振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

飛騨市神岡町の映画館

(写真)飛騨市神岡図書館。

2023年(令和5年)4月、岐阜県飛騨市神岡町を訪れました。「飛騨市神岡町を訪れる」からの続きです。

 

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1. 飛騨市神岡図書館

飛騨市神岡図書館は飛騨市に2館ある図書館の片方です。まだ町立図書館が珍しかった1978年(昭和53年)、独立館の神岡町立図書館が開館しました。2004年(平成16年)の飛騨市発足後には神岡振興事務所(旧・神岡町役場)に空きができたことから、2016年(平成28年)には神岡振興事務所の1階に図書館が移転しています。

 

旧・神岡町役場の竣工も図書館独立館開館と同年の1978年(昭和53年)です。設計は磯崎新。雑誌『新建築』、『日経アーキテクチュア』、『建築文化』に掲載されているようです。『建築と社会』の「東海4県 建築MAP作品リスト(1971-1985)」にも掲載されています。

(写真)飛騨市神岡図書館。

 

飛騨市神岡図書館の館内では新聞記事スクラップブックと写真スクラップブックが目につきました。利用者から寄贈されたものだと思われますが、過去の神岡町の様子を理解するのにとても役に立つ資料です。

(写真)飛騨市神岡図書館の新聞スクラップブック。1929年の船津大火に関する記事。

(写真)飛騨市神岡図書館の写真スクラップブック。1916年の大正座の開館時の写真、1960年の船津劇場の開館時の写真。

 

(地図)通称地名が掲載された「船津町市街図」『飛騨之船津』船津町、1933年。飛騨市神岡図書館所蔵。

(地図)吉田初三郎「神岡町鳥瞰図」『神岡町 町勢要覧 1959』神岡町、1959年。飛騨市神岡図書館所蔵。

 

2. 神岡町の映画館

2.1 大正座/船津劇場(1916年9月-1970年代初頭)

所在地 : 岐阜県吉城郡神岡町船津1791(1970年)
開館年 : 1916年9月
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧1955』によると1944年8月開館。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1949年・1950年の映画館名簿では「大正座」。1953年の映画館名簿では「船津劇場」。1955年の映画館名簿では「舟津劇場」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「船津劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「大津神社」参道脇の駐車場。最寄駅はJR高山本線猪谷駅。

神岡町三井金属鉱業による神岡鉱山で栄えた町であり、1916年(大正5年)には大津神社の参道脇に大正座が建設されました。新聞記事を見ると千鳥座という別の劇場もあり、大正座の舞台開き当日に嫌がらせで停電を起こした疑惑などが書かれています。

(写真)1916年の竣工時の大正座。『神岡町史写真編』飛騨市教育委員会、2010年。飛騨市図書館所蔵。

(写真)「華やかだった開設当時 旦那衆が株主の大正座」新聞名不明、掲載年月日不明。飛騨市神岡図書館の新聞スクラップブック。

 

1933年(昭和8年)に東京交通社が発行した『大日本職業別明細図』にも大正座が描かれていました。山田川の西岸の花園町には深山楼(建物が旧遊郭 若松家として現存)や本森田楼(別館が神和荘として現存)などが描かれており、船津花園遊廓の花街の存在がわかります。

(地図)中央左に大正座が描かれた『大日本職業別明細図』東京交通社、1933年。岐阜県図書館所蔵。

(写真)1946年の大正座で行われた演芸会。『飛騨の昭和』樹林舎、2015年。岐阜県図書館所蔵。

 

1955年(昭和30年)1月1日の『週刊町報』(※『広報かみおか』の前身)を見ると、大正座から改称した船津劇場、同じく船津市街地にあった中央劇場の映画上映案内が掲載されています。船津劇場が畳敷きから椅子席になったのも同年のことです。

様々な自治体の図書館で古い自治体広報を閲覧していますが、映画黄金期とはいえ映画上映案内が掲載されている広報は珍しい。広報が月1回刊や月2回刊ではなく週刊なのも興味深いです。

(写真)映画案内が掲載された『週刊町報』1955年1月1日号。『神岡町史写真編』飛騨市教育委員会、2010年。飛騨市図書館所蔵。

(写真)船津劇場の広告。『神岡商工名鑑1966』神岡商工会議所、1966年。飛騨市神岡図書館所蔵。

(写真)1970年の船津劇場。『神岡町史写真編』飛騨市教育委員会、2010年。飛騨市図書館所蔵。

 

船津劇場は1970年代初頭に閉館し、1973年(昭和48年)には跡地に神岡町福祉会館が竣工しました。2015年度(平成27年度)には福祉会館が取り壊され、現在の跡地は更地となっています。

(地図)船津会館が描かれた1973年の住宅地図。

(地図)船津劇場跡地に神岡福祉会館が描かれた1987年の住宅地図。

 

(写真)大正座/船津劇場跡地の空き地。

(写真)大津神社。

 

2.2 銀嶺会館(1952年7月-1973年頃)

所在地 : 岐阜県吉城郡神岡町栃洞(1969年)
開館年 : 1952年7月
閉館年 : 1973年頃
『全国映画館総覧1955』によると1951年12月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「神岡鉱業所」。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「銀嶺会館」。1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「神岡銀嶺会館」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。銀嶺会館の建物は廃墟として現存。最寄駅はJR高山本線猪谷駅。

神岡市街地にあった3館の映画館とは別に、神岡鉱山栃洞鉱があった栃洞地区には銀嶺会館がありました。三井金属鉱業が福利厚生施設として建設した劇場・映画館です。

栃洞地区には鉄筋コンクリート造のアパート群が建てられ、神岡町立栃洞小学校・中学校には1000人以上の児童生徒が在籍していたように、一つの町と言える規模があったようです。神岡市街地の標高は約400mですが、栃洞地区の標高は約850mにもなります。

(写真)神岡町における映画館跡地。Googleマップ

 

(地図)銀嶺会館も描かれた往時の栃洞地区の地図。『ふるさとへの追憶3』ふるさと神岡を語る会、2020年。飛騨市神岡図書館所蔵。

(地図)栃洞地区の絵図。吉田初三郎「神岡町鳥瞰図」『神岡町 町勢要覧 1959』神岡町、1959年。飛騨市神岡図書館所蔵。

 

三井金属鉱業から分離した神岡鉱業自体は稼働を続けていますが、神岡鉱山では2001年(平成13年)の亜鉛・鉛・銀の採掘中止を "閉山" と表現するようです。1983年(昭和58年)には神岡町立栃洞小学校が閉校となり、1992年(平成4年)には栃洞地区自体が無人となったようです。

銀嶺会館を含めた栃洞地区の建物の多くは廃墟として現存しています。2020年(令和2年)にふるさと神岡を語る会が発行した『ふるさとへの追憶3』には、廃墟となった現在の銀嶺会館の建物と内部の写真が掲載されています。

(写真)銀嶺会館の廃墟。Googleマップ

(写真)現在の銀嶺会館の外観。『ふるさとへの追憶3』ふるさと神岡を語る会、2020年。飛騨市神岡図書館所蔵。

(写真)現在の銀嶺会館の内部。『ふるさとへの追憶3』ふるさと神岡を語る会、2020年。飛騨市神岡図書館所蔵。

2.3 神岡会館(1951年9月-1973年頃)

所在地 : 岐阜県吉城郡神岡町東町(1973年)
開館年 : 1951年9月
閉館年 : 1973年頃
『全国映画館総覧1955』によると1951年9月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「神岡会館」。1958年・1960年の映画館名簿には掲載されていない。1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「神岡会館」。1974年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「V・drug神岡店」。最寄駅はJR高山本線猪谷駅。

三井金属鉱業が神岡市街地で経営していた映画館が、1951年(昭和26年)に開館した神岡会館です。高原川の右岸(東町)にあった唯一の映画館であり、右岸と左岸を結ぶ西里橋が鉄橋に架け替えられたのも同年です。三井金属鉱業の福利厚生施設という位置づけではありますが、従業員のみならず神岡町民にも開かれていました。

(写真)神岡会館の外観。『神岡鉱山写真史』三井金属鉱業、1975年。飛騨市神岡図書館所蔵。

(写真)1950年代の神岡会館の内部。『神岡鉱山写真史』三井金属鉱業、1975年。飛騨市神岡図書館所蔵。

(写真)1952年の神岡市街地。中央左の白い巨大な建物が神岡会館。『ふるさと飛騨』樹林舎、2015年。

 

神岡会館の入場料は日本一安い10円だったという新聞記事もありました。美空ひばり以外のスター歌手はほとんど神岡会館を訪れたとも書かれています。神岡会館の跡地にはドラッグストアが建っています。

(写真)「十円映画で利潤をあげ一流歌手を続々招いた かつての神岡会館」新聞名不明、掲載年月日不明。飛騨市神岡図書館の新聞スクラップブック。

(地図)神岡会館が描かれた1973年の住宅地図。

(地図)神岡会館が描かれた1987年の住宅地図。

 

2.4 神岡中央劇場(1950年8月-1978年4月)

所在地 : 岐阜県吉城郡神岡町本町1926(1978年)
開館年 : 1950年8月
閉館年 : 1978年4月
『全国映画館総覧1955』によると1950年8月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「中央劇場」。1955年の映画館名簿では「神岡中央劇場」。1958年・1960年の映画館名簿では「中央劇場」。1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1976年・1978年の映画館名簿では「神岡中央劇場」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「飛騨信用組合神岡支店」駐車場。最寄駅はJR高山本線猪谷駅。

神岡町で最も遅くまで営業していた映画館が中央劇場です。1950年(昭和25年)に大正座に次ぐ劇場として開館し、1978年(昭和53年)まで営業しています。神岡町が栄えていた最後の時期のようであり、同年には神岡鉱山の第二次合理化で約500人が退職、神岡町は特定不況地域に指定されています。

(写真)1950年の開館時の中央劇場。『神岡町史写真編』飛騨市教育委員会、2010年。飛騨市図書館所蔵。

(地図)中央劇場が描かれた1973年の住宅地図。

(地図)中央劇場跡地に飛騨信用組合神岡支店が描かれた1973年の住宅地図。

(写真)神岡中央劇場跡地の飛騨信用組合神岡支店。

 

飛騨市神岡町の映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。

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