振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

福井県美浜町の映画館

(写真)美浜町役場。

2022年(令和4年)9月、福井県三方郡美浜町を訪れました。かつて美浜町には映画館「中央館」と「遊楽座」がありました。

 

1. 美浜町を訪れる

1.1 美浜町の街並み

JR美浜駅

美浜市街地は耳川下流部の平野に形成されており、耳川の東側に大字河原市が、西側に大字郷市があります。古くからの商店街が形成されているのは河原市(河原市商店街)であり、JR美浜駅美浜町役場・美浜消防署・美浜郵便局・美浜町立図書館などの公共施設は郷市に立地しています。美浜駅から南に延びる通りは延伸工事が行われており、美浜駅から公共施設群へのアクセスがスムーズになる予定です。

(写真)美浜駅から南に延びる通り。

 

ひなたGISで1935年(昭和10年)の地形図を見てみました。小浜線の鉄道駅はまだ河原市駅という名称で、現在の名称に改称するのは1954年(昭和29年)の美浜町発足後のことです。河原市には役場・郵便局・小学校などがありますが、役場と郵便局は美浜町発足後に郷市に移転しています。

(地図)1935年の地形図。現・美浜町中心部。ひなたGIS

 

郷市

JR美浜駅と古くからの商業中心地である河原市を結ぶ場所にあるのが郷市。楠化粧品店、トモヱ薬店、和菓子屋の青池甘泉堂など、小規模な商店街が形成されています。

(写真)郷市の街並み。トモヱ薬店。

(写真)郷市と河原市を隔てる耳川。奥は天王山。

 

河原市商店街

耳川から福井県道213号までの間にある河原市商店街には、松島たばこ店、兵庫百貨店、シャディ・サラダ館美浜店、衣料品店のヤマモト、佐野時計店、福井銀行美浜支店などがあります。

(写真)河原市商店街。右は松島たばこ店。

(写真)河原市商店街。兵庫百貨店。

 

1.2 三方五湖

三方五湖周辺の大字早瀬や大字日向(ひるが)を訪れた際のことは別エントリーで。美浜町を象徴する観光スポットとして三方五湖があり、特に久々子湖(くぐしこ)においてボート競技が盛ん。福井県立美方高校ボート部は全国優勝の常連だそうで、美浜町レガッタは2022年(令和4年)で35回を数える歴史を持っています。

ayc.hatenablog.com

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(写真)久々子湖の湖岸にある福井県立艇庫。

 

1.3 美浜町立図書館

美浜町の公共施設が集まる一角には、2012年(平成24年)に開館した美浜町生涯学習センターなびあすがあります。737m2という美浜町立図書館の床面積は旧館の2倍弱。約9000人という人口規模を考えると申し分ない施設です。

『日本の図書館 統計と名簿 2021』(日本図書館協会、2022年)によると、美浜町立図書館の蔵書冊数は7.4万冊、貸出冊数は7.2万冊/年。同等の規模の図書館としては松川村図書館があります。長野県北安曇郡松川村美浜町と同じく人口は9000人台であり、床面積は502m2、蔵書冊数は7.6万冊、貸出冊数は6.2万冊/年です。

美浜町立図書館ではWikipedia記事「早瀬 (美浜町) - Wikipedia」や「日向 (美浜町) - Wikipedia」を作成するための文献調査を行いました。自治体内の一地区や、その地区内の商店などについては書籍レベルでは言及が少ないのですが、タウン誌『月刊fu』や『福楽』や『つなぐ通信』などが郷土資料コーナーにあり、美浜町に言及されているページには付箋が貼られていたのが役立ちました。

(写真)美浜町立図書館が入る美浜町生涯学習センターなびあす。

 

2. 美浜町の映画館

昭和30年代の映画館名簿には美浜町の映画館として「中央館」と「遊楽座」が掲載されています。また、『わかさ美浜町誌 第四巻 舞う・踊る』(美浜町、2008年)もやはり両館に言及しています。

(写真)美浜中央館と遊楽座が掲載されている『映画便覧 1960』時事通信社、1960年。

 
2.1 遊楽座(1940年代末-1961年頃)

所在地 : 福井県三方郡美浜町河原市(1961年)
開館年 : 1947年以後1950年以前
閉館年 : 1961年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が記載されていない。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1956年・1957年・1958年の映画館名簿では「遊楽座」。1959年の映画館名簿では「遊楽館」。1960年・1961年の映画館名簿では「遊楽座」。1962年の映画館名簿には掲載されていない。

中央館より先に開館したのは遊楽座であり、『わかさ美浜町誌』によると戦争末期には兵站物資や予備発電機の倉庫として使用された建物だそうです。1階は長椅子席、2階は畳敷きであり、旅廻りの一座が使う宿泊設備もあったようです。

『わかさ美浜町誌』によると営業を終了したのは1955年(昭和30年)頃とのことで、1961年(昭和36年)版まで掲載されている映画館名簿の記述とややずれがあるのは気になります。1960年の映画館名簿によると、経営者が文室吉弘、木造2階、定員300の映画館でした。

 

2.2 中央館(1951年-1965年頃)

所在地 : 福井県三方郡美浜町河原市(1965年)
開館年 : 1951年
閉館年 : 1965年頃
1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1958年・1959年の映画館名簿では「中央館」。1960年・1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「美浜中央館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

『わかさ美浜町誌 第四巻 舞う・踊る』によると、映画専門館として中央館が開館したのは1951年(昭和26年)であり、昭和30年代後半頃まで営業していたようです。映画館名簿に初めて掲載されたのは1957年(昭和32年)版であり、『わかさ美浜町誌』の記述とややずれがあるのは気になります。

映画館名簿で確認できる最終年度は1965年(昭和40年)版。経営者が山口頓造、支配人が山口智、木造2階、定員350の映画館でした。

 

郷市にある和菓子屋の青池甘泉堂の方に、美浜町の映画館について聞いてみました。

耳川に架かる耳橋から少し東に向かうとつるが張った建物がある。道路を挟んで向こう側の空き地の場所に映画館があった。名前は覚えていない。記憶にある頃はもう映画館ではなくスーパーになっていた

とのこと。中央館や遊楽座という名前を出しても反応しませんでしたが、遅くまで営業していた中央館の話だったと思われます。

(写真)映画館跡地の空き地。

 

青池甘泉堂は芋系の饅頭が多く、いもきんつばが "美浜銘菓" として推されていました。オリジナル菓子としては六方焼やへしこちゃん六方焼がありました。

(写真)話を聞いた青池甘泉堂と焼き菓子。

 

美浜町にあった映画館について調べたことは「福井県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(福井県版)」にマッピングしています。

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