振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

丹波篠山市の映画館

(写真)丹波黒大豆。

2024年(令和6年)11月、兵庫県丹波篠山市を訪れました。「ウィキペディアタウンin丹波篠山~篠山の怪談七不思議」に参加する からの続きです。

かつて丹波篠山市街地には映画館「楽天座」「新丹波」がありました。なお、かつて丹波篠山市福住には「福住会館」があり、2021年(令和3年)にブログ記事を書いています。

 

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1. 丹波篠山市の映画館

各年版の『映画館名簿』によると、多紀郡篠山町には「楽天座」「新丹波」の2館がありましたが、いずれも1970年(昭和45年)までに閉館しています。1970年(昭和45年)の篠山町の人口は43,428人であり、小規模な市と同程度の人口を有していました。

1970年(昭和45年)の兵庫県における3万人台~4万人台の自治体を見てみると、洲本市西脇市には4館、豊岡市赤穂市には3館、三木市には2館、加西市や龍野市や小野市や三田市には1館の映画館があり、兵庫県郡部には計17館の映画館がありました。

篠山町の周辺に大都市はありません。自治体の規模や城下町だった歴史を考えると、篠山町から映画館がなくなった時期は早い印象を受けます。藩政期~明治大正期~昭和戦前期と比べると、現代には相対的な衰退が著しかったのかもしれません。

(写真)篠山町の映画館に言及している『篠山町七十五年史』篠山町役場、1955年。

(写真)楽天座と新丹波劇場が掲載されている『映画便覧 1960』時事通信社、1960年。

 

1.1 新丹波(1947年2月-1961年頃)

所在地 : 兵庫県多紀郡篠山町(1961年)
開館年 : 1947年2月
閉館年 : 1961年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1947年2月開館。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年・1950年の映画館名簿では「新丹波」。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「新丹波劇場」。1961年の映画館名簿では「新丹波映劇」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「みなと銀行篠山支店」。

ウイング神姫の路線バスは篠山市街地に入ると北に向きを変え、180m北上した後に再び東に向きを変えます。バス通りが東に向きを変える地点に、戦後の1947年(昭和22年)になって開館したのが新丹波です。既存の劇場である楽天座とは約1kmの距離があります。

(写真)新丹波。『篠山町七十五年史』篠山町役場、1955年。

(写真)上空から見た篠山市街地北西部と新丹波。『篠山町七十五年史』篠山町役場、1955年。

 

丹波の跡地にはみなと銀行篠山支店が建っています。

(写真)新丹波跡地のみなと銀行篠山支店(左)。

 

1.2 楽天座(1914年1月-1970年4月6日)

所在地 : 兵庫県多紀郡篠山町(1970年)
開館年 : 1914年1月
閉館年 : 1970年4月6日
『全国映画館総覧 1955』によると1914年1月開館。1941年の映画館名簿には掲載されていない。1943年・1947年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「楽天座」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「篠山楽天座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「頼尊又四郎稲荷神社」北側の未舗装駐車場。

ウイング神姫の路線バスは二階町を東に進み、南に向きを変えて立町に入ります。これらの通りの内側は黒岡川河岸の陰気な場所であり、江戸時代には宝珠院(宝寿院)がありました。『丹波国篠山御城図』にも空白地帯に寺院が描かれており、南側の通りに入口があったようです。安政3年(1856年)3月の大火「水沢焼」では宝珠院も焼失しています。

(写真)明治初頭の宝珠院(宝寿院)周辺。『丹波国篠山御城図』1931年。丹波篠山市立中央図書館所蔵。

 

1873年明治6年)には宝珠院跡地に芝居小屋の東雲座が建てられ、まずは河原町の岡田某が、その後小東某が経営していましたが、東雲座は1909年(明治41年)12月に焼失しました。

(写真)東雲座。『篠山町七十五年史』篠山町役場、1955年。

 

1914年(大正3年)には小東兼蔵によって、東雲座の跡地に芝居小屋の楽天座が新築されました。1915年(大正4年)には篠山鉄道が開業し、東雲座のすぐ北側に終着駅の篠山町駅が置かれています。1944年(昭和19年)には篠山鉄道が廃止され、同年には全く経路の異なる国鉄篠山線が開業しています。

(写真)1914年の竣工当初の楽天座。『篠山町七十五年史』篠山町役場、1955年。

(写真)劇場が描かれている1937年の本郷大将記念図書館作成地図。丹波篠山市立中央図書館所蔵。

(写真)楽天座が掲載されている『映画年鑑 昭和18年』日本映画協会、1943年。

 

楽天座は芝居小屋として建てられましたが、1943年(昭和18年)以降の『映画館名簿』にも掲載されています。戦後には新丹波とともに篠山町に2館ある映画館として営業し、新丹波の閉館後にも営業を続けていましたが、1970年(昭和45年)4月6日の火災で焼失しました。

1970年代以降の航空写真を見る限り、楽天座跡地は半世紀以上に渡って効果的な活用がなされていません。2024年(令和6年)現在の跡地は雑草の生えた更地であり、約100年にもわたって芝居小屋や映画館があった場所とは思えません。

(写真)楽天座跡地の更地。

丹波篠山市の映画館について調べたことは「兵庫県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(兵庫県版)」にマッピングしています。

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