振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

久美浜町の映画館

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(写真)久美浜町を象徴するカヌー。 京丹後市久美浜湾カヌーセンター。

2021年(令和3年)6月、京都府京丹後市久美浜町を訪れました。かつて久美浜町には映画館「久美浜館」と「野中劇場」がありました。

 

1. 久美浜町を歩く

1.1 絵図・航空写真

昭和初期の久美浜町を描いた絵図として『久美浜名所案内』(久美浜町、1929年)があります。京都府立京都学・歴彩館が所蔵しているほか、『京丹後市の古地図』(京丹後市史編さん委員会、2016年)や『図説 京丹後市の自然環境』(京丹後市史編さん委員会、2015年)にも収録されています。ウェブでは「吉田初三郎式鳥観図データベース」で閲覧することができます。

久美浜湾の近くにある久美浜町役場は先々代の建物。郵便局や警察署も現在とは場所が異なり、警察署は2018年(平成30年)までの京丹後市久美浜図書室の場所にあるように見えます。久美浜図書室の大きな敷地は塀で囲まれており、やや入りづらい独特な雰囲気を醸しているのですが、塀が警察署時代からあるのであれば納得です。

久美浜湾には漁船と思われる多数の帆船が浮かんでいますが、埠頭には大きな2隻の汽船(?)も見えます。物資を運んだ商船でしょうか。それとも久美浜と城崎などを結んでいたという旅客船でしょうか。この絵図の刊行が鉄道開業後だったら描かれていなかった船かもしれません。

久美浜湾に突き出した浜公園は当時からありますが、何のために造成したのでしょうか。浜公園には久美浜公会堂が描かれていますが、実際にはこの絵図が刊行された翌年の1930年(昭和5年)竣工。国鉄宮津線久美浜駅が開業したのも刊行翌月の1929年(昭和4年)12月です。

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(地図)昭和初期の久美浜町の絵図。下は久美浜湾。『久美浜名所案内久美浜町、1929年。

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(写真)戦後の久美浜町の空中写真。上は久美浜湾。左下は久美浜駅。『久美浜町誌』久美浜町、1954年。

 

1.2 復興建築

1925年(大正14年)に発生した北但馬地震(北但大震災)、1927年(昭和2年)に発生した北丹後地震(丹後大震災)では久美浜町も大きな被害を受けたようです。京丹後市峰山町などと同様に、久美浜町でもこれらの震災後に建てられた昭和初期の建築物が目立ちます。

久美浜公会堂は1930年(昭和5年)竣工。旧久美浜町役場は1932年(昭和7年)竣工。2021年(令和3年)4月には旧久美浜町役場1階にカフェがオープンしています。屋根瓦や窓サッシは取り替えられ、木壁はきれいに塗りなおされているため、昭和初期の近代建築という雰囲気はありません。京都丹後鉄道久美浜駅京丹後市役所久美浜支所に近く、久美浜観光の拠点にできそうな立地にありますが、登録有形文化財への登録を目指す動きなどもないようです。

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(左)久美浜公会堂。(右)旧久美浜町役場。

 

神谷太刀宮神社 - Wikipediaにある参考館(旧久美浜県庁舎御玄関棟)は京都府指定文化財。この建物は1923年(大正12年)の竣工であり、2度の震災を生き残った久美浜町では数少ない建築物だと思われます。

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(写真)参考館(旧久美浜県庁舎御玄関棟)。

 

久美浜市街地には久美谷川と栃谷川が流れており、京都府道11号と久美谷川の交点が市街地の中心となっています。久美谷川には久美橋(1934年架橋)と新橋が、栃谷川には十楽橋(1934年架橋)が架かっていますが、いずれも昭和初期に架橋されたものです。こちらのブログを見ると、架橋当時の久美橋の欄干は新橋の欄干に似たものだったようです。

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(左)久美谷川に架かる新橋。(右)栃谷川に架かる十楽橋。

 

1.3 街並み

久美谷川の東側にある土居という字があり、土居には久美浜町の主要な施設が集まっています。長明寺と西方寺、京都銀行久美浜支店と京都北都信用金庫久美浜支店があり、字の中心には豪商 稲葉本家 - Wikipediaがあります。1890年(明治23年)に建築された主屋は登録有形文化財に登録されており、久美浜市街地では一番の観光スポットです。

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(写真)豪商 稲葉本家。

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(左・右)豪商 稲葉本家。


久美谷川の西側には町屋が連なっており、3階建て木造建築のカレー店「ザ・スパイス」が目立ちます。大正時代に開業した旅館 浜茶屋をリノベして2021年(令和3年)5月2日に開店したばかり。前述の絵図によると、昭和初期には旅館 浜茶屋の向かいに久美浜村役場がありました。

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(写真)旅館 浜茶屋をリノベしたザ・スパイス。

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(左)ザ・スパイスのカレー。(右)ザ・スパイスの2階から見た東本町。

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(左)東本町の街並み。右は鯛せんべいやこのしろ寿司で知られる綿徳商店。(右)十楽の街並み。

 

1.4 京丹後市久美浜図書室

2005年(平成17年)の京丹後市発足前、熊野郡久美浜町は図書館未設置自治体だったようですが、平屋建ての単独施設である久美浜町図書室がありました。合併によって京丹後市久美浜図書室に改称。2018年(平成30年)には京丹後市久美浜庁舎1階に移転しています。

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(写真)京丹後市久美浜庁舎1階にある久美浜図書室。

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(左)久美浜図書室が入る京丹後市久美浜庁舎。(右)2018年以前の久美浜図書室。

 

 

2. 久美浜町の映画館

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(写真)久美浜館と野中劇場が掲載された映画館名簿。『映画便覧 1960』時事通信社、1960年。

 

1.1 磯辺館(戦前)

所在地 : 京都府熊野郡久美浜町十楽
開館年 : 大正前期頃
閉館年 : 1945年以前?

戦前の久美浜町の十楽には磯辺館という劇場(芝居小屋)がありました。『久美浜名所案内』(久美浜町、1929年)の絵図には「劇場」として描かれており、『十楽区誌』(十楽区、2007年)の地図には「磯辺館【芝居小屋】」として描かれています。

磯辺館があったのは久美浜市街地の東端といえる場所であり、跡地には1943(昭和18年)に発足した熊野酒造があります。戦後すぐの地図ではもう磯辺館跡地に熊野酒造があり、磯辺館の建物を酒蔵に転用していたかもしれません。

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(地図)十楽公園近くに「劇場」が描かれている絵図。中央左。左下はかぶと山。『久美浜名所案内』久美浜町、1929年。

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(写真)戦後すぐの十楽。手前が久美浜町中心部。通りが途切れているように見える中央が十楽三叉路。赤丸が磯辺館跡地(熊野酒造)。『十楽区誌』十楽区、2007年。

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(写真)「磯辺館【芝居小屋】」が描かれてる戦後の十楽の街並み。中央が十楽三叉路。『十楽区誌』十楽区、2007年。

 

1.2 久美浜館(1951年-1964年)

所在地 : 京都府熊野郡久美浜町1147(1963年)
開館年 : 1951年9月
閉館年 : 1964年10月
1954年・1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年・1957年・1958年・1959年・1960年・1961年・1962年・1963年・1964年の映画館名簿では「久美浜館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

戦後の久美浜市街地にあった唯一の映画館と思われるのが「久美浜館」です。1964年の映画館名簿によると木造2階建で定員400の建物。経営者の東史郎 - Wikipediaは太平洋戦争時に南京攻略戦に参加し、著書『わが南京プラトーン』で南京大虐殺を告発した人物。映画館経営者としては間人劇場を拠点とし、久美浜館、弥栄映劇(弥栄町)、日高映画劇場(兵庫県日高町)、香住映劇(兵庫県香住町)、あずま館(兵庫県香住町)、大富座(兵庫県浜坂町)と、丹後や但馬で多数の映画館を経営していました。

 なお、『久美浜大事典』(特定非営利活動法人わくわくする久美浜つくる会、2015年)には "土居区の北都信用金庫の場所" に映画館「産業会館」があったと書かれており、映画館名簿とは名前が異なっています。2館の映画館があったとは思えず、映画館名簿における久美浜館と久美浜大事典における産業会館が同一施設だと仮定したうえで現地を訪れました。

 

久美浜市街地中心部にある書店・文具店のイケダ堂で店主に話を伺うと、「イケダ堂の2軒西にある京都北都信用金庫の場所に映画館があった。名前は覚えていないが、久美浜町の映画館はここだけだったと思う

名前が「産業会館」や「久美浜館」ではなかったかと聞くと、「"久美浜館" ではなかったと思う。"産業会館" だったかどうかはわからない。イスなどの固定座席はなく、客席にはござが敷かれていた。石原裕次郎などの映画を上映していた

閉館年が1964年ではなかったかと聞くと、「1964年(昭和39年)時点の私は小学生だった。中学生の頃までは営業していたが、高校生の頃には閉館していたと思う。跡地には信用金庫が移転してきた。信用金庫と理容みやもとの間には狭い路地があるが、昔はもう少し広かった記憶がある。信用金庫の建物を建てる際に敷地を広げたのかもしれない

久美浜大事典』には「産業会館」の閉館時期が "昭和40年代半ば"、館内は "床面はゴザを敷いただけ" とあり、イケダ堂の店主の話と一致します。産業会館と「久美浜館」が同一施設かどうかは疑問が残りました。

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(写真)久美浜館跡地にある京都北都信用金庫久美浜支店。

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(写真)1964年の久美浜市街地と久美浜館。地図・空中写真閲覧サービス

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(写真)話を聞いたイケダ堂。

 

1.3 野中劇場(1949年-1966年)

所在地 : 京都府熊野郡久美浜町佐濃(1964年)
開館年 : 1949年4月
閉館年 : 1966年5月
1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1956年・1957年・1958年・1959年・1960年・1961年・1962年・1963年・1964年の映画館名簿では「野中劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

久美浜町峰山町を結ぶ国道312号沿いにあるのが野中地区。かつての熊野郡佐濃村の中心地にあたり、街道筋の宿場町として栄えたようです。国鉄宮津線(現・京都丹後鉄道宮豊線)のルートから外れ、戦前・戦後の久美浜町で進められた観光開発からは取り残された集落ではありますが、杉本屋と堅木屋の2軒の旅館が現在も営業中。

映画館名簿によると木造2階建で定員は360、経営者は谷口松治。『久美浜町誌』(久美浜町、1975年)によると1949年(昭和24年)4月開館で1966年(昭和41年)5月閉館。『佐濃村誌』(久美浜町佐濃支所、1959年)には「野中及び周辺の商工業種一覧」に「劇場」が掲載されています。文献にはこのような断片的な情報しかありません。

1964年(昭和39年)の航空写真を見ると、現在の久美浜機業センター駐車場の位置にひときわ目立つ建物があります。いつか話を聞きに行ってみたい。

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(写真)1964年の野中市街地。野中交差点と佐野谷川の中間には影が濃く(≒2階建てで屋根が高く)巨大な建物が見える。地図・空中写真閲覧サービス

 

久美浜町の映画館について調べたことは「京都府の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(京都府版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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