(写真)旧日下旅館。登録有形文化財。
2024年(令和6年)4月、兵庫県朝来市生野町を訪れました。
生野町は江戸時代から現代まで生野鉱山(生野銀山)で栄えた町です。「旧生野鉱山職員宿舎を訪れる」「生野町の映画館」に続きます。
1. 生野町の和風建築
1.1 金蔵寺銅鐘(県指定)
生野市街地の北側には寺町通りがあり、通りに沿って7宗派計8ヶ寺(浄土宗※鎮西派、浄土宗西山禅林寺派×2、真宗本願寺派、真宗大谷派、日蓮宗、臨済宗妙心寺派、本門佛立宗)が並んでいます。「鉱夫は日本各地から集まったいたため様々な宗派が必要だった」と説明されることが多いようです。なお、足尾銅山があった足尾町も主要な6ヶ寺が5宗派(浄土宗、真宗大谷派、真宗本願寺派、日蓮宗、天台宗×2)に分かれています。
(写真)金蔵寺の銅鐘。
金蔵寺の梵鐘(銅鐘)は鎌倉時代の文永4年(1267年)に鋳造されたもので、因幡国の銘がある最古の梵鐘、但馬地方に現存末う最古の銅鐘とのこと。1942年(昭和17年)には国の重要美術品に指定され、その後の供出を免れています。この2024年(令和6年)4月には金蔵寺 (朝来市) - Wikipediaを作成しました。
(写真)寺町通り。
1.2 桑田家住宅(国登録)
生野市街地には登録有形文化財に登録された古民家が多数あり、その多くが(明治大正期ではなく)江戸時代後期竣工であることに驚きます。
日本有数の銀山がある鉱山町として栄えた歴史に由来するのだと思いますが、同じように江戸時代に栄えたはずの足尾には生野にあるような立派な古民家がないのが不思議。近現代における大火の有無なども関係しているのでしょうが、それ以外にも理由があるのか気になりました。
(写真)桑田家住宅。
生野町にある登録有形文化財の古民家は、外観がそれぞれ異なっていて見分けやすい。桑田家住宅にある越屋根は佐藤家住宅別邸にもみられますが、佐藤家住宅別邸とは瓦の色が異なります。
桑田家住宅の瓦はにぶい赤褐色であり、1935年(昭和10年)頃まで製造されていた生野瓦とのこと。赤いのは鉄分を含む土を原料としているからであり、朝来市旧生野鉱山職員宿舎もすべて生野瓦です。
(写真)桑田家住宅。
1.3 綾部家住宅(国登録)
生野市街地にある登録有形文化財の古民家の中では最も2階部分の屋根が低い(つし2階建)のが綾部家住宅です。文化遺産オンラインでは江戸後期の建築とされていますが、朝来市の「生野鉱山及び鉱山町の文化的景観整備計画書」では1876年(明治9年)以後の建築となっています。市街地の中心からはやや離れた場所にあるので間口が広い。
(写真)綾部家住宅。
1.4 佐藤家住宅別邸(国登録)
佐藤家住宅別邸は生野市街地の中央にあるため、防火を意識して1階・2階とも漆喰塗りであり、右手に小規模な玄関が付いています。虫籠窓の上部にも少し空間があるくらい2階の屋根が高く、これが江戸後期の建物というのが驚きです。
(写真)佐藤家住宅別邸。
1.5 今井家住宅(国登録)
今井家住宅の建築年代は文化遺産オンラインによると江戸後期、「但馬の百科事典」でも江戸末期とのことですが、朝来市の資料によると明治後期とのこと。
1.6 松本家住宅(国登録)
松本家住宅は醤油を製造していた商家であり、他の登録有形文化財とはかなり毛色が異なります。背の低い北側の建物は明治初期、背の高い南側は大正時代の増築。増築部分の屋根下には軒蛇腹があり、黒漆喰も合わさって重厚な印象です。
(写真)松本家住宅。
2. 生野町の近代建築
2.1 朝来市旧生野鉱山職員宿舎(市指定)
生野市街地において生野鉱山近い部分には、いわゆる社宅だった朝来市旧生野鉱山職員宿舎があります。うち数棟は1876年(明治9年)竣工で日本最古とされる社宅であり、志村喬記念館や宿泊施設となっています。
屋根は赤褐色の生野瓦が使われており、南側は大きなガラス窓のある縁側となっています。足尾町でもかつての社宅を見ましたが、屋根はトタン屋根で壁面は開口部が少ない。足尾町は冬季に降雪がある地域ではありますが、気候以外にも社宅の違いに理由があるのか気になります。
(写真)朝来市旧生野鉱山職員宿舎。
(写真)朝来市旧生野鉱山職員宿舎。管理棟。
朝来市旧生野鉱山職員宿舎の敷地南端には、カラミ石と呼ばれる人工石の塀があります。銅などを製錬する際のカスを固めた鉱滓(こうさい、スラグ)であり、「産業廃棄物リサイクルの先駆け」という説明がありました。江戸時代から1921年(大正10年)まで製造されていたようであり、生野市街地ではあちこちでカラミ石を見ることができます。
1922年(大正11年)には生野銀山の精錬部門が香川県の直島に移管され、生野でカラミ石が製造されることはなくなりますが、直島ではカラミ瓦が製造されて生野町に運ばれ、社宅の資材となったようです。
(写真)朝来市旧生野鉱山職員宿舎。カラミ石の石垣。
(左)松田商店にあるカラミ石。(右)三菱のロゴが入ったカラミ瓦。
2.2 生野鉱山正門門柱(市指定)
坑道の見学施設として史跡 生野銀山があり、実際に用いられていた坑口から坑道に入ることができます。敷地入口には1876年(明治9年)に建てられた生野鉱山正門門柱があり、官営鉱山であることを示す菊の紋章が入っています。かつては生野鉱山本部にあり、閉山後の1977年(昭和52年)にこの地に移築されたようです。
(写真)生野鉱山正門門柱。
(写真)生野鉱山館。
2.3 旧生野警察署(国登録)
但陽信用金庫生野支店のすぐ北には擬洋風建築の旧生野警察署があります。日本人の大工が生野銀山の異人館を真似て建てたものであり、ペディメント、オーダー、軒蛇腹などが"それっぽい"建物になっています。
1886年(明治19年)に豊岡警察署生野分署として竣工、その後1926年(大正15年)には生野警察署に昇格しました。管内に鉱山労働者が多かった割には事故・事件が少なかったことで、1943年(昭和18年)には警部補派出所に降格しますが、戦時中には捕虜の鉱山就労も行われるようになり、また都市部からの疎開で流入する住民もあったため、1945年(昭和20年)5月には再び格上げされて警察署となります。
1957年(昭和32年)には格下げされて生野警部派出所となり、1969年(昭和44年)には別地点に新庁舎が建てられてお役御免となったようです。『兵庫県警察史 昭和編』に書かれているこの激動の歴史が興味深かったため、この2024年(令和6年)4月には旧生野警察署 - Wikipediaを作成しました。
(写真)旧生野警察署。
(写真)旧生野警察署。警察の紋章や生野町の町章があるペディメント。
2.4 旧海崎医院(国登録)
(写真)旧海崎医院。
2.5 旧日下旅館(国登録)
2009年(平成21年)にはJR播但線生野駅に西口が新設され、駅の表側が東口から西口に移行しました。東口を出てすぐ北には木造3階建の旧日下旅館があります。1909年(明治42年)に2階建で竣工し、1921年(大正10年)に3階部分が増築されています。姫路から城崎までの間に2棟しかなかった木造3階建の建物とのこと。
1920年(大正9年)に市街地建築物法(後の建築基準法)が施行されると、関東大震災後の1924年(大正13年)の改正で木造3階建が実質的に建てられなくなっています。生野駅から生野市街地中心部までは500mほど距離があるため、ややひっそりした駅前におけるランドマーク的存在です。
(写真)旧日下旅館。
(写真)旧日下旅館。
2.6 口銀谷銀山町ミュージアムセンター
生野市街地がある集落は「口銀谷」と書いて「くちがなや」、生野銀山の坑口に近い集落は「奥銀谷」と書いて「おくがなや」と読みます。2軒の古民家を合わせた口銀谷銀山町ミュージアムセンターという施設があり、東端部にはスクラッチタイル張りの洋館があります。洋館の外観は現代建築にも見えますが、スクラッチタイルがブームを迎えていた1920年代後半から1930年代初頭と同時期、1932年(昭和7年)の建築です。
(写真)口銀谷銀山町ミュージアムセンター。