振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

鶴城映劇を訪れる

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(写真)鶴城映劇。2022年1月。

2020年(令和2年)12月や2022年(令和4年)1月、愛知県西尾市の成人映画館「鶴城映劇」を訪れました。「西尾市を訪れる」、「西尾市の映画館(1)」(※未投稿)からの続きです。

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1. 鶴城映劇の歴史

1.1 旧館時代(1955年12月末-1986年頃)

2022年(令和4年)1月時点で鶴城映劇は西尾市唯一の映画館であり、三河地方唯一の成人映画館です。大屋尚浩さんが管理人を務めるウェブサイト「港町キネマ通り」では2012年(平成24年)に「鶴城映劇」として紹介されていますが、中日新聞ほかのメディアで取り上げられたことはないようです。2020年(令和2年)12月、鶴城映劇の館主である斉藤さん(女性)に話を聞きました。

 

鶴城映劇の休館日は木曜日。基本の上映終了時間は21時だが、まったく客がいない日は20時台で上映を取りやめることもある

鶴城映劇は1955年に開館した。鶴城映劇がある菅原町は西尾市街地の北のはずれにあるが、夫が地域に請われて経営者となった。まだ日活の人気がさほど高くない時代だったため、西尾市における日活作品の興行権が取れ、石原裕次郎主演の作品などが盛り上がった。当時は建物の前の駐車場がなく、建て替え後の(現在の)建物よりかなり大きかった。現在の道路にかかる部分まで建物があったのではないかと思う。当時の多くの映画館とは異なり、2階席はなかった。日活がロマンポルノを上映するようになり、映画人気の低迷もあって、鶴城映劇は成人映画の上映館となった

 

西尾市で発行されている地域紙には『三河新報』と『愛三時報』があり、西尾市立図書館は両紙を原紙で保存しています。1956年(昭和31年)1月6日の『三河新報』には鶴城映劇の開館を伝えるコラムがあり、"寺津映劇ファン"が以下のように記しています。

天井も白く、二階のないのが清潔な感じで落着きもある。映劇としてはこの小じんまりしたところがいいであろう。難を云えば、扉の音が大きく響いて気になる。ステージ傍の時計が暗くてわからない。豆電気でも入れて寄付者の名も読めるようにし、時刻もわかるよう気をきかせてほしい。その他、椅子席の工合はいいし、ステージの装美もスマートだ。トイレットの位置もよく工夫されていて新しいことと共に清潔そのもので好もしい

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(写真)「鶴映所見」、「映画館の景気まあまあ 賑った商店街通り」『三河新報』1956年1月6日。西尾市立図書館所蔵。

 

鶴城映劇が初めて登場する『映画年鑑 1958年版 別冊 映画便覧 1958』(時事通信社、1958年)では、経営者が三河興行社、支配人が斉藤満となっています。斉藤さんの話に登場する「夫」は斉藤満氏のことと思われますが、斉藤満氏は西尾市で「平坂港座」と「寺津劇場」の支配人でもありました。

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(写真)『映画年鑑 1958年版 別冊 映画便覧 1958』時事通信社、1958年。

 

鶴城映劇は日活の上映館でした。西尾駅の西側に広がる市街地中心部からは外れた場所にあり、市街地北方の発展策として斉藤氏に映画館の開館が依頼された経緯があります。まだ日活の人気が高まる時期に開館したことで興行権を獲得できたようです。

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(地図)1959年の西尾市街地の地形図。今昔マップ on the web

 

開館当時は一般映画館だったため、『三河新報』などにも鶴城映劇の大きな広告が掲載されることがありました。下の広告は石原裕次郎主演作『太陽の季節』、長門裕之主演作『月下の若武者』です。

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(写真)鶴城映劇の広告『太陽の季節』『三河新報』1956年6月30日。西尾市立図書館所蔵。

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(写真)鶴城映劇の広告『月下の若武者』『三河新報』1957年8月9日。西尾市立図書館所蔵。

 

1963年(昭和38年)の住宅地図を見てみると、菅原町にはかなりの数の商店が並んでいます。

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(地図)1963年の住宅地図。右上に鶴映。愛知県図書館所蔵。

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(地図)1983年の住宅地図。中央上に鶴城劇場。愛知県図書館所蔵。

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(左)旧館。中央の灰色の建物。(右)現行館。中央の白い建物。地理院地図

 

 

1.2 現行館時代(1986年6月7日-営業中)

建物が面している道路を拡幅するために、1986年にはそれまでより小規模な建物に建て替えた。道路部分以外の敷地の形は変わっておらず、前面だけ背後に引っ込んだ形である。経営者の夫は教員免許も持っており、建て替えを決める前には閉館も検討した。建て替えにあたってビデオカセットをレンタルできるサービスを取り入れ、また館内にビデオ鑑賞席を設置した。レンタルビデオ店が少ない時代であり、映画館としては画期的なサービスだったと思う。1980年代後半の映画産業は斜陽であり、建て替え後も映画館の観客は少なかったが、レンタルビデオサービスは大好評だった。このため、建て替え後すぐにホールを狭めてビデオ棚を増設した。増設部分のビデオ棚は、建て替え当初のホール最後尾にあたる

2部屋あるビデオ鑑賞席からインターホンが受付に通じており、鑑賞したい作品の番号を伝えると受付から操作してビデオを再生する。ビデオ鑑賞室は休憩室という名称であり、扉のないガラス張りかつ4人掛けとすることで個室ではないことにしている

現時点では閉館は検討していないが、年配なのでいつまで続けられるかはわからない。息子が社長の肩書を背負っているが、愛知県外で別の仕事についており、自身の後継者はいない

 

菅原町と稲荷山(上町)方面を結ぶ道路の拡幅工事のために、1986年(昭和61年)6月7日には同一敷地でやや後退させて立て替えています。オープニングの三本立は『代々木忠の 奥義』、『今陽子蕾の眺め』、『ラブホテル 消し忘れ大全集』。斉藤さんの話ではロビー部分をレンタルビデオコーナーとしたのが画期的だったとのことですが、ビデオ鑑賞席のほうが興味深い。

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(写真)鶴城映劇の新館開館広告。『愛三時報』1986年6月7日。西尾市立図書館所蔵。

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(写真)鶴城映劇のビデオレンタルに関する広告。『愛三時報』1987年12月26日。西尾市立図書館所蔵。

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(地図)1988年の住宅地図。中央上に鶴城映劇場。愛知県図書館所蔵。

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(地図)鶴映が掲載されている愛知県の成人映画館案内。『中日スポーツ』。愛知県図書館所蔵。

 

 

2. 鶴城映劇の写真

2.1 外観

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(写真)鶴城映劇。2022年1月。

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(左)昼間の電飾看板。2022年1月。(右)夜間の電飾看板。2020年12月。

 

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(写真)昼間の入口。2022年1月。

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(写真)夜間の入口。2020年12月。

 

2.2 館内

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(写真)DVD販売・レンタルスペース。

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(写真)DVD販売・レンタルスペース。

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(写真)DVD販売・レンタルスペース。

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(写真)DVD鑑賞席。

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(写真)DVD鑑賞席。

 

水戸市の映画館(3)

水戸市の映画館(1)」「水戸市の映画館(2)」からの続きです。

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1. 水戸市の映画館

1.11 水戸パンテオン(1962年頃-2001年)

所在地 : 茨城県水戸市大工町1-6-1(2000年)
開館年 : 1962年頃
閉館年 : 2001年
1960年・1961年・1962年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の映画館名簿では「日活三笠館」。1966年の映画館名簿では「日活三笠会館」。1967年の住宅地図では「三笠OP劇場・三笠松竹・三笠大映」。1969年の映画館名簿では「三笠OP劇場・水戸三笠松竹・水戸三笠大映」(3館)。1973年の映画館名簿では「三笠OP劇場・三笠松竹・三笠東映」(3館)。1980年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・1995年の映画館名簿では「水戸パンテオン1・2」(2館)。2000年の映画館名簿では「水戸パンテオン」。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「大工町交番」北の「三笠会館ベルスポットビル」。最寄駅はJR常磐線水郡線鹿島臨海鉄道大洗鹿島線水戸駅

水戸パンテオンが4階・5階に入っていた三笠会館ベルスポットビルは大工町のランドマーク的なビルのひとつです。水戸パンテオン跡地は改修されてクラブハウス「VOICE」となり、月曜夜や土日を中心に「Cinema VOICE」という映画上映イベントが開催されているようです。

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(写真)水戸パンテオンが入っていた三笠会館ベルスポットビル。


1.12 水戸スカラ座(1968年頃-2001年)

 所在地 : 茨城県水戸市泉町2-1-25(2000年)
開館年 : 1968年頃
閉館年 : 2001年
1966年・1967年・1968年の映画館名簿には掲載されていない。1969年・1973年の映画館名簿では「水戸アート名画座」。1980年の映画館名簿では「水戸にっかつ劇場」。1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「水戸スカラ座」。2005年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ライオンズマンション水戸」南西40mの有料駐車場「ファーストパーク水戸泉町第6」。

水戸京王グランドの近くには水戸スカラ座もあったようです。

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(写真)左前の駐車場が水戸スカラ座跡地。左奥のマンションが水戸京王グランド跡地。

 

1.13 水戸東映シネマ(1954年9月-2006年2月10日)

所在地 : 茨城県水戸市宮町2-5-45(2005年)
開館年 : 1954年9月
閉館年 : 2006年2月10日

『全国映画館総覧 1955』によると1954年9月開館。1955年の映画館名簿では「水戸セントラル劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「水戸東映映画劇場」。1966年・1969年・1973年・1980年の映画館名簿では「水戸東映劇場」。1967年・1977年の住宅地図では「水戸東映」。1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「水戸東映シネマ1・2」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「水戸東照宮」北東の有料駐車場「水戸東照宮駐車場」。最寄駅はJR常磐線水郡線鹿島臨海鉄道大洗鹿島線水戸駅

水戸東照宮の北側には東映直営の封切館「水戸東映シネマ」がありました。1954年(昭和29年)の開館当初は木造館だったものの、映画全盛期の昭和30年代に鉄筋コンクリート造2階建ての建物に建て替えたと思われます。全蓋式アーケードを有する宮下銀座商店街の北端に隣接しており、商店街型映画館といえます。2006年(平成18年)に閉館を報じる新聞記事には「建物は取り壊して更地にしたうえで水戸東照宮に返還する予定」とあり、もともと敷地は水戸東照宮が所有していたようです。

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(写真)水戸東映シネマ跡地の水戸東照宮駐車場。左は宮下銀座商店街。右奥は水戸東照宮

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(左)水戸東映シネマ跡地の水戸東照宮駐車場。左は水戸東照宮の石段。(右)宮下銀座商店街。


1.14 水戸リードシネマ(1982年頃-2008年4月)

所在地 : 茨城県水戸市南町3-3-33 水戸リードビル5階・4階・1階・地下1階(閉館時)
開館年 : 1982年頃
閉館年 : 2008年4月
1982年の映画館名簿には掲載されていない。1983年・1984年・1985年の映画館名簿では「コートワンシネマ」。1990年・1995年の映画館名簿では「水戸リードシネマ1・2・3」(3館)。2000年・2005年の映画館名簿では「水戸リードシネマ 5階A・5階B・4階・1階・地下」(5館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。5スクリーンの映画館。

水戸駅前と大工町の中間付近、南町3丁目交差点東の水戸リードビルには、ビル内の5階・4階・1階・地下1階に計5スクリーンを有する水戸リードシネマがありました。1985年(昭和60年)の映画館名簿には1スクリーンの「コートワンシネマ」として登場。1990年代には3スクリーン体制、2000年代には5スクリーン体制であり、水戸献血ルーム読売・日本テレビ文化センター水戸やライブハウスも同一ビルにあったようです。水戸リードシネマを運営していたのはビルの所有者である関東地産ですが、2008年(平成20年)4月の映画館閉館から半年後には水戸リードビルも閉鎖されています。

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(写真)閉鎖されている水戸リードビル。2021年12月。

 

1.15 水戸テアトル西友(1988年4月28日-2008年8月31日)

 所在地 : 茨城県水戸市三の丸1-1-12(2005年)
開館年 : 1988年4月28日
閉館年 : 2008年8月31日
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・1995年・2000年・2005年の映画館名簿では「水戸テアトル西友1・2」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「水戸地方法務局」が入る「駿優教育会館」東側の空き地。最寄駅はJR常磐線水郡線鹿島臨海鉄道大洗鹿島線水戸駅

1971年(昭和46年)に西友水戸店が開店し、1988年(昭和63年)に水戸西武店に改称した際に「水戸テアトル西友」が開館。水戸西武店は2000年(平成12年)にリヴィン水戸店に改称しています。2008年(平成20年)8月31日には水戸テアトル西友が閉館し、2009年(平成21年)3月31日にはリヴィン水戸店も閉店しています。リヴィン水戸店の建物は2012年(平成24年)に取り壊されましたが、8年経つ現在も雑草が茂る更地のままです。

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(写真)リヴィン水戸店跡地の空き地。2021年12月。

 

1.16 水戸銀星映画劇場(1951年11月-営業中)

所在地 : 茨城県水戸市袴塚1-6-16(2020年)
開館年 : 1951年11月
閉館年 : 営業中

1953年・1955年の映画館名簿では「銀星映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「水戸銀星映画劇場」。1966年・1969年・1973年・1980年の映画館名簿では「水戸銀星劇場」。1967年の住宅地図では「銀星映画劇場 中華・喫茶パール」。1977年の住宅地図では「銀星映画劇場」。1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2020年の映画館名簿では「水戸銀星映画劇場」。成人映画館。最寄駅はJR常磐線赤塚駅

1951年(昭和26年)に吉村修太郎によって開館。港町キネマ通りによると、開館当初は洋画上映館であり「シルバースター劇場」という館名だったとのことですが、1953年(昭和28年)の『映画館名簿』には現在と同じく「銀星映画劇場」として掲載されています。1955年(昭和30年)の『映画館名簿』によると上映作品は大映東映東宝、1966年(昭和41年)の『映画館名簿』によると上映作品は東宝大映東映・日活とのこと。水戸市では1館だけ離れた場所にある立地のためか、邦画各社の作品を数か月遅れで上映する二番館だったようです。

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(写真)水戸銀星映画劇場。2021年12月。

 

「観客数の減少」以外の映画館の閉館理由としては、「賃貸借契約の満了」や「建物や施設の老朽化」などが挙げられます。建て替えを行ってまで営業を継続する映画館はそれほど多くない中で、水戸銀星映画劇場は木造館から鉄筋コンクリート造の3階建てビルに建て替えています。モザイクタイルの壁画は遠くからでも目を引き、周辺では一種のランドマーク的存在になっているのではないかと思いました。

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(写真)水戸銀星映画劇場。2021年12月。

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(写真)水戸銀星映画劇場。2021年12月。

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(写真)水戸銀星映画劇場。2021年12月。

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(写真)水戸銀星映画劇場。2021年12月。

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(地図)1906年水戸市街地。市街地の北西端に袴塚がある。今昔マップ on the web

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(地図)1960年代の水戸銀星映画劇場周辺。水浜線のこの区間は1944年に休止されているが跡地の道路が残ってる。地理院地図


 

1.17 TOHOシネマズ水戸内原(2005年11月9日-営業中)

所在地 : 茨城県水戸市中原2丁目1 イオンモール水戸内原3階(2020年)
開館年 : 2005年11月9日
閉館年 : 営業中
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2010年・2020年の映画館名簿では「TOHOシネマズ水戸内原1-8」(8館)。最寄駅はJR常磐線内原駅

「TOHOシネマズ水戸内原」は水戸市に2施設あるシネコンの片方であり、水戸駅から2駅西の内原駅に近いイオンモール水戸内原に入っています。郊外型シネコンとも駅前型シネコンともいえる立地。水戸市最大のショッピングセンターであり、水戸市西部や笠間市などから、自動車・鉄道それぞれで交通手段の観客を集めていると思われます。座席数は8スクリーン計1596席、8スクリーン計1,467席のユナイテッド・シネマ水戸とそれほど変わりません。

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(写真)TOHOシネマズ水戸内原が入るイオンモール水戸内原Wikipedia - TC 411-507 - CC BY-SA 3.0

 

1.18 ユナイテッド・シネマ水戸(2006年4月26日-営業中)

所在地 : 茨城県水戸市宮町1-7-44 COMBOX310内(2020年)
開館年 : 2006年4月26日
閉館年 : 営業中
2005年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「シネプレックス水戸」(8館)。2020年の映画館名簿では「ユナイテッド・シネマ水戸」(8館)。最寄駅はJR常磐線水郡線鹿島臨海鉄道大洗鹿島線水戸駅

ユナイテッド・シネマ水戸」は水戸市に2施設あるシネコンの片方であり、水戸駅南口の複合商業施設「COMBOX310」に入っています。TOHOシネマズ水戸内原の開館の半年後、2006年(平成18年)4月に「シネプレックス水戸」として開館し、2017年(平成29年)8月に「ユナイテッド・シネマ水戸」に改称しています。シネプレックスつくばに次いで茨城県2番目、全国では8番目と後発のシネプレックスのようです。

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(写真)ユナイテッド・シネマ水戸が入るCOMBOX310。

 

参考

70年代のぴあに載っていた水戸の映画館の現在」水戸時層学会

水戸の映画館跡地を巡る」izumi_ginna(Togetter)

 

水戸市にあった映画館について調べたことは「水戸市の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(茨城県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com


 

水戸市の映画館(2)

水戸市の映画館(1)」からの続きです。「水戸市の映画館(3)」に続きます。

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1. 水戸市の映画館

1.1 水戸栄楽映画劇場(1951年-1962年頃)

所在地 : 茨城県水戸市本町5-863(1961年)
開館年 : 1951年10月
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年10月開館。1953年の映画館名簿では「栄楽映画劇場」。1955年・1958年・1960年・1961年の映画館名簿では「水戸栄楽映画劇場」。1955年の映画館名簿では経営者は坂場義雄、200席、松竹・大映を上映。1962年の映画館名簿では「浜田東映映画劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

「水戸みゆき座」や「水戸シネマ映画劇場」とともに、下市エリアにあった3館の映画館のひとつが「水戸栄楽映画劇場」です。1960年代初頭に閉館。水戸市立図書館にある住宅地図は1967年版が最古(『水戸市住宅詳細図』三洋堂)であり、正確な場所はわかりません。

 

1.2 水戸大映映画劇場(1955年頃-1964年頃)

所在地 : 茨城県水戸市泉町4-1049(1963年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1964年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年の映画館名簿では「水戸大映劇場」。1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「水戸大映映画劇場」。1963年の映画館名簿では経営者は京王映画、473席、大映を上映。1965年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1963年時点で京王映画は水戸市内で「水戸松竹映画劇場」(後の水戸京王グランド)、「水戸大映映画劇場」、「水戸宝塚映画劇場」(後の水戸サンリオ東宝)、「水戸日活映画劇場」の4館を経営しており、この中で最も早く閉館したのが「水戸大映映画劇場」です。京王映画は1956年(昭和31年)に設立された京王グループの企業であり、「水戸京王グランド」閉館後の1989年(平成元年)に解散しています。1960年代中頃に閉館していますが、水戸市立図書館にある住宅地図は1967年版が最古(『水戸市住宅詳細図』三洋堂)であり、正確な場所はわかりません。

 

1.3 水戸シネマ映画劇場(1950年代後半-1965年頃)

所在地 : 茨城県水戸市本3丁目1082(1965年)
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1965年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「水戸シネマ映画劇場」。1964年の映画館名簿では「水戸シネマ」。1965年の映画館名簿では「水戸シネマ映画劇場」。1963年の映画館名簿では経営者は鈴木興業社、410席、邦画を上映。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

「水戸みゆき座」や「水戸栄楽映画劇場」とともに、下市エリアにあった3館の映画館のひとつが「水戸シネマ映画劇場」です。1960年代初頭に閉館。水戸市立図書館にある住宅地図は1967年版が最古(『水戸市住宅詳細図』三洋堂)であり、正確な場所はわかりません。

 

1.4 水戸東宝映画劇場(1950年-1968年頃)

所在地 : 茨城県水戸市裡信願寺町1286(1968年)
開館年 : 1950年9月
閉館年 : 1968年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年9月開館。1953年・1955年の映画館名簿では「水戸東宝劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「水戸東宝映画劇場」。1966年・1967年・1968年の映画館名簿では「水戸東宝劇場」。1967年の住宅地図では「東宝劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「リカーマウンテン水戸大工町店」などが入る「大工町ビル」。最寄駅はJR常磐線水郡線鹿島臨海鉄道大洗鹿島線水戸駅

「三笠会館」(後の水戸パンテオン)とともに、大工町にあった2施設の片方が水戸東宝映画劇場です。1966年(昭和41年)の『映画館名簿』によると633席の映画館。経営者は北日本興行という企業であり、東宝グループの六部興行とは異なるようであり、上映作品も東宝ではなく特選洋画となっています。跡地には1970年(昭和45年)竣工の大工町ビルが建っており、リカーマウンテンなどが入居しています。

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(写真)1954年の水戸東宝劇場。「新・盛り場風土記」『キネマ旬報』1954年3月下旬号。

 

1.5 水戸みゆき座(1952年11月-1970年代初頭)

所在地 : 茨城県水戸市本町4-1088(1970年)
開館年 : 1952年11月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1952年11月開館。1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「水戸国文館」。1963年の映画館名簿では「みゆき座」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「水戸みゆき座」。1967年の住宅地図では「みゆき屋」(誤字か?)。1973年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅はJR常磐線水郡線鹿島臨海鉄道大洗鹿島線水戸駅

下市エリアでもっとも遅くまで営業していたのが「水戸みゆき座」であり、現在のイオンスタイル水戸下市の南にありました。1950年代の映画館名簿における名称は水戸国文館。1960年代の航空写真を見ると、国道51号はまだ開通しておらず、ハミングロードとふれあいロードは鍵型に接続しています。跡地はイオンスタイルの平面駐車場となっています。

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(写真)1954年の国文館。「新・盛り場風土記」『キネマ旬報』1954年3月下旬号。

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(地図)1960年代の水戸みゆき座周辺。地理院地図

 

1.6 水戸オデオン座(1953年1月-1984年8月31日)

所在地 : 茨城県水戸市宮町2-5-14 新水戸会館(閉館時)
開館年 : 1953年1月
閉館年 : 1984年8月31日
『全国映画館総覧 1955』によると1953年1月開館。1953年の映画館名簿では「オデオン座」。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「水戸オデオン座」。1966年・1969年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の映画館名簿では「水戸オデオン」。1977年の住宅地図では「新水戸会館 オデオン座」。1980年の映画館名簿では「水戸オデオン座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「水戸東照宮」南の有料駐車場「宮之下駐車場」。最寄駅はJR常磐線水郡線鹿島臨海鉄道大洗鹿島線水戸駅

「水戸東映シネマ」から水戸東照宮を挟んで反対側、新水戸会館の1階には洋画上映館「水戸オデオン座」がありました。1953年(昭和28年)の開館時には国道50号より北の仲町(現在の大町3丁目など)にあり、1963年(昭和38年)末に火災で営業を休止した後、1970年代初頭に新水戸会館に入居したと思われます。

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(写真)1954年のオデオン。新水戸会館移転前の仲町時代。「新・盛り場風土記」『キネマ旬報』1954年3月下旬号。

 

1965年(昭和40年)12月に竣工した新水戸会館は、結婚式場・ボウリング場・回転展望レストランなどを備えた豪華な施設。跡地は宮之下駐車場となっています。

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(写真)水戸オデオン座跡地の駐車場 宮之下駐車場。

 

1.7 水戸ロマンス座(1958年頃-1988年頃)

所在地 : 茨城県水戸市宮町2-3-2(1988年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1988年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「ロマンス座」。1963年・1969年・1973年・1980年・1985年の映画館名簿では「水戸ロマンス座」。1967年の住宅地図では「富士ビル 映画ロマンス座など」。1977年の住宅地図では「富士ビル 地下1階ロマンス座」。1989年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「東進衛星予備校水戸校」などが入る1989年竣工の(2代)「富士ビル」。最寄駅はJR常磐線水郡線鹿島臨海鉄道大洗鹿島線水戸駅

水戸駅前の銀杏坂交差点の西角、初代富士ビルの地下1階には「水戸ロマンス座」がありました。遅くとも1970年代後半には成人映画館となっていたようです。1980年代後半の映画館閉館後、跡地には1989年(平成元年)に2代目富士ビルが竣工しています。

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(写真)左が水戸ロマンス座跡地の富士ビル。 

 

1.8 水戸京王グランド(1952年9月-1988年11月25日)

所在地 : 茨城県水戸市天王町4-27(1980年)
開館年 : 1952年9月(松竹映画劇場)、1963年(京王グランド・京王東宝
閉館年 : 1988年10月28日(京王プラザ)、1988年11月25日(京王グランド)
『全国映画館総覧 1955』によると1952年9月開館。1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「水戸松竹映画劇場」。1966年の映画館名簿では「水戸京王グランド・水戸京王東宝映画劇場」(2館)。1967年の住宅地図では「京王グランド 京王東宝劇場 京王映画水戸営業所 喫茶モンブランなど」。1969年の映画館名簿では「水戸京王グランド・水戸日活映画劇場」(2館)。1973年の映画館名簿では「水戸京王グランド・水戸京王日活」(2館)。1977年の住宅地図では「京王グランド劇場」。1980年の映画館名簿では「水戸京王グランド・水戸京王プラザ」(2館)。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ライオンズマンション水戸」。最寄駅はJR常磐線水郡線鹿島臨海鉄道大洗鹿島線水戸駅

大工町から国道50号を超えて南側、泉町3丁目や天王町にも歓楽街が続いています。国道50号に並行する通りにはソープランド・メンズエステ・ファッションヘルスなどがあり、この通りの東端に「水戸京王グランド」がありました。ビルの2階に「京王グランド」が、地下1階に「京王プラザ」があったようであり、全盛期の京王グランドは880席の大劇場だったようです。

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(写真)1954年の水戸松竹。「新・盛り場風土記」『キネマ旬報』1954年3月下旬号。

 

1988年(昭和63年)の閉館後、1992年(平成4年)には14階建てのライオンズマンション水戸が竣工しています。

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(写真)水戸京王グランド跡地のライオンズマンション水戸

 

1.9 スカイシネマ(1978年5月26日-1989年頃)

所在地 : 茨城県水戸市南町1-2-22(1985年)
開館年 : 1978年5月26日
閉館年 : 1989年頃
1973年の映画館名簿には掲載されていない。1977年の住宅地図では後の映画館の場所に「サントピア水戸(建)」。1980年の映画館名簿では「スカイシネマ」。1985年・1986年の映画館名簿では「水戸スカイシネマ」。1988年・1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ライオンズシティ水戸」北60mの有料駐車場「ONE'S PARK南町第10駐車場」。最寄駅はJR常磐線水郡線鹿島臨海鉄道大洗鹿島線水戸駅

1978年(昭和53年)5月26日に開業したファッションビルのサントピア - Wikipediaには、最上階の7階に映画館「スカイシネマ」があったようです。サントピアは国道50号にも面していましたが、逆「L」字型の建物だったため、ビルの重心は建物1軒分奥まった場所にあります。「スカイシネマ」は1980年代後半に閉館しましたが、サントピア自体は2007年(平成19年)5月31日まで営業していました。サントピアは2016年(平成28年)に取り壊され、跡地は駐車場 ONE'S PARK南町第10駐車場となっています。

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(写真)サントピア跡地の駐車場 ONE'S PARK南町第10駐車場。

 

1.10 水戸サンリオ東宝(1953年1月-1992年1月26日)

所在地 : 茨城県水戸市南町1-4-14(1990年)
開館年 : 1953年1月
閉館年 : 1992年1月26日
『全国映画館総覧 1955』によると1953年1月開館。1955年の映画館名簿では「水戸銀座映画劇場」。1966年の映画館名簿では「水戸宝塚劇場」。1967年の住宅地図では「水戸日活」。1969年の映画館名簿では「水戸京王東宝劇場」。1977年の住宅地図では「京王東宝」。1973年・1980年の映画館名簿では「水戸京王東宝」。1990年の映画館名簿では「水戸サンリオ東宝」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は有料駐車場「ONE'S PARK 南町第6駐車場」。最寄駅はJR常磐線水郡線鹿島臨海鉄道大洗鹿島線水戸駅

水戸駅から銀杏坂を北西に500m、中央郵便局前の三差路の南西側のエリアにあったのが「水戸サンリオ東宝」と「スカイシネマ」です。水戸サンリオ東宝の歴史は古く、1953年(昭和28年)に開館した「水戸銀座映画劇場」に起源を持つようです。

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(写真)1954年の水戸銀座映画劇場。「新・盛り場風土記」『キネマ旬報』1954年3月下旬号。

 

1992年(平成4年)に「水戸サンリオ東宝」が閉店した後、2010年代中頃までは跡地にゲームセンターのプレイステージウインがあったようですが、現在の跡地は有料駐車場となっています。

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(写真)右が水戸サンリオ東宝跡地の駐車場 ONE'S PARK 南町第6駐車場

 

水戸市にあった映画館について調べたことは「水戸市の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(茨城県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com


西尾市を訪れる

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(絵図)吉田初三郎『三河西尾町』西尾町役場、1930年代。

2021年(令和3年)9月、愛知県西尾市を訪れました。「西尾市の映画館(1)」(※未投稿)、「鶴城映劇を訪れる」に続きます。

 

1. 西尾市を訪れる

1.1 西尾茶

西尾市は愛知県西三河地方にある人口約17万人の自治体。平成の大合併では幡豆郡一色町吉良町幡豆町編入し、かつての幡豆郡全体が市域となりました。旧・西尾市の象徴的な存在が西尾茶(西尾の抹茶)であり、全国的なブランドの認知度は低いものの、抹茶アイスや抹茶ラテなどの食品加工用原料としての地位を確立しているようです。

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(写真)稲荷山の茶畑。

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(左)稲荷山茶園公園。(右)稲荷山の茶畑。

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(左)「茶祖の寺」紅樹院。(右)紅樹院にある西尾茶の原樹。

 

1.2 西尾市立図書館

2019年(令和元年)には西尾市立図書館に関するブログを書いています。

ayc.hatenablog.com

 

2. 西尾市の地図・絵図

2.1 『大日本職業別明細図』1930年

岡崎市立中央図書館が所蔵する『大日本職業別明細図』東京交通協会、1930年には西尾町の地図が含まれています。1928年(昭和3年)に現在地に移転した碧海電気鉄道(現・名鉄西尾線)西尾駅や、石川栄耀の都市計画による花ノ木町の区画整理事業の状況がわかります。『大日本職業別明細図』はどの地域の版も文字が汚く、判読できない商店名が散見されるのが残念です。

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西尾市街地中心部

1926年(大正15年)に開館した松栄館も描かれていますが、地図が不正確で位置がおかしいようにも思えます。1940年(昭和15年)開館の西尾劇場は当然ながら描かれていません。

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2.2 鳥観図『三河西尾町』1937年頃

吉田初三郎式鳥観図データベースには吉田初三郎『三河西尾町』(西尾町鳥観図)西尾町役場、1930年代が登録されています。1937年(昭和12年)頃の作品とされているものの、1940年(昭和15年)に開館したはずの西尾劇場が描かれています。これは鳥観図の製作年がおかしいのではなく、1940年(昭和15年)とされている西尾劇場の開館年が誤っているのではないかと考えています。

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西尾市街地全体

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西尾駅付近

高等女学校、商工館、名古屋銀行、岡崎銀行、西尾病院、新丸楼、高砂楼、ヤマヤマ醤油店、銘酒建勲蔵元、西尾劇場、松栄館、本田機械製作所、魚市場、守山商店、丸丈商店、小岸屋

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稲荷山茶園付近

三河湾、稲荷山、八王子貝塚、茶園ノ碑、宝相寺、第一尋常小学校、西ノ町組合、岩瀬文庫、岡崎銀行、新丸楼、鈴木商会、丸丈商店、小岸屋、ヤマヤマ醤油店、銘酒建勲蔵元

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伊文神社付近

矢作川、伊文神社、中学校(現・愛知県立西尾高校)、高等女学校、矢作変電所、東邦変電所、蚕業取締所、織物工業組合、東部組合、隣保館、青果市場、カツヌマ病院、西村材木店

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西尾小学校付近

城址公園、乃木公園、尚古荘、台嶺殉教碑、町役場、幡豆郡公共会、青年会館、名古屋銀行、警察署、郵便局、蚕糸学校、尋常高等小学校(現・西尾市立西尾小学校)、幼稚園、錦城館、山尾病院、はとみそ本店、長谷川時計店、鈴木ラジオ店

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八面山付近

矢作古川、八面山、謎かけ松、久麻久神社、第二尋常小学校

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