振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「ウィキペディアタウン in 周枳」に参加する

(写真)周枳の街並み。

2022年(令和4年)5月21日、京都府京丹後市大宮町で開催された「ウィキペディアタウン in 周枳」に参加しました。周枳 - Wikipedia(すき)集落が題材となりました。

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1. イベント概要

スケジュール

10:00-12:00 まちあるき(大宮町周枳)
12:00-13:00 昼食
13:00-16:45 文献調査・ウィキペディア編集(つねよし百貨店)

 

イベントの主催はedit Tango。午前のまちあるきでは周枳在住の小幡利夫さんがガイドをしてくださいました。午後の編集会場は大宮町上常吉にあるつねよし百貨店 - Wikipediaです。

 

2. まちあるき

周枳公民館に集合してから周枳区内をめぐりました。周枳公民館の敷地は1972年(昭和47年)3月に閉校した大宮町立周枳小学校の跡地。1894年(明治27年)竣工の講堂兼体育館と南校舎の2棟が現存しています。2棟の間には立派な幹を持つサクラが植わっており、120年以上前の竣工時に植えられたものかと思いましたが、1936年(昭和11年)の写真を見るとサクラらしき木が見当たりません。

(写真)周枳公民館の敷地にある旧周枳小学校。南校舎とサクラ。

(写真)1936年の周枳尋常小学校。奥は講堂兼体育館。左端は南校舎。左の門柱の奥にサクラがあるはずだが..。

 

周枳の近代建築としては1953年(昭和28年)9月11日に建立・献堂されたカトリック丹後大宮礼拝堂もあります。周枳周辺の集落を見渡すと、口大野に1929年(昭和4年)竣工の登録有形文化財である旧口大野村役場庁舎が、奥大野に1940年(昭和15年)竣工の旧倉垣小学校が、河辺に昭和初期竣工の旧河辺郵便局が、善王寺に1956年(昭和31年)移築の旧長善村役場(善王寺公民館)がありますが、いずれもそれほど知られていないみたい。

(写真)周枳公民館の敷地にある枳(カラタチ)の木。

 

『日本歴史地名大系』には周枳井溝という項目があり、旧周枳小学校やカトリック丹後大宮礼拝堂などの近代建築とともに気になっていました。周枳井溝は寛文12年(1672年)に完成した用水路であり、水路の一部は現存しています。

(写真)周枳井溝。

(写真)周枳の街並み。

 

周枳は江戸時代から丹後ちりめんの機業で栄えた集落であり、点在するちりめん工場からは機音が聞こえてきます。黄土色の土壁、下見板張り、上部に風を通す隙間のある蔵が目立ちますが、これらもちりめん工場に関係するのかな。

(左・右)周枳の蔵。

(左・右)周枳の民家。

(写真)周枳の街並み。左奥は大和織物。

 

白杉酒造 - Wikipediaは周枳の集落内にあります。2007年(平成19年)に現在の当主が社長兼杜氏になってからは様々な取り組みでメディアに登場することも多い。酒造好適米酒米)を使わずに食用米のみで酒造りを行っており、代表銘柄の「白木久」は与謝野町コシヒカリを用いた日本酒です。

(写真)白杉酒造。

 

印象的な建物として大和織物の織物工場があり、現役の丹後ちりめん工場として機音を響かせていました。大和織物の正面には田寅織物の事務所があり、その脇は広大な空き地になっていますが、少なくとも2019年(令和元年)まではこの場所に田寅織物の工場があったようです。

(写真)大和織物。

(左)田寅織物事務所。右端は更地となった工場跡地。(右)2019年の田寅織物工場と大和織物。Googleストリートビュー

 

大和織物と田寅織物の間を通る道路は古い道路ではなく、周枳の北側と南側の間にある山を切り崩して築かれた道路だそうです。『周枳郷土誌』によるとこの道路は周枳村道は向地外尾線といい、1932年(昭和7年)から1933年(昭和8年)に建設された道路だそう。工事の最中の写真には作業用トロッコも写っており、高さ10m以上の山を切り崩す大掛かりな工事だったことがわかります。

(写真)昭和初期に築かれた向地外尾線。左が大和織物、右が田寅織物事務所。

(写真)1932年~1933年の周枳村道向地外尾線新設工事。『周枳郷土誌』周枳区、2002年。

 

1960年代の航空写真を見ると、向地と外尾の間は現在より建物が少なく、周枳の集落は北側(大宮売神社周辺)と南側(石明神遺蹟周辺)に分かれています。新開地だからこそ大和織物や田寅織物などの大規模な織物工場が建てられたのでしょう。

(写真)1960年代の周枳の航空写真。地理院地図

 

向地にはチコマート周枳店や松初商店などの商店がありました。

(写真)向地。京都府道657号明田京丹後大宮停車場線。

(写真)向地。京都府道657号明田京丹後大宮停車場線。

 

(写真)周枳の集落内をを歩く参加者。

(写真)大和織物の前で小幡さんの話を聞く参加者。

 

(写真)リエゾン区間を走るラリーカー。RALLY 丹後 2022が開催されていた。

 

3. Wikipedia編集

各自で大宮町上常吉にあるつねよし百貨店に移動。京都府立図書館、京丹後市立図書館、京都府立丹後緑風高等学校図書館から準備された文献を用いてWikipedia記事の編集を行いました。何度もイベントに参加している参加者が多かったことから、全体に向けた編集方法の説明などは行わず、初心者の方には編集中に適宜説明をするという形でした。

(写真)準備された文献。

 

編集記事

周枳 - Wikipedia - 新規

周枳井溝 - Wikipedia - 新規(2022年5月25日メインページ掲載)

白杉酒造 - Wikipedia - 加筆

大宮売神社 - Wikipedia - 加筆

(写真)編集中の参加者。

 

最近の図書館界におけるトピックとして、国立国会図書館デジタルコレクションの一部資料の個人送信が開始されたことが挙げられます。これまでは図書館送信資料だったものが個人送信資料となり、図書館送信サービス参加館に行かなくても自宅から閲覧できるというものです。

試しに国立国会図書館デジタルコレクションで "周枳" と検索してみると、インターネット公開資料は21件ですが、図書館・個人送信資料は78件となりました。増えた分は工場名鑑・学校名鑑・寺院名鑑などが多く、直接的に文章の出典として使えるかどうかはともかく、今後はウィキペディア編集で活躍しそうです。

(写真)周枳の検索結果。国立国会図書館デジタルコレクション。

 

インターネット公開されている『全国工場通覧 昭和10年9月版』によると、田寅織物の創業は1897年(明治30年)であり、現在地に工場を構える約35年前にはもう創業していたようです。名称は代表者の田中寅吉に由来しているようですが、姓と名から一文字ずつ採った工場名は他にも数多く見られます。

(写真)田寅織物。商工省『全国工場通覧 昭和10年9月版日刊工業新聞社、1935年。国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開。