振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

可児市の映画館

(写真)高松伸によって設計された西福寺本堂。

2024年(令和6年)2月、岐阜県可児市を訪れました。

かつて可児市には映画館「ひかり劇場」がありました。「可児市兼山を訪れる」「御嵩町伏見の映画館」からの続きです。

 

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1. 可児市を訪れる

1.1 広見市街地

かつて可児市にあったひかり劇場跡地近くには臨済宗の西福寺があります。設計者はコンクリートを用いたポストモダニズム建築が特徴の高松伸。1982年(昭和57年)竣工には見えない洗練された外観なのを目を見張るし、大御所の建築家である高松伸がまだ若かった頃の作品というのも驚きです。

(写真)西福寺。

 

可児市の旧市街地は西福寺の南側に広がっていました。1928年(昭和3年)以前の広見駅(現・JR可児駅)は下図の右下にありました。

(地図)「昭和3年頃の村木のまちなみ」『可児市史 第4巻 民俗編』可児市、2007年。

(写真)東雲座/ひかり劇場跡地から東に延びる通り。

(写真)西福寺から南に延びる路地。

 

1928年(昭和3年)には吉田倉庫銀行と広見銀行が合併して美濃合同銀行が設立され、同年には鉄筋コンクリート造の美濃合同銀行広見支店が竣工しました。1940年(昭和15年)には十六銀行に買収されて十六銀行広見支店となり、今日では岩田歯科医院に転用されています。「昭和3年頃の村木のまちなみ」では美濃合同銀行と書かれています。

(写真)岩田歯科医院と南北の通り。

(写真)岩田歯科医院と東西の通り。

 

1.2 可児市の商店街

旧市街地に活気のある商店街は残っていません。

(写真)ビレッジ元町。

(写真)ビレッジ元町。

(写真)ビレッジ元町。

 

2. 映画館の文献

2.1 映画館名簿

東雲座が掲載されている1953年(昭和28年)の映画館名簿、ひかり劇場が掲載されている1964年(昭和39年)の映画館名簿です。映画館名簿にみえる経営者は一貫して日比野光雄であり、日比野は1955年(昭和30年)に発足した第1回可児町議会議員でもありました。

可児市域に存在した映画館は東雲座/ひかり劇場のみですが、他には今渡や兼山も拠点性のある集落であり、戦前の今渡にはカフェーや玉突場があったようです。

(写真)可児郡広見町に東雲座が掲載されている『全国映画館名簿1953』時事通信社、1953年。

(写真)可児郡可児町広見にひかり劇場が掲載されている『映画便覧1964』時事通信社、1964年。

 

2.2 渡辺善十郎

明治初期の村木(後の広見、現在の可児市中心部)はそれほど拠点性の強い集落ではなかったようです。1883年(明治16年)に製糸工場ができたことで東西の明治街道沿いに商店が増え、1887年(明治20年)には渡辺善十郎によって、廻り舞台を有する芝居小屋として東雲座が開館しました。

可児市史 第4巻 民俗編』では創設者の渡辺善十郎について、広見町に様々なものをもたらした人物として紹介されています。劇場のほかには、時計(1875年頃)、洋服(1885年)、靴(1885年)、蓄音機(1917年)などの新文化を持ち込んだようです。

 

多治見駅(現・多治見駅)と広見駅(現・可児駅)を結ぶ東濃鉄道(現・JR太多線)が開業したのは1918年(大正7年)。1920年大正9年)には広見駅と御嵩駅(現・御嵩口駅)を結ぶ路線(現・名鉄広見線)も開通し、広見市街地は一気に交通結節点としての役割を強めます。

なお、現在のJR可児駅/名鉄新可児駅可児川西岸(右岸)の下恵土にありますが、1928年(昭和3年)以前は可児川の東岸(左岸)にあり、現在のほっともっと可児広見店付近にあったようです。

 

渡辺善十郎(1846年~1926年)

尾張国丹羽郡羽黒村(現・愛知県犬山市)に生まれ、元治元年(1864年)に美濃国可児郡村木村(現・岐阜県可児市)の渡辺家に養子に入った。渡辺家は造り酒屋を営む商家であり、1883年(明治16年)には新たな事業として製糸工場を設立した。

可児銀行や広見銀行の創設者となり、東濃鉄道の設立にも携わった。伊香郵便局の初代局長も務め、村木村の興文義校で教壇に立ったこともある。渡辺家の電話番号は広見交換局における1番だった。

1882年(明治15年)から1889年(明治22年)まで岐阜県会議員を務め、1890年(明治23年)から1894年(明治27年)には広見村長を務め、1912年(大正元年)から1913年(大正2年)には再び岐阜県会議員を務めた。1916年(大正5年)4月には銅像が建立され、1926年(大正15年)に死去した。

東京府出身の実業家・衆議院議員である渡辺善十郎 - Wikipedia(1883年~1967年)は別人です。

(写真)東雲座を設立した渡辺善十郎。『可児市史 第4巻 民俗編』可児市、2007年。

 

3. 可児市の映画館

3.1 ひかり劇場(1887年-1965年頃)

所在地 : 岐阜県可児郡可児町広見(1965年)
開館年 : 1887年(劇場)、1960年(映画専門館)
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧1955』には開館年が記載されていない。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1949年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「東雲座」。1961年の映画館名簿では「ひかり映画劇場」。1962年の映画館名簿では「ひかり劇場」。1963年の映画館名簿では「ひかり映画劇場」。1965年の映画館名簿では「ひかり劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「西福寺」の南西90mにある数軒分の民家。

(写真)戦後間もない頃の東雲座で行われた地歌舞伎の公演。

(写真)1955年3月に桝席が椅子席に改装された東雲座。『目で見る 可児・加茂の100年』郷土出版社、1990年。

 

ひかり劇場跡地から東に延びる通りには日本料理店の鈴川があります。鈴川は創業60余年とのことで戦後に開店したようですが、「昭和3年頃の村木のまちなみ」にも鈴川の場所に「料理店」が描かれています。鈴川の玄関前のベンチに座っていた男性(70代?)に話を聞くと、

この通りの突き当りに映画館があった。しばらく建物が残っていたが、何年か前に取り壊された。この辺りはすっかり変わってしまった」とのことです。

Googleストリートビューを見ると、東雲座/ひかり劇場の建物は2012年(平成24年)から2015年(平成27年)の間に取り壊されて住宅に代わったようです。

(写真)2012年時点のひかり劇場の廃墟。Googleストリートビュー

(写真)2012年時点のひかり劇場の廃墟。Googleストリートビュー

(写真)2012年時点のひかり劇場の廃墟。Googleストリートビュー

 

(写真)現在のひかり劇場跡地周辺。

(写真)現在のひかり劇場跡地周辺。

可児市の映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。

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御嵩町伏見の映画館

(写真)旧伏見郵便局(松屋山田家住宅)。

2024年(令和6年)2月、岐阜県御嵩町伏見を訪れました。

かつて伏見には映画館「伏見劇場」がありました。「可児市兼山を訪れる」からの続きです。「可児市の映画館」に続きます。なお、2019年(令和元年)12月には「御嵩町の映画館」を投稿しています。

 

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1. 御嵩町伏見を訪れる

1.1 名鉄広見線明智駅

御嵩町伏見はかつて中山道伏見宿として栄えた町。御嵩宿と太田宿の間にあった宿場であり、太田宿との間には木曽川を渡る中山道の難所「太田の渡し」がありました。

伏見の最寄駅は名鉄広見線明智駅であり、1920年大正9年)の開業時の木造駅舎が残っています。入母屋の派生か、独特な屋根の形状です。

(写真)明智駅

(写真)明智駅

 

1.2 旧伏見郵便局(松屋山田家住宅)

伏見市街地の街道筋には1897年(明治30年)竣工の松屋山田家住宅がありますが、1933年(昭和8年)には東側に旧伏見郵便局が増築されている点が特徴的です。ファサードのみモルタル張りの看板建築であり、一見するとコンクリート造にも見えます。

(写真)旧伏見郵便局(松屋山田家住宅)。

(写真)旧伏見郵便局。

(写真)旧伏見郵便局。

 

1933年(昭和8年)3月26日から1973年(昭和48年)まで郵便局として用いられた後、現在は交流施設「お休み処らくだ」となっています。

(写真)1933年3月26日の開局当初の写真。

 

2. 御嵩町伏見の映画館

2.1 伏見劇場(1925年12月4日-1959年9月26日)

所在地 : 岐阜県可児郡伏見町(1955年)
開館年 : 1925年12月4日
閉館年 : 1959年9月
『全国映画館総覧1955』には開館年が記載されていない。1951年の映画館名簿には掲載されていない。1952年・1953年・1954年・1955年の映画館名簿では「伏見劇場」。1956年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「伏見公民館」北西120mにある空き地。

1925年(大正14年)12月4日、可児郡伏見村に株式組織の劇場である伏見劇場が開館しました。映画館名簿には1952年(昭和27年)版から1955年(昭和30年)版にのみ掲載されています。1959年(昭和34年)9月26日の伊勢湾台風で建物が倒壊し、そのまま閉館となったようです。

(写真)伏見劇場の内部。『御嵩町史 通史編 下』御嵩町、1990年。

(写真)伏見劇場が掲載されている『全国映画館総覧 1955』時事通信社、1955年。

 

1949年(昭和24年)の伏見市街地の航空写真を見ると、中山道の北側に伏見劇場の巨大な建物がはっきりと写っています。

(写真)1949年の伏見市街地。地図・空中写真閲覧サービス

 

伏見劇場が面していたのは裏通りであり、跡地は長らく空き地となっているようです。

(写真)伏見劇場跡地の空き地。

(写真)伏見劇場が面する通り。

 

御嵩町伏見の映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。

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鳥羽市の映画館

(写真)江戸川乱歩館。

2019年(平成31年)3月、三重県鳥羽市を訪れました。

※2019年3月に投稿した「鳥羽市立図書館を訪れる」から2024年2月に分割した記事です。

 

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1. 鳥羽市の映画館

かつての鳥羽市街地には朝日座と鳥羽東映劇場(志摩劇場)という2館の映画館がありました。鳥羽東映劇場は1966年(昭和41年)に閉館、朝日座は1972年(昭和47年)に閉館し、以後の鳥羽市に映画館は存在しません。

鳥羽市立図書館が所蔵している1967年(昭和42年)の『鳥羽市住居表示案内図』(住宅地図)で場所を特定することができました。朝日座は鳥羽2丁目に、鳥羽東映劇場は近鉄志摩線中之郷駅の西側にあったようです。

 

1.1 鳥羽東映劇場(1952年7月-1966年)

所在地 : 三重県鳥羽市鳥羽町1529(1966年)
開館年 : 1952年7月
閉館年 : 1966年
『全国映画館総覧 1955』によると1952年7月開館。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「志摩劇場」。1960年の映画館名簿では「鳥羽東映劇場」。1963年の映画館名簿では「鳥羽東映」。1966年の映画館名簿では「鳥羽東映劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「金胎寺」北側にあるアパート「フォーブルコスモ」。最寄駅は近鉄志摩線中ノ郷駅。

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(写真)鳥羽東映劇場跡地。跡地はアパート「フォーブルコスモ」。

 

1.2 朝日座(1928年-1972年)

所在地 : 三重県鳥羽市鳥羽町1930(1969年)
開館年 : 1928年(扇座)、1929年(朝日座)
閉館年 : 1972年
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1936年の映画館名簿では「朝日座」。1943年・1947年の映画館名簿には掲載されていない。1949年の映画館名簿では「朝日座」。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「朝日座」。1966年・1969年の映画館名簿では「鳥羽朝日座」。跡地は「江戸川乱歩館」南西110mにある民家。最寄駅は近鉄鳥羽線・JR参宮線鳥羽駅

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(写真)朝日座跡地。中央の黄土色の建物のさらに裏にあった。

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(地図)鳥羽市街地における朝日座と志摩劇場の位置。地理院地図

 

鳥羽市の映画館について調べたことは「三重県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(三重県版)」にマッピングしています。

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石岡市を訪れる

(写真)石岡市の看板建築。

2020年(令和2年)8月、茨城県石岡市を訪れました。

※本記事は2020年8月に投稿した「石岡市の映画館」から2024年2月に分割した記事です。

 

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1. 石岡市を訪れる

石岡市茨城県の県南地域にある人口約7万人の自治体。かつては常陸国国府や総社が置かれ、近世には府中藩2万石の城下町として栄えます。1902年(明治35年)時点の人口は水戸市に次ぐ規模であり、明治時代は「水戸に次ぐ県内第2の商都」だったようです。

1929年(昭和4年)3月14日の石岡大火 - Wikipedia後、復興時には現在まで残る看板建築が建てられます。1935年(昭和10年)時点の都市規模は県南地域のもうひとつの中心都市である土浦市とほぼ同等ですが、戦後には土浦市に大きく差を付けられます。都市としての立ち位置が相対的に低下したことで看板建築が残ったのではないかと思いました。

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(図)石岡市に関する統計。『写真集 いしおか 昭和の肖像 増補改訂版』(写真にみる石岡の昭和史研究会出版部、2004年)より。

 

2. 石岡市を歩く

石岡市中心市街地を歩きました。大通りの中町商店街/香丸通りと御幸通りが「ト」の字型になっており、御幸通りよりも古い金丸通りの周辺などにも古い建物があります。中町商店街/香丸通りと御幸通りは電線地中化がなされて開放感があり、他の通りも落ち着いた雰囲気です。

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(写真)石岡市中心市街地。地理院地図

 

2.1 中町商店街(中町通り)

(写真)左は1930年竣工の十七屋履物店。木造2階建ての看板建築。屋根部分の装飾や縦長の連窓が印象的。右は1930年竣工の久松商店。木造2階建ての看板建築。戦前には下見板張りの壁面に銅板が用いられていた。いずれも登録有形文化財

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(左)左から十七屋履物店、久松商店、福島屋砂糖店。福島屋砂糖店は1931年竣工。木造2階建ての商家建築。壁面は土壁漆喰塗りではなくコンクリート。看板建築と重厚な商家建築が隣り合ってるのが不思議。(右)十七屋履物店の店内。

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(左)江戸時代末期竣工の丁子屋(まち蔵 藍)。木造2階建ての商家建築。石岡大火で焼失を免れた商家建築では現存する唯一の建物。登録有形文化財。(右)丁子屋の店内。

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(写真)1932年頃竣工のきそば東京庵。木造2階建ての和風食堂建築。登録有形文化財

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(写真)左は1930年頃竣工の森戸文四郎商店。木造2階建・アールデコ調の看板建築。登録有形文化財

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(左)現在の中町商店街。2000年代以後にアーケードの撤去と電線の地中化が行われたことで明るくて開放的な通りに。(右)昭和戦前期の中町商店街。ガス灯がある。

 

2.2 その他の通り

御幸通り(駅前通り)

1896年(明治29年)には国鉄常磐線石岡駅が開業。1924年大正13年)には鹿島参宮鉄道(後のJR鉾田線)も開業して石岡駅の拠点化が進んだ後、石岡大火直後の1929年(昭和4年)10月に開通したのが御幸通り(駅前通り、八間道路)です。現在でもゆったりした道路という印象ですが、車道幅9m、歩道幅3m、計24mという幅員は当時から変わっていないことに驚きます。

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(左)現在の御幸通り。(右)昭和初期の御幸通り。『写真集 いしおか 昭和の肖像 増補改訂版』(写真にみる石岡の昭和史研究会出版部、2004年)より。

 

香丸通り

石岡大火で市街地が焼失した中町商店街とは異なり、大火の影響を受けていないのが香丸通り。大火後の建築が存在感のある中町商店街と比べると街並みに統一感がなく、これはこれで新鮮に見える。小売店が多い中町商店街と比べると卸売業者が多かったようです。

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(写真)香丸通り。

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(写真)1934年竣工の旧浜総業本社。土蔵造2階建て。

 

気になる通りや建物

中町商店街や御幸通りなどの大通り沿い以外にも、気になる通りや建物が多数ありました。

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(写真)1930年頃竣工の喫茶店四季。木造2階建ての看板建築。コリント様式の柱頭飾りと側面の板張りのギャップが素晴らしい。隣接地の朝日屋食堂東日本大震災で被災し、近年に取り壊されたことで側面が見えるようになったみたい。登録有形文化財

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(左)1932年頃竣工の栗山呉服店。木造2階建ての商家建築。2階の窓枠が美しいらしいけど雨戸が閉まってて見えない。登録有形文化財。(右)石岡大火前年の1928年竣工の平松理容店。内部の床が珍しいらしい。登録有形文化財

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(写真)若宮1丁目にあった旧商店。

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(左)看板建築の喫茶店四季と和風建築が対峙してる金丸通り。(右)土橋通にある中川鳥獣店。

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(写真)石岡東宝劇場跡地の北西にある土屋邸。

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(左)日本通運石岡支部の工場跡地を囲む煉瓦塀。(右)金丸町の旧町名標。金丸町は石岡東宝劇場の所在地。

 

3. 石岡市立中央図書館

3.1 図書館の歴史

組織としての石岡市立中央図書館 - Wikipediaの歴史は、1889年(明治22年)に開館した私立図書館の石岡書籍館まで遡ることができ、石岡市立中央図書館は「茨城県では最も長い歴史を持つ図書館」とされています。1989年(平成元年)には図書館史『石岡市図書館百年』が、2019年(令和元年)には図書館史『石岡市立中央図書館創立130周年記念誌』が刊行されています。

組織としての歴史は古いものの、1980年(昭和55年)に開館した現行館が初の単独施設であり、その現行館も古さを感じる建物です。2017年(平成29年)には隣接地に児童書専門の「こども図書館本の森」(大阪市に開館した「こども本の森 中之島」とややこしい)が開館しており、本館における一般書エリアが拡大されたようです。

開架室を見渡す限りでは130年の歴史を感じさせるような書架や展示はありませんでした。住宅地図に関しては1963年の『土浦市石岡市住宅明細図』や1970年代以後のゼンリン住宅地図などがあり、映画館の位置を特定するのに役立ちました。

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(写真)『石岡市図書館百年』(1989年)と『石岡市立中央図書館創立130周年記念誌』(2019年)。

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(写真)石岡市立中央図書館。