振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「ウィキペディアタウンin丹波篠山~篠山の怪談七不思議」に参加する

(写真)七不思議のひとつ「土手裏のおちょぼ」のイメージ。河原町の裏道にいらすとやの画像を合成。

2024年(令和6年)11月24日(日)、兵庫県丹波篠山市で開催された「ウィキペディアタウンin丹波篠山~篠山の怪談七不思議」に参加しました。「丹波篠山市の映画館」に続きます。

 

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1. イベント概要

JR大阪駅から尼崎駅を経由して、快速が篠山口駅に直通しています。「丹波栗フェア」が開催される9月中旬から11月上旬頃が丹波篠山市における観光のピークのようで、11月下旬にも篠山城を中心に多くの観光客がいました。

2024年(令和6年)2月11日には隣接する丹波市において、崇廣館を再建する会の主催でウィキペディア in 柏原という企画が開催され、柏原藩の藩校である「崇廣館 - Wikipedia」が作成されています。私は崇廣館に興味を持ったため、翌日に出典を追加するなどの編集を行いました。このイベントにウィキペディアの編集熟練者は参加していなかったようです。

丹波市のイベントとは関係なく、図書館職員の発案で「ウィキペディアタウンin丹波篠山」が開催されたようです。「図書館が調査にも使えることを知ってほしい」とのことで、「丹波篠山市について多くの方に知ってもらうためにWikipediaは効果的」という説明がありました。

なお、開催前の10月28日には丹波新聞に「七不思議を調査 ウィキで世界へ発信 『地域の魅力再発見を』」という記事が掲載されています。

 

2. イベントの経過

2.1 まちあるき

イベントの題材は篠山城下に伝わる「篠山の怪談七不思議」です。参加者は丹波篠山市立中央図書館に集合し、図書館職員の千原さんなどからイベントやWikipediaに関する説明を受けた後、公用車で篠山城などがある篠山市街地に向かいました。

丹波篠山市役所に公用車を止め、七不思議が伝わるスポット2件(「田代の前」、「坪井の榧の木」)を見学します。さらに公用車で南新町駐車場に移動し、さらに2件(「川ン丁の鼻黒」「土手裏のおちょぼ」)のスポットを見学しました。各スポットでは郷土資料担当司書の西澤さんから、七不思議が書かれた郷土資料や篠山城下の古地図などを元にした解説を聴きました。

(写真)怪談の解説を聞く参加者。

(写真)まちあるき中の参加者。

 

七不思議がおそらく初めて文献に登場するのは、郷土史家の奥田楽々斎が1958年(昭和33年)に著した『多紀郷土史考』であり、奥田は「1900年頃の篠山に伝わっていた怪談」としています。奥田楽々斎以外にこの伝承に言及している文献が見つからないのは気になりますが、近年になって『丹波新聞』に取り上げられるなどしています。

(写真)七不思議のひとつ「番所橋の酒買い小僧」のイメージ。妙福寺の写真にいらすとやの画像を合成。

 

2.2 文献とWikipedia編集

Wikipediaには内容に関するルールとして「方針」(すべての利用者が従うべきもの)と「ガイドライン」(従うことが推奨されているもの)があり、ガイドラインの一つとして Wikipedia:独立記事作成の目安 - Wikipedia があります。百科事典の単独記事とする特筆性があるかどうかを判断するためのガイドラインであり、「対象と無関係な信頼できる情報源から有意な言及があるかどうか」などが判断基準となります。

「篠山の怪談七不思議」は『郷土事典』(1936年)や『篠山町75年史』(1955年)や『篠山町百年史』(1983年)で言及されておらず、郷土資料においては『多紀郷土史考』(1958年)でしか確認できません。自治体史で言及している妖怪を網羅的に収録した書籍『日本怪異妖怪事典 近畿』、2020年8月17日付『丹波新聞』記事などは『多紀郷土史考』を出典として言及していますが、奥田楽々斎以外の人物による言及ではありません。単独記事とするのは難しいのではないかと思われたため、「丹波篠山市 - Wikipedia」に加筆する編集を行いました。

(写真)準備された文献。

(写真)篠山の怪談七不思議に言及している『多紀郷土史考 下』。

(写真)編集中の参加者。

 

今回のイベントにはWikipediaの編集熟練者として私(かんた)と伊達深雪さんが参加しています。我々は「大入道 - Wikipedia」などに篠山の事例を加筆する編集を行ったほか、私は七不思議の場所を示す地図を作成するなどし、伊達深雪さんはウィキソースに「篠山の怪談七不思議」を新規作成するなどしています。

(写真)篠山の怪談七不思議の場所。背景はOpenStreetMap。©OpenStreetMap contributor

(写真)ウィキソース「篠山の怪談七不思議」。

 

「篠山の怪談七不思議」の7つの怪談は「【場所】の【妖怪名】」であるものが多く、現地を訪れて解説を聴いたり写真を撮ったりする意義があるものでした。一方で、『多紀郷土史考』以外の文献が存在しないともいえ、ウィキペディアタウンで扱うには難しい題材でした。

丹波篠山市の文化としては、民謡の「デカンショ節 - Wikipedia」が日本遺産に選定されており、観光要素の強い特産品として「丹波黒 - Wikipedia」「丹波栗 - Wikipedia」などもあります。これらの題材は市民の関心・愛着が大きいと思われ、また篠山市立中央図書館の郷土資料を活かせる題材でもあると思われます。

(左)丹波黒大豆。(右)丹波栗。