(写真)東海市立中央図書館。
2021年10月、愛知県東海市名和町を訪れました。かつて名和町には映画館「翠香園」(上野映劇)がありました。
1. 名和町を訪れる
東海市名和町は東海市の北端にある町であり、天白川を挟んで北側は名古屋市です。同じく天白川の南岸にある知多郡大高町や愛知郡鳴海町は名古屋市に編入されて緑区となりましたが、知多郡名和村は知多郡上野町を経て、1969年(昭和44年)に東海市の一部となっています。
小島メリヤス
名和町の旧市街地は字北本郷・字南本郷・字西垣内・字龍ノ脇などですが、集落の中心点に思える三叉路の北西には小島メリヤス有限会社の事務所がありました。かつて三叉路の東側には銭湯があったそうで、北東には映画館「翠香園」もありました。
(写真)小島メリヤス事務所。
(左・右)小島メリヤス事務所。
(左・右)小島メリヤス事務所。
名和町の街並み
(写真)名和町の街並み。
(写真)名和町の街並み。
2. 東海市立中央図書館
2.1 図書館の歴史
2018年(平成30年)には東海市立中央図書館 - Wikipediaを大幅加筆しています。1969年(昭和44年)に知多郡横須賀町と上野町が合併して東海市が発足すると、1977年(昭和52年)に現行館が開館。約2,400m2という延床面積は知多半島最大、豊橋市図書館・岡崎市立図書館に次いで愛知県下3番目(名古屋市を除く)という立派な建物だったようです。
合併前の1960年代には人口が2.6倍(1960年の3.3万人が1970年に8.6万人)にも増加した東海市ですが、図書館開館後の人口増加は緩やかであり、築44年が経過した現行館にそれほど窮屈さは感じません。2019年(平成31年)には分館として東海市立横須賀図書館が開館しています。
2.2 郷土資料
個人名が冠された蔵書群として、東海市域出身の実業家である蟹江一忠 - Wikipedia(カゴメ社長)の名を冠した蟹江一忠文庫、植物研究家である岡島錦也 - Wikipedia(東海市長)の名を冠した岡島文庫があります。前者は農業関連の蔵書、後者は植物関連の蔵書です。
(左)蟹江一忠文庫。(右)岡島文庫。
東海市出身の著名人として芥川賞作家の中村文則 - Wikipediaがおり、郷土資料の脇には中村文則コーナーが設けられています。
中村文則の単行本はもちろん、中村の連載中の作品が掲載されている『すばる』や『新潮』や『文學界』や『文藝』や『小説トリッパー』、中村のコラムが掲載されている『ダ・ヴィンチ』や『なごみ』も揃えられており、英訳版の『The Gun』(『銃』)や『The Boy in the Earth』(『土の中の子供』)や『The Thief』(『掏摸』)などもあります。公共図書館の郷土出身作家コーナーとしては気合が入っている印象を受けました。
(写真)中村文則コーナー。
(左・右)中村文則コーナー。
3. 名和町の映画館
3.1 翠香園(1952年以前-1964年頃)
所在地 : 愛知県知多郡上野町大字名和20(1964年)
開館年 : 1952年以前
閉館年 : 1964年頃
1950年・1951年・1952年・1953年・1954年・1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年の映画館名簿では「上野映画劇場」。1957年・1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「上野映劇」。1965年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は駐車場。最寄駅は名鉄常滑線名和駅。
3.1.1 調査
映画館名簿:「上野映劇」
1956年版から1964年版の映画館名簿には、知多郡上野町名和の映画館として上野映劇が掲載されています。定員は250であり、知多半島の他館と比較すると小規模です。経営者は小島賢造氏であり、小島氏は上野映劇のみを経営していたようです。知多半島で複数の映画館を経営していた人物としては以下の人物がいます。
蟹本新一・・・ロマン座、知多東宝(半田市)、常滑映画劇場(常滑市)、八幡劇場(八幡町)、
高砂会館(美浜町)、京映会館(内海町)、豊浜座(豊浜町)など
浦山長一・・・半田東映、住吉会館(半田市)、野間劇場(美浜町)など
伊藤好一・・・喜楽座(知多町岡田)、大野劇場(常滑市大野町)
(写真)上野映劇が最後に確認できる『映画年鑑 1964年版 別冊 映画便覧 1964』時事通信社、1964年。
住宅地図:「劇場」
名和町の範囲を掲載した住宅地図には、1961年(昭和36年)版・1963年(昭和38年)版・1966年(昭和41年)版・1970年(昭和45年)版の住宅協会発行の地図があります。1963年版と1966年版には「劇場」と書かれた場所があり、その西側には映画館の経営者である小島賢造氏の自宅があったようです。
航空写真:2棟の巨大な建物
国土地理院による地図・空中写真閲覧サービスで1963年(昭和38年)5月3日に撮影された航空写真を見ると、住宅地図で劇場と書かれていた場所には黒い巨大な建物が、その西側には白い巨大な建物が見えます。住宅地図の情報を踏まえると黒い建物が映画館だったはずですが、後の聞き取りでは白い建物が映画館だったという情報が加わり、判断がつきません。
(写真)1963年の航空写真における名和町。地図・空中写真閲覧サービス
郷土資料:「翠香園」
東海市立中央図書館が所蔵する『上野のすがた 1953』(愛知県知多郡上野町立上野中学校、1953年)には上野町の映画館に関する言及があり、この映画館は翠香園(すいこうえん)と表記されています。
「本町内で映画館と名付けるに値する場所は名和翠香園のみしか無い」「本町唯一の常設館にて映画、演劇を行っているが設備も十分でなく、観客の範囲も数も限定され、毎日は上映、上演されない」などとあり、映画館名簿に登場する上野映劇と同一の施設と考えてよさそうです。
(写真)翠香園に言及している『上野のすがた 1953』愛知県知多郡上野町立上野中学校、1953年。
(写真)翠香園に言及している『上野のすがた 1953』愛知県知多郡上野町立上野中学校、1953年。
聞き取り:「スイコエン」
三叉路の北西にある魚勝商店の店主の男性(70代前半?)に聞くと、「小島メリヤスがある三叉路の北すぐの場所に駐車場があり、その場所に映画館があった。やがてアパートとなり、その後米屋になった。名前は『スイコエン』であり、スイは『水』、コは難しい漢字だったような気がする」とのこと。「駐車場の場所ではなく、"駐車場の東側の民家の場所" ではなかったか」と聞くと、「駐車場の場所だったと思う」とのことでした。
おそらくスイが「水」だったというのは記憶違いであり、難しい漢字とは「コ」ではなく「翠」のことでしょう。郷土資料では翠香園にスイコウエンという読み仮名が振ってありましたが、住民はスイコエンと発音していたのかもしれません。
(写真)右が魚勝商店。
3.1.2 映画館跡地
聞き取りでわかった場所を映画館跡地とすると、近年まで跡地には小島米穀店の建物が建っていました。その後小島米穀店は取り壊され、跡地は駐車場となっています。
(写真)小島米穀店が映っている2015年のGoogleストリートビュー。
(写真)翠香館跡地にある駐車場。
(写真)翠香館跡地にある駐車場。