振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

美浜町早瀬を訪れる

(写真)早瀬の街並み。

2022年(令和4年)8月、福井県三方郡美浜町早瀬を訪れました。「美浜町日向を訪れる」に続きます。

ayc.hatenablog.com

 

おもしろい集落だと思ったので、美浜町立図書館で簡単に文献を閲覧して早瀬 (美浜町) - Wikipediaを作成してみました。美浜町立図書館には『福楽』などのタウン誌がありますが、美浜町が取り上げられているページには付箋が貼られていて役に立ちました。

 

1. 早瀬を訪れる

三方五湖久々子湖(くぐしこ)の北岸、久々子湖若狭湾に挟まれた人口約700人の集落が早瀬です。久々子湖若狭湾を繋ぐ河川として早瀬川があり、早瀬川に架かる早瀬橋の北西側に集落が築かれています。航空写真を見ただけではありふれた漁村に見えたのですが、実際に訪れてみると漁村とは言い難い集落でした。

(写真)早瀬の航空写真。右は若狭湾。中央下は久々子湖

(写真)早瀬の街並み。左端は水月神社。

(写真)久々子湖若狭湾を繋ぐ早瀬川。

 

享保3年(1718年)創業の酒蔵、三宅彦右衛門酒造があります。集落は久々子湖若狭湾に挟まれた場所にあり、周囲に水田はないのに造り酒屋があるのは珍しい。漁村だった早瀬は信仰心が篤い土地柄であり、神事に用いる神酒を地元で作るために創業したとのことです。

(写真)三宅彦右衛門酒造。

 

集落の入口には寺川庄兵衛という人物の石碑がありました。寺川庄兵衛(1811年~1857年)は既存の千歯扱きを改良し、さらに販路を全国に拡大させた人物だそうです。早瀬浦の千歯扱きは「若州早瀬せんば」と呼ばれ、1882年(明治15年)時点では年間2万5000挺も生産していたとか。桁数が間違っているのではないかと思うくらいの数です。

(写真)寺川庄兵衛翁の碑。

 

美浜町立図書館で調べてみると、早瀬は漁村というよりも物資の集散地としての性格が強かったようです。他の漁村からも船を集める魚市場があり、水産物は熊川宿を経由して近江や京都まで運ばれていたとか。千歯扱きの産地になったのもその流れみたい。

早瀬漁港には美浜漁業センターという味のあるデザインの建物がありました。2015年(平成27年)までは早瀬にあった魚市場が敦賀に統合されてしまったようです。早瀬漁港の脇には大規模なマリーナであるマリンポート美浜がありました。

(写真)早瀬漁港。美浜漁業センター。

(写真)マリンポート美浜。

(写真)マリンポート美浜。

 

集落の山際には村社の日吉神社曹洞宗の瑞林寺、浄土真宗の浄明寺があります。さだまさしの父親は満州事変の前に瑞林寺を間借りしており、さだまさしの短編小説を原作として2014年(平成26年)に公開された映画『サクラサク』には瑞林寺も登場します。瑞林寺ではちょうど山門の建て替え工事中でした。

(写真)日吉神社

(写真)日吉神社

(写真)瑞林寺。