(写真)妙立寺。
2024年3月16日(土)、静岡県湖西市で開催された生涯学習講座「オープンデータの仕組みを知り湖西の魅力発信に活用!」に参加しました。
1. ウィキペディアタウン
1.1 イベントの流れ
イベント名だけでは何をするイベントなのかわかりにくいのですが、いわゆるウィキペディアタウンです。主催は湖西市、講師は市川博之さんと市川希美さん(Code for ふじのくに)、杉本等さん(元湖西市市民活動支援事務局事務局長)です。
参加者には地元の歴史愛好家が何人かおり、高校生だという杉本等さんの息子さんも参加。ウィキペディアンとしては私と漱石の猫さんが一般参加しています。
1.2 オープンデータやWikipediaの説明
市川希美さんによるWikipediaの説明の中で、ウィキペディアタウンを行う意義には以下が挙げられていました。ここには書かれていませんが、今回の主催者は行政(湖西市役所)であり、行政にとっては市民のシビックプライド(地域に対する誇り)の向上という開催意義があると思われます。
市民:情報リテラシー&ネットリテラシーの向上、生涯学習成果のアウトプットの機会
学生:文章作成能力の向上、資料を用いた勉強スキルの工場、ネットを用いた調べもの学習の足掛かり
図書館:郷土資料の活用の機会、資料活用率の向上、レファレンス能力の向上
(写真)Wikipediaの説明。
(写真)シビックテックの説明。
(写真)情報カードの説明。
1.3 まちあるき
まずは湖西市防災センターで市川博之さん・市川希美さんからオープンデータやWikipediaの説明などを聞き、公用車のミニバンで400m離れた妙立寺(みょうりゅうじ)へ向かいました。
妙立寺は日蓮宗の寺院であり、重要文化財として平安時代後期の「紺紙銀界金字法華経」が、その他にも静岡県指定文化財や湖西市指定文化財が多数ある古刹ですが、2008年(平成20年)に作成されたWikipedia「妙立寺 (湖西市)」は控えめな記事でした。湖西市役所文化観光課文化係の方から説明を聞きながら、境内を見て回りました。
(写真)豊田家の墓を見学する参加者。
(写真)境目城跡を歩く参加者。
2. Wikipedia編集
ゆったり1時間30分取られた昼食休憩を挟んで、午後には湖西市立中央図書館2階の会議室に集合し、約10人の参加者全員で記事「妙立寺 (湖西市) - Wikipedia」の加筆を行いました。
2.1 妙立寺と豊田家の関わり
編集に用いる文献は既に準備されていましたが、妙立寺を主眼として集めた文献ばかりのようであり、豊田家に関する文献はありませんでした。妙立寺にはトヨタグループを築いた豊田家の墓があります。トヨタグループと大きな関わりがある刈谷市民としては豊田家と妙立寺とのかかわりが気になるため、今回はこの着眼点で編集することにしまし、主に「近代」や「豊田家との関わり」の節を加筆しました。
湖西市立中央図書館の郷土資料コーナーには「豊田佐吉翁コーナー」があり、豊田家に関する文献が集められています。今回は講師やファシリテーターなどではなく一般参加者であり、何もタスクを持たずに一人で黙々と編集していましたが、このような場合でも自分なりの着眼点を持って編集することを強く意識しています。
(写真)事前に準備された妙立寺の文献。
(写真)豊田佐吉翁コーナー。
トヨタグループの創始者である豊田佐吉は、1867年(慶応3年)に現在の湖西市に生まれました。現在の刈谷市に株式会社豊田自動織機を設立し、1924年(大正13年)には画期的な無停止杼換式豊田自動織機(G型自動織機)を発明しています。
妙立寺には豊田佐吉が新調した豊田家の墓がありますが、墓石には「大正十四年三月」(1925年)と刻まれており、自身の仕事の集大成を記念して先祖の墓を新調したのではないかと思いました。
(写真)佐吉が新調した豊田家の墓。
佐吉の父は豊田伊助です。伊助は妙立寺や日蓮宗への信仰心が篤く、内陣を囲う柱には、1919年(大正8年)の本堂改築の際に伊助が行った5000円の寄付を示す木札が掲げられていました。
(写真)伊助の喜捨を示す木札。
また、1944年(昭和19年)頃と思われる開祖550遠忌浄財喜捨芳名の木札には、豊田喜一郎(佐吉の実子、トヨタ自動車創業者)、豊田佐助(佐吉の弟)、豊田平吉(佐吉の弟)、豊田利三郎(佐吉の婿養子、トヨタ自動車初代社長)の名前もありました。
(写真)開祖550遠忌浄財喜捨芳名の木札。
2.2 古写真の追加
どのようなウィキペディアタウンでも、郷土資料に掲載された古写真を記事に追加することも意識して行っています。
妙立寺本堂の屋根は比較的珍しい銅板葺であることが気になっていました。文章を加筆する中で1919年(大正8年)に茅葺から銅板葺に改めた(別の出典では1919年ではなく1931年)という記述があり、銅板葺よりさらに珍しい茅葺時代の写真がないだろうかと思って探した結果、『湖西の文化』創刊号に掲載されていた茅葺の写真を掲載しています。
1946年(昭和21年)以前に撮影された写真であることから、旧著作権法において著作権の保護期間が満了しており、日本においてこの写真はパブリックドメインであると言えます。また、このような写真はアメリカ合衆国においてもパブリックドメインであると言えるため、Wikimedia Commonsにアップロードすることができます。
(写真)1919年の本堂。屋根の葺き替え前。
(写真)1933年の本堂。屋根の葺き替え後。