(写真)雅休邸。登録有形文化財。
2023年(令和5年)9月、愛知県知多市岡田を訪れました。「岡田工業知多工場を訪れる」からの続きです。「知多岡田の映画館」に続きます。
1. 知多岡田を訪れる
知多岡田は知多木綿(知多晒)の産地として栄えた町であり、豊田佐吉と同時代には竹内虎王によって動力織機も発明されています。知多地域では知多木綿・松坂木綿(三重)・和泉木綿(大阪)が日本の三大綿織物生産地とされるようです。
なお、静岡県では遠州木綿・三河木綿(愛知)・和泉木綿(大阪)が日本三大綿織物産地とされるようです。知多が三大産地を自称する際には三河が外されていることから、同県の三河木綿への対抗意識を感じます。いずれにしても、現在の東海地方は日本屈指の綿織物産地だったようです。
(写真)大正時代の岡田村。『写真集 西知多いまむかし』名古屋郷土出版社、1989年。
1.1 慈雲寺
ここからは主に竣工年順に岡田地区の建物を並べています。
岡田の中心部には臨済宗妙心寺派の慈雲寺があります。創建は観応元年(1350年)。承応4年(1655年)の大火後、万治3年(1660年)には本堂(現・観音堂)が竣工し、この建物は岡田地区最古の建造物とされています。
(写真)かつての本堂である観音堂。
明治時代に編纂された『尾張名所図会』では、現在の観音堂が本堂として描かれており、現在の本堂の場所に客殿という建物が描かれています。
(写真)慈雲寺と正法院が描かれている『尾張名所図会 前編 巻6 知多郡』片野東四郎、1880年。
現在の本堂は2006年(平成18年)竣工の新しい建物ですが、古写真を見ると改築前も同規模の建物だったようです。
(写真)1905年の慈雲寺。『写真集 西知多いまむかし』名古屋郷土出版社、1989年。
1.2 木綿蔵ちた(国登録)
知多岡田における観光の拠点になっているのが木綿蔵ちたです。もとは竹内虎王商店の蔵であり、竣工時期は明治後期から大正初期とされています。
2013年(平成25年)に岡田地区初の登録有形文化財となった知多岡田簡易郵便局に続いて、2014年(平成26年)に登録有形文化財に登録されると、同年から始まった愛知登文会の特別公開(後の「あいたて博」)でも公開対象となりました。
(写真)木綿蔵ちた。
(写真)旧竹内虎王邸。
1.3 知多岡田簡易郵便局(国登録)
知多岡田簡易郵便局は1902年(明治35年)竣工の木造2階建ての洋風建築であり、木綿蔵ちたの西隣にあります。この建物の解体計画が浮上した際に岡田街並保存会が結成され、その後の町並み保存運動につながったという点で、知多岡田を象徴する建物と言えます。
(写真)知多岡田簡易郵便局。
(写真)知多岡田簡易郵便局。
1.4 旧中七木綿本店(国登録)
岡田地区の中央にある旧中七木綿本店主屋(旧事務所)は1914年(大正3年)竣工。
(写真)旧中七木綿本店。
1.5 榎本家蔵
愛知建築士会による雑誌『愛知の建築』には、建築史家の瀬口哲夫先生による「街の歴史建築を訪ねて」の連載があり、岡田地区では雅休邸と榎本家蔵が連載に登場しています。榎本家蔵は大正時代竣工で鉄筋コンクリート造3階建てという奇妙な建物です。
(写真)榎本家蔵。
1.6 雅休邸(国登録)
かつて知多岡田で行われたクイズラリーに参加した際、ゴール地点は雅休邸(旧岡田医院)でした。岡田地区の中心部にある横断歩道橋のすぐ近くですが、見落としてしまいがちな場所にあります。軍医の竹内雅休(まさやす)によって1929年(昭和4年)に岡田医院が開業し、和風建築の主屋、タイル張りで洋風の要素を持つ診療所棟ともに同年頃に竣工しています。
(写真)旧岡田医院診療所棟。登録有形文化財。
(写真)旧岡田医院診療所棟。
(写真)旧岡田医院診療所棟。
雅休邸(旧岡田医院)では給水塔や塀も登録有形文化財に登録されています。給水塔は主屋の正面の庭にありますが、なぜこんな邪魔そうな場所に建てたのか気になります。
(写真)旧岡田医院給水塔。登録有形文化財。
(写真)旧岡田医院塀。登録有形文化財。
1.7 岡田工業知多工場
岡田市街地から南東に約700m歩くと、タイル張りの個性的な事務所を有する岡田工業知多工場があります。
(写真)岡田工業知多工場。