(写真)井上真冽翁頌徳碑。
2023年(令和5年)12月、愛知県豊田市井上町を訪れました。
1. 井上徳三郎関連の史跡
1.1 石碑「井上真冽翁頌徳之碑」
名鉄三河線の終着駅は猿投駅であり、猿投駅の西側には井上町があります。かつてこの地には、1912年(大正元年)に井上徳三郎が切り拓いた広大な井上農場があり、井上徳三郎は愛知県猿投農学校(現・愛知県立猿投農林高校)や猿投駅の開設時に土地を提供しました。
1936年(昭和11年)に井上徳三郎の功績を称えて井上町という地名が生まれました。井上徳三郎は同年に68歳で死去しています。宅地化が進んでいるため農場の面影はありませんが、住宅地の中に「井上真冽翁頌徳之碑」がありました。「真冽」(しんれつ)は徳三郎の号です。この2023年(令和5年)12月には井上徳三郎 - Wikipediaを加筆しました。
(写真)井上真冽翁頌徳碑。
1.2 井上公園
水無瀬川の河畔には井上公園があり、温水プール、野球場、テニスコートなどの運動施設があります。特に目を引くのが水滴のような形状の温水プールであり、構造は鉄骨のラチスシェル構造、壁面は合わせ複層ガラスだそうです。
(写真)井上公園。
(写真)井上公園水泳場。Wikimedia Commons - photo:Tomio344456
テニスコートの東側にはみどりの小径と呼ばれる小規模な林があります。かつてはその東側の住宅地、スーパーのフェルナ井上店、愛知トヨタ猿投井上店、イズモ葬祭豊田猿投の場所まですべて林であり、この場所が井上農場の経営者である井上家の敷地でした。
(写真)井上公園。「みどりの小径」。
(写真)2007年の井上公園周辺の航空写真。右側の広大な林がかつての井上家の敷地。
2. 井上五郎関連の史跡
2.1 銅像「井上五郎翁之像」
井上公民館の玄関前には銅像「井上五郎翁之像」があります。
井上五郎は元陸軍大将の内山小二郎の四男であり、1904年(明治37年)に東京都で生まれています。3人の兄はいずれも軍人となっていますが、内山五郎は東京帝国大学卒業後に井上徳三郎の養子となりました。1936年(昭和11年)には養父の井上徳三郎が死去し、五郎が2代目井上農場主となっています。戦時中には実父の内山小二郎が五郎の元に疎開し、1945年(昭和20年)に猿投村で死去しています。
銅像脇の文章を読むと、1974年(昭和49年)5月には井上農場開墾五十周年を記念して500万円を井上自治区に寄付、1980年(昭和55年)11月には喜寿を記念して100万円を 井上自治区に寄付しています。さらに、1980年(昭和55年)9月には私有地9500平方メートルを豊田市に寄付し、1984年(昭和59年)には私有地3200平方メートルを公民館用地として井上自治区へ寄付しています。もともと井上公民館の場所には雉立池(水神池)というため池があり、1980年代になって埋め立てて寄付したようです。
(写真)井上五郎翁之像。
(写真)井上五郎翁之像。
井上五郎翁碑建立の辞
井上五郎翁は 明治三十七年に東京都で出生され 東京帝国大学を御卒業後 縁
ありて井上農場主とし地域の発展に寄与してこられました
この間 翁は 昭和四十九年五月 井上農場開墾五十周年記念に際し 金五百万円也
を続いて 昭和五十五年十一月 翁の喜寿祝賀に当り 金壱百万円也を 井上自治区に
寄付されました。
また 翁は昭和五十五年九月 井上地区内の私有道路九千五百平方メートルを 公
用地として豊田市へ さらに 本年 公民館用地として三千二百平方メートルを
井上自治区へ寄贈されました
こうした翁の永年にわたる奇特な御行為は 自治区民こそって 感謝申し上げる
ところであります よってここに 井上公民館建設に際し 記念として翁の胸像を
建立し 後世にまでその功績を称えるものであります
昭和五十九年十一月吉日
井上自治区民一同
2.2 水神社・常夜燈
井上公民館の敷地奥には水神社と常夜燈が建っています。水神社は埋立前の雉立池(水神池)に祀られていた社であり、常夜燈は猿投駅西の三叉路にあったもののようです。
(写真)水神社。
(写真)常夜燈。