振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

日田市立淡窓図書館を訪れる

(写真)湯川秀樹による扁額「長竿石磯中」。

2024年(令和6年)3月、大分県日田市の日田市立淡窓図書館を訪れました。「日田市の映画館」に続きます。

 

1. 日田市立淡窓図書館

1.1 扁額「長竿石磯中」

日田市立淡窓図書館という名称は、江戸時代の日田の儒学者である廣瀬淡窓(広瀬淡窓)に由来します。

図書館に入ると正面には「長竿石磯中」(ちょうかんせっきちゅう)と書かれた湯川秀樹博士の扁額が掲げられていました。湯川が1972年(昭和47年)4月16日に日田市で講演を行った際、淡窓図書館を訪れて揮毫・寄贈したものだそうです。

広瀬淡窓による七言絶句「江村」の結句「長竿挿在石磯中」(長竿さしはさんで石磯の中にあり)を縮めたものとの説明書きがありました。「魚が釣れ、日が暮れたため、明朝まで不要の釣竿を川辺の石に突き刺して帰った」という意味だそう。『荘子』に「魚を得て竿を忘る」という一節があることから、広瀬淡窓はこの結句に(読書の要諦として)「本旨をつかんだら言葉を忘れてもよい。枝葉末節にこだわらず、まず本旨をつかめ」という意味を込めたようです。

(写真)湯川秀樹による扁額「長竿石磯中」。

 

 

1.2 進撃の巨人コーナー

進撃の巨人』で知られる漫画家の諫山創日田郡大山町(現・日田市)出身であり、日田市は『進撃の巨人』を用いたまちおこしを行っています。図書館の郷土資料コーナー脇には進撃の巨人コーナーがあり、単行本が並べられていました。

下段には『進撃の巨人』が特集された雑誌『ダ・ヴィンチ』2014年10月号がありましたが、この作品はもっと多くの雑誌やメディアに取り上げられているはずで、片っ端から収集して展示すれば聖地巡礼の拠点になるのにと思いました。

(写真)進撃の巨人コーナー。

 

1.3 郷土資料

(写真)郷土資料コーナー。

 

2. 映画館名簿

2.1 『全国映画館録 昭和11年度』

1935年(昭和10年)にキネマ旬報社によって発行された『全国映画館録 昭和11年度』によると、同年の大分県の映画館は22館であり、日田市の映画館として朝日館が掲載されています。所在地が「水郷日田町」と書かれていますが、日田市ではよく天領日田や水郷日田(水郷ひた、すいきょうひた)などという言い方がなされるようです。

なお、明治大正期の映画は活動写真と呼ばれていましたが、大正末期から昭和初期にかけて、サイレント映画からトーキー映画に移行する時代になると、映像の芸術性を志向するようになって映画という呼び名が定着していきます。1935年(昭和10年)刊行のこの文献も『全国活動写真館録』ではなく『全国映画館録』となっています。

 

2.2 『映画便覧 1963』

全国の映画観客数のピークは1958年(昭和33年)であり、映画館数のピークは1960年(昭和35年)でした。昭和30年代中頃から1964年(昭和39年)まで、日田市には7館の映画館があり、朝日館と五楽館と朝日センターの3館は蒲池正彦の経営館、日田映劇と日田東映と世界館の3館は穴井玉喜の経営館、日活劇場は植山文治の経営館です。

 

日田市の映画興行主

蒲池正彦は戦前から朝日館を経営していた人物であり、五楽館と朝日センターは映画黄金期に他者から買収した映画館のようです。

穴井玉喜は大分県議会議長を務めた穴井助三の息子と推測されます。穴井助三の父は炭鉱経営者でもあった穴井愼汪であり、江戸時代の先祖には義民の穴井六郎右衛門がいます。

植山文治は福岡県北九州市小倉区の三萩野大映を拠点としていた興行師です。北九州市では八幡区でも八幡名画座や有楽映劇を、大分県では豊後高田市でも高田東映名画座を経営していました。その後、有楽映劇の経営会社は植山が設立した豊映文化産業となり、2010年代前半まで有楽映劇の経営者の欄には植山の名前が見られます。2005年(平成17年)には有楽映劇が佐々部清監督の映画『カーテンコール』のロケ地となり、2019年(令和元年)まで成人映画館として営業を続けました。

 

2.3 『映画館名簿 1992』

1981年(昭和56年)頃には日田朝日館が建物を立て替え、蒲池正彦に代わって蒲池明彦が2代目経営者となりました。1991年(平成3年)9月2日には日田市最後の既存興行館である日田朝日館が閉館し、同年頃には西日本観光株式会社によって日田リベルテが開館します。

2008年(平成20年)3月には大卒1年目の女性が日田リベルテの支配人に就任したという新聞記事がありますが、半年後にはもう休館に追い込まれているのが気になります。2009年(平成21年)6月、日田シネマテークリベルテは原茂樹を代表として営業を再開します。

 

2.4 『映画館名簿 2010』

2000年(平成12年)には大分県初のシネコンとしてシネフレックス東宝(現・TOHOシネマズ大分わさだ)が開館し、2002年(平成14年)にも大分市内にT・ジョイパークプレイス大分が開館したことで、大分市別府市などの大分都市圏では既存興行館が軒並み閉館しました。

2024年(令和6年)現在の大分県にある映画館はわずか9施設であり、内訳はシネコンが4施設(計38スクリーン)、ミニシアターが4施設(計5スクリーン)、成人映画館が1施設です。九州地方の他県と比べるとミニシアターや成人映画館の施設数が多い印象があります。