振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

口大野の映画館

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(写真)大野劇場の建物。

2021年(令和3年)3月、京都府京丹後市大宮町口大野を訪れました。かつて口大野には映画館「大野劇場」があり、その建物は跡地に現存しています。「京丹後市立大宮図書室を訪れる」に続きます。

 

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1. 口大野を訪れる

1.1 旧口大野村役場庁舎

大野劇場があったのは旧・中郡大宮町の口大野地区。京都丹後鉄道宮豊線丹後大宮駅がある地区であり、規模の似た複数の市街地を持つ旧・大宮町における中心地区のようです。宮津市や加悦谷と峰山町を結ぶ街道(現在の京都府道657号)が通っており、京都府道657号の周辺に市街地が形成されています。地区のシンボルとして登録有形文化財の旧口大野村役場庁舎がありました。晴天日でないとわかりにくいものの、薄桃色と水色の外壁が個性的です。

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(写真)旧口大野村役場庁舎。登録有形文化財

 

1.2 大野神社・常徳寺

旧口大野村役場庁舎の西側には1971年(昭和46年)閉校の大宮町立口大野小学校跡地があり、この辺りが口大野地区の中心地のようです。小学校跡地の南側には大野神社が、西側には口大野地区唯一の寺院である常徳寺がありました。

小学校跡地から約150m北には、丹後ではおなじみの化粧地蔵の地蔵堂があります。毎年8月の地蔵盆の際に、地域の子どもたちによって地蔵の塗り直しが行われるようです。

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(左)大野神社。(右)常徳寺。

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(写真)集落北部にある化粧地蔵。

 

2. 口大野の映画館

2.1 大野劇場(1928年-1965年頃)

所在地 : 京都府中郡大宮町口大野字鯨1275(1965年)
開館年 : 1928年8月
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1928年8月設立。1947年・1952年・1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「大野劇場」。1961年・1962年の映画館名簿では「口大野劇場」。1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「大野劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は京丹後大宮駅駅舎南南西140mに「牧草総合設計」が入る建物として現存。

丹後大宮駅から京都府道657号を約140m南下すると、府道の西側に大野劇場の建物が現存しています。建物南側には丹海バスの「京丹後大宮駅北行バス停があり、口大野の集落の方にとっては馴染みのある建物かもしれませんが、大野劇場の建物が現存していることはウェブ上では確認できず、また、映画館名簿以外の文献での言及を確認できていません。

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(写真)大野劇場の建物。

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(写真)大野劇場の建物。

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(写真)大野劇場の建物と府道657号。

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(写真)大野劇場の建物の裏側。

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(写真)大野劇場の建物。(左)入口。(右)裏側の路地。

 

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(写真)1964年の口大野における大野劇場の位置。地図・空中写真閲覧サービス

(写真)大野劇場が掲載された『全国映画館総覧 1955年』(時事通信社、1955年)。

 

西弘製菓の店主(70代後半~80代?)に大野劇場の話を聞くと、

西弘製菓から100mほど南にある赤い屋根の建物が映画館であり、松田さんが経営していた。私は西弘製菓から府道を挟んで西側の家に生まれ育ち、高校時代には映画館で映写技師のアルバイトをしていたこともある

映画館では昼間の上映のほかに、"ナイトショー" も行っていた。"ナイトショー" はとても人気があり、西弘製菓の前付近まで行列ができたこともあった。映画館の営業を終えてからは機織りの工場として使われていたこともある。現在も映画館の建物はそのままだが、内部を分割して貸しているようだ」とのことでした。

西弘製菓の店内には数々の賞状や盾があり、厚生労働大臣表彰を二度受けています。

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(写真)西弘製菓の店内。

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(写真)「絹の女」と「おさの音」。

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(写真)数々の盾。

 

口大野の映画館について調べたことは「京都府の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(京都府版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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