(写真)旧一味楼。
2024年(令和6年)3月、大分県竹田市の旧一味楼(竹田市公民館竹田分館)を訪れました。
1. 旧一味楼
旧一味楼(竹田市公民館竹田分館)は1913年(大正2年)に竣工した近代和風建築であり、2011年(平成23年)には登録有形文化財に登録されています。1階には座敷が並び、2階は大広間となっている料亭建築とのことですが、建物内には入っていません。
(写真)旧一味楼。
(写真)旧一味楼の玄関。
(写真)旧一味楼の庭園と建物。
『広報たけた』2011年5月号には改修工事が完了したという記事が掲載されていました。旧所有者は家原清氏とあります。
(写真)「竹田分館がリニューアル!」『広報たけた』竹田市、2011年5月号。
2. 家原幸二郎翁頌徳碑
旧一味楼の東側には「家原幸二郎翁頌徳碑」があります。家原幸二郎という名前でGoogle検索を行っても1件もヒットしないため、ここに碑文を記録します。家原幸二郎は1902年(明治35年)生まれであることから、1913年(大正2年)に一味楼を建てたのは養父の家原熊太郎と思われます。
下部に1961年(昭和36年)4月に建立された際の碑文が、中央部に1981年(昭和56年)4月に再建(?)された際の碑文が刻まれています。1961年(昭和36年)の碑文には後藤宗昭竹田市長の名前が記されており、1981年(昭和56年)の碑文の建立者は井野隆孝氏となっています。
2.1 下部の碑文
碑文
翁は、明治三十五年三月二十五日竹田市大字竹田町二十番地家原友吉の次男として生誕
大正六年旧制竹田中学校を卒業、同時に十六歳で家原熊太郎の養子となり料亭一味楼を継承
生来、明朗にして剛健、進取の気性に富み他に先駆け養鱒業に取組み成功 その他多年に亘り地域振興に貢献する 昭和四十二年には料亭一味楼跡のこの地を竹田市に寄贈するなど幾多の業績を残した
よって、翁の篤行を後世に伝えるためここに頌徳碑を建立する
昭和三十六年四月吉日 竹田市長後藤宗昭
(写真)「家原幸二郎翁頌徳碑」。
2.2 中央部の碑文
功績内容
一. 市町会議員 二期
二. 青果市場の開設
昭和十四年に私財を投じ野菜市場を●●農家の利便と流通の近代化に尽す
三. 淡水魚の振興
市内河宇田の豊富な湧水を利用した県●養鱒場(入田村へ委託)の経営権を、昭和二十九年三月に譲り受け、以来、養鱒技術の修得と新しい料理法を考案し、今日の養鱒業の基礎を築くとともに、その後、その秘伝をしない有志に伝授、後継者の育成に努め、また、新しい観光資源の開発にも大きな功績を残す
四. 私財の寄附
昭和四十二年一月社会福祉施設として次の土地建物を竹田市に寄贈した
(一)土地 竹田市竹田下町一九一九番地 宅地八〇一平方メートル
(二)建物 木造瓦葺二階建四棟 七七五平方メートル
(三)その他和風庭園一式
昭和五十六年四月建立 井野隆孝
(写真)中央部の碑文。
(写真)中央部の碑文。
(写真)「家原幸二郎翁頌徳碑」。