振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

野田市の映画館

(写真)野田市立興風図書館。

2023年(令和5年)1月、千葉県野田市を訪れました。

現在の野田市には映画館「イオンスペースシネマ野田」があります。かつて野田市には映画館「野田東映」「野田銀映」「共楽館」があり、「ジャスコドライブインシアター野田」もありました。「野田市を訪れる」からの続きです。

 

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1. 野田市立興風図書館

1.1 図書館の歴史

野田市の図書館の歴史は古い。

1921年(大正10年)には醤油醸造業者の有志らによって、東葛飾郡野田町に私立の戊申会簡易図書館が開館しました。1923年(大正12年)には町に移管されて公立の野田町図書館となるも、1929年(昭和4年)には再度移管されて私立の財団法人興風会図書館となります。その後半世紀を経て、1979年(昭和54年)には財団法人興風会図書館の建物と蔵書が野田市に寄付され、公立の野田市立興風図書館が設置されました。

1998年(平成10年)には図書館が複合施設の欅のホールに移転しましたが、野田市立興風図書館という名称は引き継がれています。欅のホールはかつて野田町役場/野田市役所があった場所に建っており、旧市街の雰囲気を感じられます。

(写真)野田市立興風図書館。

 

キッコーマン野田市と同じく醤油醸造業で栄えた町として、ヤマサが拠点を置く千葉県銚子市があります。やはり銚子市の図書館も、醤油醸造業者によって設立された財団立図書館が源流となっています。銚子市公正図書館は建物こそ変わりましたが、野田市と同じく名称に源流の名残を残しています。

(写真)図書館として使用されていた銚子市公正市民館。

 

1.2 図書館の資料

野田市立興風図書館は複合施設の1階と2階にあります。西側以外の三方が広い窓になっており、館内がとても明るい。個人的には好みではないですが、暗さや静けさを感じる場所が少ないです。

(写真)野田市立興風図書館。(左)1階の書架。(右)2階の書架。

 

野田市は江戸川を挟んで埼玉県春日部市などと、利根川を挟んで茨城県坂東市などと接しています。自治体立図書館としては珍しく、郷土資料コーナーには他県(埼玉県と茨城県)の資料がありました。

(写真)野田市立興風図書館。茨城県や埼玉県の郷土資料。

 

2階の蔵書検索機の横には「所蔵電子資料閲覧用端末」があり、千葉日報縮刷版、朝日新聞千葉版、野田市関連記事索引が閲覧できるようです。古い住宅地図としては、1962年(昭和37年)の野田市江戸川台住宅明細図や1966年(昭和41年)の野田市動態図鑑がありました。

現在では "住宅地図" という名称が一般名詞化していますが、1960年代から1970年代には "住宅明細図" や "住宅案内図" などという表現の揺れがあり、千葉県内の住宅地図を発行していた日本都市協会は "動態図鑑" という名称を用いています。動態図鑑に "住宅地図" というキーワード/件名を登録してくれている図書館もありますが、登録してくれていない図書館では探し漏れが発生する可能性があって厄介です。

(写真)野田市立興風図書館。(左)電子資料閲覧用PC。(右)。1960年代の住宅地図。

 

2. 野田市の映画館

(写真)野田町の娯楽施設に言及している『新版 野田町案内』石山伊之助、1930年。野田市立図書館所蔵。

 

2.1 共楽館(1923年9月-1968年4月1日)

所在地 : 千葉県野田市上花輪1546(1966年)
開館年 : 1923年9月、1938年
閉館年 : 1968年4月1日
『全国映画館総覧 1955』によると1938年開館。1925年・1927年・1930年・1936年の映画館名簿では「共楽館」。1943年の映画館名簿では「野田共楽館」。1947年の映画館名簿では「東宝共楽館」。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「野田共楽館」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「共楽館」。1966年の映画館名簿では「野田共楽館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は月極駐車場「共楽駐車場」。最寄駅は東武野田線野田市駅

(写真)共楽館映画部と食堂部。『野田市の展望』野田市役所、1954年。野田市立図書館所蔵。

(写真)野田共楽館映画部・食堂部と野田銀座映画劇場が描かれた『日本全国各地商工業別明細地図』東京交通社、1956年。野田市立図書館所蔵。

(写真)共楽館が描かれた『野田市江戸川台住宅明細図』1962年。野田市立図書館所蔵。

(写真)共楽館が描かれた『野田市動態図鑑』1966年。野田市立図書館所蔵。

(写真)共楽館跡地に駐車場が描かれた『ゼンリン住宅地図』1971年。野田市立図書館所蔵。

(写真)共楽館跡地の共楽月極有料駐車場。

 

2.2 野田銀映(1949年1月開館-1979年頃閉館)

所在地 : 千葉県野田市中野台182(1979年)
開館年 : 1949年1月
閉館年 : 1979年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1949年1月開館。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1943年・1947年・1950年の映画館名簿では「野田映画劇場」。1953年の映画館名簿では「野田銀座映画劇場」。1955年の映画館名簿では「野田銀映劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1979年の映画館名簿では「野田銀映」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は月極駐車場「日光商事駐車場」。最寄駅は東武野田線野田市駅

(写真)野田共楽館映画部・食堂部と野田銀座映画劇場が描かれた『日本全国各地商工業別明細地図』東京交通社、1956年。野田市立図書館所蔵。

(写真)野田銀映が描かれた『野田市江戸川台住宅明細図』1962年。野田市立図書館所蔵。

(写真)野田銀映が描かれた『野田市動態図鑑』1966年。野田市立図書館所蔵。

(写真)野田銀映が描かれた『ゼンリン住宅地図』1971年。野田市立図書館所蔵。

(写真)野田銀映跡地の民家。

 

2.3 野田東映(1958年-1983年頃)

所在地 : 千葉県野田市中野台440-1(1983年)
開館年 : 1958年
閉館年 : 1983年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「桜映画劇場」。1963年の映画館名簿では「野田東映」。1966年・1969年の映画館名簿では「野田東映劇場」。1973年・1975年・1978年・1980年・1982年・1983年の映画館名簿では「野田東映」。1984年の映画館名簿には掲載されていない。野田市最後の従来型映画館。跡地は仏壇店「金宝堂」。最寄駅は東武野田線野田市駅

(写真)野田東映 桜映画劇場が描かれた『野田市江戸川台住宅明細図』1962年。野田市立図書館所蔵。

(写真)野田東映が描かれた『野田市動態図鑑』1966年。野田市立図書館所蔵。

(写真)野田東映が描かれた『ゼンリン住宅地図』1971年。野田市立図書館所蔵。

(写真)野田東映跡地の金宝堂。

(写真)野田東映跡地が面する通り。


2.4 ジャスコドライブインシアター野田(1989年3月25日-2007年8月31日)

所在地 : 千葉県野田市中根36-1 扇屋ジャスコNOA店(2005年)
開館年 : 1989年3月25日
閉館年 : 2007年8月31日
1989年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・1995年・2000年・2005年・2006年の映画館名簿では「ジャスコドライブインシアター野田」。2008年の映画館名簿には掲載されていない。ドライブインシアター最寄駅は東武野田線野田市駅

1989年(平成元年)3月25日のジャスコNOA店開業と同時に、店内にはジャスコファミリーシアターが、駐車場にはジャスコドライブインシアター野田が開館しています。

1980年代中頃から1990年代前半は映画館数が最も少なかった時代であり、映画業界はビデオシアターやドライブインシアターに活路を見出していました。西友ジャスコ、そごうなどの大型ショッピングセンターにはビデオシアターが設置され、その駐車場にドライブインシアターが設置された場合もありますが、両者が揃って設置されたショッピングセンターはジャスコNOA店だけではないでしょうか。

全国のドライブインシアターの中では比較的遅くまで営業していましたが、2007年(平成19年)8月31日にはついに閉鎖されました。2007年(平成19年)10月31日には船橋市ドライブインシアタープラウドが閉館し、千葉県からドライブインシアターがなくなります。2010年(平成22年)10月11日には神奈川県大磯町の大磯ドライブインシアターが閉鎖され、日本から定期営業のドライブインシアターが消えています。

2020年(令和2年)以後のコロナ禍においては一般的な映画館が敬遠され、三密を回避できるドライブインシアターが再び脚光を浴びました。ジャスコドライブインシアター野田はスクリーンを残していたことで、2021年(令和3年)5月には14年ぶりにドライブインシアターの上映会が行われています。

(写真)イオンスペースシネマ野田とジャスコドライブインシアター野田。地理院地図

 

2.5 イオンスペースシネマ野田(1989年3月25日-営業中)

所在地 : 千葉県野田市中根36-1 イオンNOA店3階(2020年)
開館年 : 1989年3月25日
閉館年 : 営業中
1989年の映画館名簿には掲載されていない。1990年の映画館名簿では「ジャスコファミリーシアターシネマ1・2」(2館)。1995年・2000年の映画館名簿では「ジャスコファミリーシネマ野田1・2」(2館)。2005年・2008年の映画館名簿では「ジャスコスペースシネマ野田1・2」(2館)。2010年の映画館名簿では「ジャスコファミリーシネマ野田1・2」(2館)。2015年・2020年の映画館名簿では「イオンスペースシネマ野田1・2」(2館)。最寄駅は東武野田線野田市駅

(写真)イオンスペースシネマ野田とジャスコドライブインシアター野田。地理院地図

 

野田市にあった映画館について調べたことは「千葉県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(千葉県版)」にマッピングしています。

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野田市を訪れる

(写真)東武野田線野田市駅

2023年(令和5年)1月、千葉県野田市を訪れました。「野田市の映画館」に続きます。

 

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1. 野田市を訪れる

1.1 キッコーマン企業城下町

野田市は千葉県北西部にある人口約15万人の自治体。利根川と江戸川に挟まれた場所にあり、北東は茨城県坂東市などと、西は埼玉県春日部市などと接しています。

首都圏の北部郊外を半周する東武野田線が通っていますが、東京都心に出るには春日部市流山市柏市で乗り換える必要があることから、周辺の他自治体と比べるとベッドタウンとしての成長が緩やかな印象です。

(写真)キッコーマン野田本社。

(写真)キッコーマンの工場。

 

2. 野田市の近代建築

2.1 興風会館

キッコーマン企業城下町として早くから栄えたことや、現代のベッドタウン化が緩やかなことで、野田市には近代建築が多く残されています。

もっとも見栄えのする近代建築は1929年(昭和4年)竣工の興風会館です。ピンク色の壁面が特徴的な4階建て、約500席の多目的ホールであり、竣工当時は千葉県庁に次ぐ規模の洋風建築だったそうです。1997年(平成9年)には登録有形文化財に登録されています。

(写真)興風会館。

(写真)興風会館。

(写真)興風会館。

 

2.2 旧野田商誘銀行

本町通りで興風会館に次いで目立つのが旧野田商誘銀行です。興風会館より早く1926年(大正15年)に竣工。角柱・円柱・レリーフなど古典主義建築の要素が多く、装飾が少なくて軽やかな興風会館とはかなり異なります。

(写真)旧野田商誘銀行

(写真)旧野田商誘銀行

 

2.3 その他の建築物

(写真)中村商店倉庫。

(写真)旧野田商工会館

 

3 野田市の商店街

3.1 共楽館通り

(写真)共楽館通り。

(写真)共楽館通り。

(写真)共楽館通り。

(写真)棒山通り。

 

(写真)旅館待月。

(左)旅館待月の広告。(右)旅館待月の広告。

(写真)旅館待月の跡地。

 

3.2 一番街

全国の遊廓に関する調査をTwitterで発信している春は馬車に乗って(春馬車)さんによると、戦前の野田町には新道と呼ばれる花街があったようです。

メインストリートである本町通から江戸川に向かう道として、嘉永2年(1849年)に築かれたのが(道路としての)新道。新道の中で最も本町通に近い部分、1956年(昭和31年)の「日本全国各地商工業別明細地図」では一番街として描かれている部分が(花街としての)新道だったようです。

(写真)一番街。

(写真)一番街。

 

4. 野田市の地図・絵図

4.1 「野田市鳥瞰図」1951年

野田市立興風図書館が所蔵する1951年(昭和26年)の『野田市勢要覧 昭和26年度』には「野田市鳥瞰図」が掲載されています。作者は不明。

とても鮮やかな鳥瞰図であり、1950年(昭和25年)に市制施行したばかりの野田市にあった主要施設を簡単に把握できます。映画館としては「共楽館」と「銀映」の2館が描かれています。

(写真)『野田市鳥瞰図』。

(写真)『野田市鳥瞰図』。

(写真)『野田市鳥瞰図』。

(写真)『野田市鳥瞰図』。

(写真)『野田市鳥瞰図』。

 

4.2 「商工業別明細地図」1956年

やはり野田市立興風図書館が所蔵する1956年(昭和31年)の「日本全国各地商工業別明細地図」には主要な会社や商店が描かれているほか、主要な通りの名称が描かれている点で価値が高い。本町通、棒山通、共楽館通、琴平町通、万町通、野田銀座、乙女通、市役所通など。

(写真)『商工業別明細地図』。

 

柏市の映画館

(写真)キネマ旬報シアター。2021年12月。

2023年(令和5年)1月、千葉県柏市を訪れました。

現在の柏市街地にはミニシアターの「キネマ旬報シアター」があり、郊外にはいずれもシネコンの「MOVIX柏の葉」と「TOHOシネマズ柏」があります。かつては柏市街地に「柏シネマサンシャイン」「柏松竹」「柏シネマ」「柏富士館」「柏館」があり、郊外には「シネスクープかしわ沼南」がありました。

 

 

1. 柏市を訪れる

柏市は千葉県北西部にある人口約43万人の自治体。千葉市船橋市松戸市市川市に次いで千葉県第5位の人口を有し、中核市に指定されています。市制施行順では千葉県第15位であり、同じ東葛飾郡域の野田市よりも遅い1954年でした(昭和29年)。戦後の発展が目覚ましい自治体といえるのかな。

(写真)柏駅前通り商店街。

 

1.1 柏市立図書館

今回は図書館を訪れていませんが、2021年(令和3年)12月には柏市立図書館を訪れました。柏市立図書館は1975年(昭和50年)に竣工した古い図書館であり、返却ポスト上の「柏市立図書館」の字体が味わい深い。

(写真)柏市立図書館。

 

隣接する松戸市立図書館も同時期の1974年(昭和49年)竣工ですが、首都圏にある規模の大きな自治体の中ではどちらも有数の古さだと思われます。JR常磐線で江戸川を越えてすぐ、東京都葛飾区の金町駅前には新しくて広い葛飾区立中央図書館がありますが、相当数の利用者が流れているのではないかと感じました。

(写真)柏市立図書館。(左)一般開架室。(右)参考資料室。

 

2. 柏市の映画館

昭和30年代から40年代の柏市にあった映画館は2館。戦前からあった柏館と、戦後に開館した柏富士館です。いずれも経営者は戸辺秋次郎であり、もともと野田市の「共楽館」を経営していた人物です。

(写真)柏館と富士館の広告。『柏市動態図鑑 1966年版』日本広飾企画研究所、1966年。

(写真)1961年の柏市街地。地図・空中写真閲覧サービス

 

1958年の映画館名簿

日本の映画観客数がピークを迎えたのは1958年(昭和33年)、映画館数がピークを迎えたのは1960年(昭和35年)です。

1960年(昭和35年)の千葉県の自治体の映画館数を見ると、千葉市(12館)、船橋市銚子市(いずれも8館)、館山市(7館)、木更津市(5館)、市川市松戸市佐原市茂原市(いずれも4館)、野田市成田市東金市八日市場市旭市勝浦市(いずれも3館)の順であり、柏市は16位タイでしかありませんでした。2023年(令和5年)現在に中核市に指定されている自治体としては顕著な少なさだと思われます。

 

1980年の映画館名簿

1973年(昭和48年)には柏富士館が閉館したことで、いったん柏市から映画館が消滅します。1977年(昭和52年)には柏シネマが開館して柏市に映画館が復活しますが、映画館をめぐる1970年代の柏市の状況は、1960年代以上に他都市に差を付けられています。

 

1992年の映画館名簿

1988年(昭和63年)には柏シネアート(後の柏シネマサンシャイン)が開館、1994年(平成6年)には柏松竹が開館、1992年(平成4年)には「柏ステーションシアター」(後のキネマ旬報シアター)が開館。1970年代後半以後、柏市中心市街地には常にシネコンではない映画館が存在しています。

 

2005年の映画館名簿

2006年(平成18年)には郊外にMOVIX柏の葉が開館し、2016年(平成28年)にはTOHOシネマズ柏も開館。2023年(令和5年)現在の柏市の映画館数は22スクリーンであり、わずか2館(2スクリーン)だった映画黄金期と比べると劇的に増加しています。

シネコンの進出直前、2005年(平成17年)の柏市には柏シネマサンシャインの2館、柏松竹の3館、柏ステーションシアターの3館がありました。それぞれ経営者も異なっていますが、大手興行会社が進出している点で首都圏の活気ある自治体という印象を受けます。

 

2.1 柏館(1929年11月-1968年3月)

所在地 : 千葉県柏市柏15(1968年)
開館年 : 1929年11月23日、1946年1月
閉館年 : 1968年3月
『全国映画館総覧 1955』によると1946年1月開館。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1967年・1968年の映画館名簿では「柏館」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「イトーヨーカドー柏店」建物中央部。最寄駅はJR常磐線東武野田線柏駅

(写真)1929年の開館当時の柏館。『歴史アルバム かしわ』柏市役所、1984年。

(写真)1953年の柏館。『歴史アルバム かしわ』柏市役所、1984年。

(写真)1955年頃の柏館のポスター掲示板。『歴史アルバム かしわ』柏市役所、1984年。

(写真)右下に柏館が描かれた住宅地図。『柏市動態図鑑 1966年版』日本広飾企画研究所、1966年。

 

(左)柏館跡地のイトーヨーカドー柏店。

 

2.2 柏富士館(1953年12月-1973年)

所在地 : 千葉県柏市柏2-7-2(1973年)
開館年 : 1953年12月30日
閉館年 : 1973年2月13日
『全国映画館総覧 1955』によると1953年12月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年の映画館名簿では「富士館」。1960年の映画館名簿では「柏富士館」。1963年の映画館名簿では「富士館」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「柏富士館」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「藤和柏コープ」。最寄駅はJR常磐線東武野田線柏駅

(写真)1953年の開館当時の柏富士館。『歴史アルバム かしわ』柏市役所、1984年。

(写真)1953年の柏富士館の館内。『歴史アルバム かしわ』柏市役所、1984年。

(写真)中央左に富士館が描かれた住宅地図。『柏市動態図鑑 1966年版』日本広飾企画研究所、1966年。

 

(左)柏富士館跡地の藤和柏コープ。

 

2.3 柏シネマ(1977年12月3日-1993年頃)

所在地 : 千葉県柏市柏1-2-11(1993年)
開館年 : 1977年12月3日
閉館年 : 1993年頃
1978年の映画館名簿には掲載されていない。1980年・1985年・1986年の映画館名簿では「柏シネマ」。1988年の映画館名簿では「柏シネマ・柏シネマ名画ホール」(2館)。1990年・1992年・1993年の映画館名簿では「柏シネマ」。1994年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はドラッグストア「マツモトキヨシ柏二番街店」。最寄駅はJR常磐線東武野田線柏駅

(左)柏二番街にある柏シネマ跡地のマツモトキヨシ

(左)柏シネマ跡地がある柏二番街。

 

2.4 柏松竹(1994年-2006年2月)

所在地 : 千葉県柏市柏4-3-1 ホテルサンガーデン柏地下1階(2005年)
開館年 : 1994年4月29日
閉館年 : 2006年2月3日
1990年・1992年の映画館名簿には掲載されていない。1995年・2000年・2002年・2005年の映画館名簿では「柏松竹1・2・3」(3館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅はJR常磐線東武野田線柏駅

(左)柏松竹跡地のビル。

 

2.5 柏シネマサンシャイン(1988年3月21日-2008年1月18日)

所在地 : 千葉県柏市柏3-2-22 林ビル2階(2008年)
開館年 : 1988年3月21日
閉館年 : 2008年1月18日
1988年の映画館名簿には掲載されていない。1988年3月21日シネマアート開館。1989年の映画館名簿では「柏シネアート1・2」(2館)。1990年・1992年の映画館名簿では「柏シネマアート1・2」(2館)。1992年頃シネマアート閉館。1993年12月5日シネマサンシャイン開館。1995年・2000年・2002年の映画館名簿では「柏シネマサンシャイン一番館・二番館」(3館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はライブハウス「柏パルーザ」。最寄駅はJR常磐線東武野田線柏駅

(左)柏シネマサンシャイン跡地の柏パルーザ。

(左)柏パルーザの入口。(右)跡地にすぐ北にある柏神社。

 

2.6 キネマ旬報シアター(1992年-営業中)

所在地 : 千葉県柏市末広町1-1 柏高島屋ステーションモールS館隣(2020年)
開館年 : 1992年4月23日
閉館年 : 営業中
1990年の映画館名簿には掲載されていない。1992年柏ステーションシアター開館。1995年・2000年・2005年・2010年の映画館名簿では「柏ステーションシアター1・2・3」(3館)。2012年3月柏ステーションシアター閉館。2013年2月TKPシアター柏 supported by KINEJUN開館。2014年6月キネマ旬報シアター改称。2015年・2020年の映画館名簿では「キネマ旬報シアター1・2・3」(3館)。最寄駅はJR常磐線東武野田線柏駅

(写真)キネマ旬報シアター。

(写真)JR柏駅の通路からキネマ旬報シアターへの案内。

(写真)キネマ旬報シアター。『キネマ旬報』が並ぶ書架。

 

柏市にあった映画館について調べたことは「柏市の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(千葉県版)」にマッピングしています。

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深谷市の映画館

(写真)深谷シネマ。

2023年(令和5年)1月、埼玉県深谷市を訪れました。現在の深谷市には映画館「深谷シネマ」があります。かつては「深谷ムサシノ館」、「深谷電気館」、「豊年座」がありました。

 

1. 深谷市を訪れる

1.1 深谷市立図書館

JR高崎線深谷駅から北に約1kmの深谷城址公園周辺には、深谷公民館、深谷市民文化会館、深谷小学校、深谷幼稚園などの公共施設が集まっています。その中央部に1990年(平成2年)に開館したのが深谷市立図書館であり、開架室が円形のワンフロアであるという特徴があります。

愛知県では東浦町中央図書館(※半円形、1991年開館)、関東地方では水戸市立西部図書館(1992年開館)などが円形の開架室を有していますが、三者の開館時期が近いのが偶然ではなく流行りだったのでしょう。開架室への出入口がひとつしかなく、また水戸や東浦と比べると円の直径が小さいため、館内で迷うようなことはありません。

(写真)深谷市立図書館。一般書。

 

郷土資料は円形の開架室ではなくカウンター脇の小部屋部分にありました。深谷市に関する文献よりも渋沢栄一に関する文献のほうが多い。深谷出身の郷土の偉人の文献を熱心に収集しているともいえますが、深谷市に関する文献が貧弱ともいえます。

(写真)深谷市立図書館。郷土資料。

 

2. 深谷市の映画館

戦前の深谷町には、1919年(大正8年)に開館した電気館(松竹館)と1929年(昭和4年)に開館した豊年座の2館の映画館がありました。電気館の初代社長は北西貫一ですが、やがて豊年座の経営者である伊沢仁太郎の経営に移ります。

戦後には深谷ムサシノ館も開館して3館体制となりますが、いずれも伊沢仁太郎(伊沢興業)による経営でした。伊沢仁太郎は大里郡妻沼町の妻沼映劇なども経営していました。

(写真)深谷町の映画館について言及している『深谷町誌』深谷町商工会、1937年。

 

日本の映画観客数は1958年(昭和33年)に、映画館数は1960年(昭和35年)にピークを迎えます。1960年(昭和35年)には豊年座が、1962年(昭和37年)末には深谷電気館が閉館。1970年代初頭には深谷ムサシノ館も閉館し、深谷市から映画館がなくなりました。コミュニティシネマの深谷シネマが開館するのは約50年後の2002年(平成14年)のことです。

1970年(昭和45年)頃の深谷市の人口は約10万人、2023年(令和5年)現在の人口は約14万人です。この規模の町としては映画館の消滅が早かったと言えます。この理由として、「拠点性の高い都市(熊谷市)に近いこと」、「近代と比べて戦後には経済が衰退傾向にあったこと」「主要な興行主(伊沢仁太郎)の映画産業への見切りが早かったこと」などが想像できますが、3番目の理由が見当はずれでないかどうかは検証してみたい。

(写真)1960年の深谷市街地にあった映画館。地図・空中写真閲覧サービス

 

1961年の映画館名簿

 

1969年の映画館名簿

 

深谷ムサシノ館、深谷電気館、豊年座はそれぞれ、ウェブ検索では跡地は判明しませんでした。そこでまずムサシノ館通り商店街を訪れ、駄菓子屋の成瀬商店で女性主人に話を聞きました。

深谷市にはムサシノ館、電気館、豊年座の3館の映画館があった。成瀬商店の正面にあるグループホームはムサシノ館の跡地である。閉館後にはローラースケート場などになり、やがて駐車場となった。建物は奇妙な形だが、ムサシノ館を模しているわけではないだろう。もっと屋根が高かった記憶がある

ムサシノ館が閉館したのはちょうど50年くらい前だった。ムサシノ館の写真を撮ったことはない。成瀬商店が面する通りはムサシノ館通りと呼ばれているが、若い人はムサシノ館のことを知らないだろう

電気館はもっと深谷駅に近かった。深谷駅と市役所を結ぶ新しい通り(市役所通り)ができたが、跡地は新しい通りにかかっているかもしれない。ムサシノ館通りを西に歩いて県道に出て、南に信号2つ分歩き、さらに西に歩いた場所にあった

 

1960年(昭和35年)の航空写真には電気館らしき巨大な建物が写っています。そこで電気館跡地に近い和菓子屋の栄寿堂を訪れました。

栄寿堂の東にある深谷メンタルクリニックの場所に電気館があった。電気館の前の通りを西に向かい、道路がカーブしている場所の右手に豊年座があった

 

2.1 豊年座(1929年6月-1960年)

所在地 : 埼玉県深谷市田所町1084(1960年)
開館年 : 1929年6月
閉館年 : 1960年
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1943年の映画館名簿では「豊年座」。1947年の映画館名簿では「深谷豊年座」。1950年の映画館名簿では「豊年座」。1953年・1955年の映画館名簿では「深谷豊年座」。1958年・1959年・1960年・1961年・1962年の映画館名簿では「豊年座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「呑龍院」南南東40mの民家数軒。最寄駅はJR高崎線深谷駅

栄寿堂の主人の話を参考にして1960年(昭和35年)の航空写真を見ると、豊年座の巨大な建物はすぐにわかりました。閉館後の1965年(昭和40年)には建物が鉄工所に転用され、少なくとも1980年代末まで建物が残っていたようです。現在は跡地に8軒分の民家が建っています。

(写真)豊年座跡地の民家。

 

2.2 深谷電気館(1919年8月-1962年12月)

所在地 : 埼玉県深谷市西島759(1963年)
開館年 : 1919年8月
閉館年 : 1962年12月
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1925年の映画館名簿では「電気館」。1927年の映画館名簿では「深谷電気館」。1930年の映画館名簿では「電気館」。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1943年・1947年・1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「深谷電気館」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「電気館」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「深谷メンタルクリニック」。最寄駅はJR高崎線深谷駅

(左・右)深谷電気館に言及している『深谷案内』深谷案内編纂会、1923年。

(左・右)深谷電気館の広告。『深谷案内』深谷案内編纂会、1923年。


1919年(大正8年)に深谷町初の映画館として開館したのが電気館です。1939年(昭和14年)には豊年座の伊沢仁太郎が電気館の経営者となり、以後の深谷町ではすべての映画館が伊沢仁太郎によって経営されました。なお、弟の伊沢惣二郎も映画興行主であり、大宮市の大宮東映東松山市の松山映画劇場などを経営していました。

(写真)伊沢仁太郎の弟である伊沢惣二郎。『埼玉県近代史研究 5』埼玉県近代史研究会、1998年。

 

深谷電気館の跡地には心療内科深谷メンタルクリニックがあります。周囲には薬局2軒、眼科、歯科専門学校などもあり、映画館跡地としては特異な環境に思えます。栄寿堂がある通りは古くからある通りであり、小林商店という近代建築もあります。

(写真)深谷電気館跡地の深谷メンタルクリニック

(写真)深谷電気館跡地周辺。

(写真)話を聞いた栄寿堂。大福。

 

2.3 深谷ムサシノ館(1955年-1970年代初頭)

所在地 : 埼玉県深谷市本住町355(1970年)
開館年 : 1955年、1961年7月13日(建て替え)
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年の映画館名簿では「深谷武蔵野館」。1958年・1959年の映画館名簿では「武蔵野館」。1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「ムサシノ館」。1961年1月7日火災焼失。1961年7月13日営業再開。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「深谷ムサシノ館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「三高院」東60mの「障害者グループホーム穂の香」。最寄駅はJR高崎線深谷駅

深谷市3番目の映画館として1955年(昭和30年)に開館し、1961年(昭和36年)の火災後に再建されたのが深谷ムサシノ館です。1970年代初頭に閉館し、2002年(平成14年)に深谷シネマが開館するまで約半世紀も深谷市に映画館は存在しませんでした。面する通りはムサシノ館通り商店街と呼ばれ、かろうじて街灯にだけ深谷ムサシノ館の痕跡を見つけることができます。

(写真)深谷ムサシノ館跡地の障害者グループホーム穂の香。

(左)深谷ムサシノ館跡地周辺。(右)ムサシノ館通り商店街の街灯。

(写真)話を聞いた成瀬商店。

 

2.5 深谷シネマ(2002年7月27日-営業中)

所在地 : 埼玉県深谷市深谷町9-12(2020年)
開館年 : 2002年7月27日、2010年4月16日(移転)
閉館年 : 営業中
Wikipedia深谷シネマ
2003年の映画館名簿には掲載されていない。2004年・2005年・2008年・2010年の映画館名簿では「深谷シネマ」。2010年4月16日移転。2012年・2015年・2020年の映画館名簿では「深谷シネマ」。最寄駅はJR高崎線深谷駅

(写真)深谷シネマ。

(写真)深谷シネマ。

(写真)深谷シネマ。

(写真)深谷シネマ。

(写真)深谷シネマ。

 

 

(写真)深谷シネマの旧館跡地周辺。

 

深谷市にあった映画館について調べたことは「埼玉県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(埼玉県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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