のある編集だと思われる。

 

3. 長野市立図書館 - Wikipedia(加筆)

長野市は県庁所在地ではあるが、県立図書館の存在が理由で1985年(昭和60年)まで市立図書館が設置されなかったという経緯がある。その一方で、篠ノ井町立図書館に起源を持つ南部図書館は戦前からの長い歴史を有する。まったく沿革が異なる2館を併記しなければならず、記事のまとめ方が難しい図書館だと感じていた。

長野市立図書館のグループは、記事の短所を埋めたい方とおもしろみを記述したい人が混じり合っており、4グループの中でもっともバランスよく記事が発展したのではないか。例えば、個々の図書館についての沿革については既に記述されていたが、長野市立図書館全体の沿革がないと気づいて加筆した方がいた。また、歴史節はあるが近年の歴史について書かれていないことに気づいて加筆した方がいた。また、出典がほとんどないことに気づいて既存の記述に出典をつけた方がいた。また、まったく書かれていなかった特色を一から記述した方がいた。バランスよく発展させたことで、長野市立長野図書館、長野市立南部図書館の各館を単独記事にできるほどになった。

イベント会場のそばには新聞データベース閲覧コーナーがある。他県の県立図書館と比べて県立長野図書館の新聞データベースは利用しやすく、4グループそれぞれが信濃毎日新聞のデータベースを使用して情報を探していた。長野市立図書館のグループでも、見出し検索を行った上で紙面そのものを眺めていた方がいた。私はいくつもの県立図書館で全国紙や地方紙のデータベース検索を行っているが、信濃毎日新聞のデータベースは実用性が高い。検索できる年代が幅広く、紙面が見やすい。中日新聞/岐阜新聞/静岡新聞/北國新聞の各地方紙データベースと比べると、ウィキペディアの編集にもっとも役立つ地方紙データベースは信濃毎日新聞だと思っている。

 

4. 県立長野図書館 - Wikipedia(加筆)

県立長野図書館は2017年3月の「WikipediaLIB#01」で加筆対象になった記事である。一般論として県立図書館は長い歴史を有しており、県立長野図書館も明治時代にさかのぼることができる。既存の記述には保科百助・田澤次郎・乙部泉三郎・叶澤清介など黎明期の重要人物の名前が書かれており、彼らの貢献について調べれば興味深いエピソードが数多く見つかりそうではある。

しかし県立長野図書館のグループは、既存の記述の短所を埋める編集ではなく、この図書館のおもしろみや光る個性に目を付けて記述していくことを選んだ。県立長野図書館は従来からの型にはまらない図書館であり、県立長野図書館だからこその編集だと感じる。もし愛知県図書館が題材となった場合は、県立長野図書館のような編集はなされないのではないかと感じる。

「WikipediaLIB#01」で加筆した際には、文献から1929年の古い写真を見つけて掲載した方がいたり、特色ある収蔵品の写真を追加した方がいたり、館長室の写真をアップロードした方がいた。今回のイベント中には、移動図書館車「おはなしぱけっと号」について記述した方がいたり、信州・学び創造ラボに象徴される施設のリニューアルについて記述した方がおり、さらに記事としてのおもしろみが増した。このリニューアルによって開館時間が変化しており、正確ではない開館時間が掲載され続けていたが、正しい開館時間に修正された方もいた。

今後の加筆の方向性としては、文章以外の部分はもっと工夫できると感じる。写真の置き方を変えて文章を引き立たせたり、3階の改修前と改修後の写真を並べて変化を明確にしたり、写真に加えて図(フロアマップ)や表などで表現したりすることでより魅力的な記事になる。インフォボックスのトップ画像は私が撮影した写真であり、無難な構図の写真ではあるが面白みに欠ける。よりよい写真を撮れる方はトップ画像を変更してほしい。

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(写真)Wikipedia記事「県立長野図書館」。

 

4. まとめ

私が県立長野図書館の平賀研也館長に初めてお会いしたのは2016年2月の「Wikipedia TOWN in INA Valley x 高遠ぶらり」でした。平賀さんはイベントの運営側ではあるものの、参加者のひとりとしてウィキペディアタウンに参加する、それまでに出会ったことのない図書館員でした。平賀さんらに刺激を受けて図書館/図書館員に興味を持ち、「伊那市立図書館 - Wikipedia」を作成したのが2016年6月。この記事を読んだ平賀さんが私の活動に興味を持ってくれ、「WikipediaLIB@信州#01」における講師を打診されたのが2016年12月のことでした。

「WikipediaLIB@信州」は2017年3月、2017年8月、2020年1月と3度開催され、私はいずれのイベントでも講師として招聘してもらいました。人前で話をするのは初めて、しかも一般人である私が "50人の図書館員に向かって図書館の話をしなければいけない"(ちょっと誇張しています)という状況には泣きそうになりました。実際に「WikipediaLIB@信州#01」における私の講演の質は低かったと思われ、イベントに関わった県立長野図書館の職員の方々や他の講師の方々、そして私の講演を聞いてくださった参加者の方々には申し訳ない気持ちがありました。しかし、その後も県立長野図書館はイベントでの講師を打診してくださり、私は成長の機会を与えてもらいました。イベントごとに講師としての質の高められるように努力してきたつもりです。

2020年3月をもって、平賀さんは5年間の任期を終えて県立長野図書館館長を退任されます。館長は交代しますが、私は今後も県立長野図書館と関わり続けたいと思っているし、平賀さんや県立長野図書館の方から学び続けたいと思っています。また、3回開催された「WikipediaLIB@信州」では多くの参加者と出会いました。いまも交流を続けている方も多く、これらの方々との縁は今後も大切にしたいと思っています。

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(写真)カタルーニャのロバ。CC BY-SA 4-0 撮影者 : CeGe