2021年(令和3年)3月、石川県加賀市の大聖寺地区を訪れました。かつて大聖寺地区には「南映劇場」と「大聖寺劇場」(加賀北国劇場)の2館の映画館がありました。
※2024年(令和6年)2月には本記事から「大聖寺を訪れる」を分割しました。
1. 映画館の文献
1.1 地図
かつて大聖寺地区には「南映劇場」と「大聖寺劇場」(加賀北国劇場)の2館の映画館がありました。
石川県立図書館が所蔵する住宅地図で場所が判明するのは南映劇場のみですが、加賀市立中央図書館が所蔵する『石川県大聖寺町全図』(中部職業交通社、1957年)には大聖寺劇場も描かれています。
大聖寺劇場のすぐ東側には広い中央通りがありますが、この通りは既存の大聖寺劇場と毫摂寺を避けて戦後に開通したようで、中央通りによって法華坊町は分断されています。
(地図)『石川県大聖寺町全図』(中部職業交通社、1957年)。中央上に大聖寺劇場、右に南映劇場。
(地図)『石川県大聖寺町全図』(中部職業交通社、1957年)。(左)表紙。(右)裏面の広告。
1.2 映画館名簿
(写真)加賀北国劇場と南映劇場が掲載された1965年の映画館名簿。
2. 大聖寺の映画館
2.1 大聖寺劇場(1916年11月-1968年)
所在地 : 石川県加賀市大聖寺法ヶ坊町73(1966年)
開館年 : 1916年11月
閉館年 : 1968年
『全国映画館総覧 1955』によると1916年11月開館。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「加賀東映北国劇場」。1966年の映画館名簿では「加賀北国劇場」。1968年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「金沢信用金庫大聖寺支店」。最寄駅はJR北陸本線大聖寺駅。
1916年(大正5年)に開館した大聖寺劇場は舞台・花道・桟敷などがある立派な劇場であり、戦後には北国劇場(北国第二劇場)とも呼ばれたようです。金沢市にあった日本で4番目のシネラマ劇場である北国会館と関係があるのでしょうか。
(写真)1957年の大聖寺劇場。『写真アルバム 小松・加賀・白山の昭和』(いき出版、2017年)
(左)大聖寺劇場跡地にある金沢信用金庫大聖寺支店。 (右)大聖寺劇場があった大聖寺法華坊町。
(地図)『大日本職業明細図 石川県』1925年。中央左に大聖寺劇場。中央通りは開通していない。左が北であることに注意。
2.2 南映劇場(1956年10月6日-1983年3月31日)
所在地 : 石川県加賀市大聖寺荒町39(1980年)
開館年 : 1956年10月6日
閉館年 : 1983年3月31日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「南映劇場」。1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「大聖寺南映劇場」。1976年の映画館名簿では「南映劇場」。1980年の映画館名簿では「加賀南映劇場」。1985年の映画館名簿には掲載されていない。加賀市最後の映画館。跡地は「毫摂寺」東南東130mにある駐車場。最寄駅はJR北陸本線大聖寺駅。
戦前に開館した演劇場の大聖寺劇場とは異なり、戦後に映画専門館として開館したのが南映劇場です。1968年(昭和43年)からは大聖寺唯一の映画館となり、1983年(昭和58年)に閉館。1989年(平成元年)には小松市の小松東映劇場が閉館し、南加賀地域から映画館がなくなりました。2017年(平成29年)にはイオンシネマ新小松が開館し、現在はこのシネコンが加賀市から最も近い映画館です。
(写真)1957年の南映劇場。『写真アルバム 小松・加賀・白山の昭和』(いき出版、2017年)
両映画館の中間にある食料雑貨店「まつしたフードショップ」の店主の女性(60代?)に話を聞くと、
「法華坊町の三島屋の南側の駐車場の場所に映画館(注:南映劇場)があった。法華坊町の通りから荒町の通りまですべて映画館の敷地だった。法華坊町の通りは裏側であり、荒町の通りが表側だった。もう一館の映画館(注:大聖寺劇場)のことはよく知らないが、信用金庫の辺りにあったと聞いている」とのことでした。
(写真)南映劇場跡地の駐車場。
(左)南映劇場があった大聖寺荒町。(右)和菓子屋 梅田菓子舗と荒町の看板。
(写真)1963年の大聖寺にあった映画館の位置。地図・空中写真閲覧サービス
大聖寺の映画館について調べたことは「石川県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(石川県版)」にマッピングしています。