振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

岡崎市柱町の映画館

(写真)柱町東映劇場の跡地付近。中央奥の茶色いマンションが跡地。

2022年(令和4年)8月、愛知県岡崎市柱町を訪れました。かつて岡崎市柱町には映画館「柱町東映劇場」がありました。

 

1. 岡崎市柱町を訪れる

1.1 橋本増治郎生家

実業家の神谷傳兵衛や刈谷市近辺の歴史を学ぶ「傳兵衛クラブ刈谷」で、岡崎市柱町出身の橋本増治郎 - Wikipediaという人物について学びました。橋本増治郎は日産自動車の前身である快進社の創業者。トヨタグループの創始者である豊田佐吉と同様に幕末から明治維新期に生まれた人物です。他地域から西三河地方に来て定着した豊田佐吉とは異なり、西三河地方に生まれて他地域で活動したのが橋本増治郎です。

橋本家には現在も居住者がいるようです。戦後の住宅地図を見ると橋本家の場所に橋本内科医院と書かれているものがあります。

(写真)橋本増治郎生家。

(写真)橋本増治郎生家。

 

1.2 綿積神社

柱町の氏神は綿積神社(わたつみじんじゃ)。橋本増治郎は東京工業学校(現・東京工業大学)に入学するために上京すると、それからずっと東京などに住んでいたようですが、故郷の綿積神社に社名標を寄進しています。死後の1961年(昭和36年)には岡崎市名誉市民にも推挙されています。綿積神社に橋本増治郎に関する説明看板などがあればよいと思いました。

(写真)綿積神社。

(写真)綿積神社。

 

1.3 柱町の常夜灯

岡崎市柱町には2体の常夜灯が建っています。

 

綿積神社の西の常夜灯

綿積神社の境内入口から北西に90mの交差点には、村中安全と刻まれている1901年(明治34年)3月7日建立の常夜燈があります。オーソドックスな石造の常夜燈であり、後述する常夜燈とはわずか10年差なのにずいぶんと形状が異なっています。

(写真)綿積神社西の常夜灯。

 

綿積神社の境内北東端の常夜灯

綿積神社の境内北東端、JAあいち三河南支店の近くにも常夜燈があります。1911年(明治44年)に他所に建立され、岡崎駅西の区画整理事業で綿積神社境内の現在地に移設されたものであり、「右 青野橋 西尾 大浜」「左 福岡 幸田 蒲郡」と刻まれています。もとの場所は "柱町字北屋敷22番地の三叉路" であり、小林百貨店と宮地医院の間にある青野街道の三叉路だと思われます。

(写真)綿積神社境内北東端の常夜灯。

 

2. 岡崎市柱町の映画館

2.1 柱町東映劇場(1952年頃-1970年代初頭)

所在地 : 愛知県岡崎市柱町東浦17(1970年)
開館年 : 1952年頃
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1952年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1954年・1955年・1958年・1960年・1961年・1962年の映画館名簿では「羽根映画劇場」。1963年の映画館名簿では「柱町東映」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「柱町東映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「レジデンシャル岡崎」や「ファミリーマート岡崎柱6丁目店」。最寄駅はJR東海道本線岡崎駅

1952年(昭和27年)頃から1970年代初頭まで、映画館名簿によると岡崎市柱町には柱町東映劇場(羽根映画劇場)がありました。当時の住宅地図によると、現在の賃貸マンションのレジデンシャル岡崎とファミリーマート岡崎柱六丁目店の場所にあったようです。映画館名簿と住宅地図以外の文献における言及は確認できていません。

(写真)1966年の住宅地図における柱町東映劇場付近。

(写真)1989年の住宅地図における柱町東映劇場跡地付近。跡地はショッピングセンター柱となっている。

 

1962年(昭和37年)までの映画館名簿には羽根映画劇場として、1963年(昭和38年)以後の映画館名簿には柱町東映劇場として掲載されています。丸キ加藤食品の公式サイトには "昭和35年 映画館「柱町東映」を始めました" とあり、経営者が加藤久松(丸キ加藤食品)に交代したタイミングで改称したのだと思われます。

映画館名簿によると柱町東映劇場の閉館は1970年代初頭。経営者は映画館時代と変わらず丸キ加藤食品(加藤久松)であり、おそらく映画館の建物がスーパーの柱町センターに転用されたようです。現在のマンションが建ったのは2005年(平成17年)のことであり、この頃まで映画館の建物が残っていたのかもしれません。

(写真)柱町東映劇場跡地にあるマンション。

 

岡崎市柱町にあった映画館について調べたことは「岡崎市の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(愛知県版)」にマッピングしています。

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