振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

東海遊里史研究会のトークイベント「"見る"から"知る"東海地方の遊廓」に参加する

(写真)会場のソイロビル。

2024年(令和6年)4月27日、愛知県名古屋市中村区で東海遊里史研究会のトークイベント「"見る"から"知る"東海地方の遊廓」に参加しました。

 

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1. イベント概要

1.1 会場

会場は名古屋市中村区の新大門商店街にあるソイロビル。1階はDIY工房、2階はチャレンジショップ、3階はイベントスペースという面白い建物です。もとは1階は衣料品店であり、2階と3階が住居だったそう。

北西側には妓楼建築が複数あり、会場からは重厚で巨大な瓦屋根が見えます。ソイロビルがある場所もかつての中村遊廓の一角であり、1957年(昭和32年)に施工された売春防止法後に妓楼建築を取り壊して分割された区画です。

(写真)松原八幡社のねこ。

 

1.2 東海遊里史研究会

東海遊里史研究会は遊廓愛好家の3人(ことぶきさん、春は馬車に乗って〈春馬車〉さん、自然誌古典文庫D室さん)による組織であり、それぞれ大学などに属していない在野の研究者です。

2021年(令和3年)10月の第1回研究発表会では、名古屋にあった4の遊里、中村遊廓(名楽園)、城東園、八幡園、港陽園の各地域が紹介されました。第2回と第3回の東海遊里史研究会は名古屋・今池のライブハウス Tokuzoが会場となり、2022年(令和4年)2月の第2回では豊橋市一宮市瀬戸市岡崎市大須の各地域の遊里史が紹介され、2023年(令和5年)4月の第3回では名古屋の遊里史が「絵葉書」や「私娼窟」といった題材で掘り下げられています。

これらの研究発表会に加えて、雑誌『東海遊里史研究』の執筆、風媒社の郷土史本などへの寄稿、大ナゴヤツアーズややっとかめ文化祭などでのまちあるきガイドなど、精力的に幅広く活動されています。

(左)自然誌古典文庫における第1回研究発表会。(右)雑誌『東海遊里史研究 3』。

(写真)Tokuzoにおける第3回東海遊里史研究会。

 

2. イベント内容

前半は雑談も交えながら遊廓の営業形態について解説され、後半の「空から見る東海地方の遊廓」では航空写真を元にして東海地方各地の遊廓が紹介されました。手始めに名古屋の中村遊廓や稲永遊廓や城東園、次いで岐阜県多治見市の西ヶ原遊廓、三重県四日市市の住吉遊楽園、愛知県豊川市の円福荘と碧南市の衣浦荘。

地方都市は名古屋よりも文献情報が少ないし、書籍レベルでの言及はほとんどないと思われますが、身近だからか会場の反応はよかった。名古屋以外の地方都市の遊廓を紹介するという点では第2回研究会と似ていましたが、航空写真や現地の写真を多用してわかりやすく紹介することを心がけていたようです。

いずれにしても、遊廓というナイーブな分野について穿った見方や憶測に頼らずに、一次資料による調査をひたすら積み重ねて提示する、というスタイルは第1回研究会から一貫しています。

(写真)衣浦荘にあった旅館 吉文。売春防止法施行前の赤線の建物だったとされることが多いが、温泉街転換後の建築の可能性が示唆された。2021年解体。

 

SNS等では誤った地点が遊廓跡地として紹介されることもあるとのことで、「玉突」という映える看板が残る西ヶ原遊廓が例に挙げられました。「玉突」の建物周辺は遊廓の隣接地にある歓楽街に過ぎないとのことです。

現地を訪れる際に「こそこそと写真を撮らずに堂々と挨拶する」「きちんとした服を着て歩く」というのも印象的でした。地方都市における調査方法は私の映画館調査にも通じるので学びたい。

行政などが関与して保存や活用の取り組みがなされている近代建築とは異なり、かつて遊廓だった建物は10年~20年後に消滅している可能性も高い。映える建物がなくなった時に遊廓に興味を持つ方がどれだけいるか、という視点は研究会で繰り返し語られています。

(写真)西ヶ原遊廓跡地とされることが多い通り。実際の遊廓跡地は北西の広小路通り。photo:Sengoku40