振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

御嵩町の映画館

(写真)名鉄広見線御嵩駅。

2019年(令和元年)7月と12月、岐阜県可児郡御嵩町(みたけちょう)を訪れました。かつて御嵩町御嵩市街地には映画館「日之出映画劇場」と「東濃シネマ劇場」が、伏見市街地には「伏見劇場」がありました。

※本記事は2019年(令和元年)12月に投稿した「御嵩町を訪れる」を2024年(令和6年)2月に分割・修正したものです。

 

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1. 御嵩町の映画館

かつて御嵩町には3館の映画館がありました。御嵩市街地に「日之出映画劇場」と「東濃シネマ劇場」の2館、伏見市街地に「伏見劇場」の1館です。1990年(平成2年)に御嵩町が刊行した『御嵩町史 通史編 下』には3館の概要が掲載されており、その他には1956年(昭和31年)に御嵩町伏見支所が刊行した『伏見町誌』で伏見劇場について言及されています。

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(写真)1970年代の御嵩市街地の航空写真。地理院地図

 

1.1 伏見劇場(1925年12月4日-1959年9月)

所在地 : 岐阜県可児郡伏見町(1955年)
開館年 : 1925年12月4日
閉館年 : 1959年9月
1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「伏見劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は伏見交差点北東90mにある空き地。

中山道御嶽宿から約4.5km西には伏見宿がありました。現在の伏見公民館の敷地内には「伏見宿本陣之跡」の石碑が建っています。伏見公民館から200m西には登録有形文化財松屋山田家住宅がありました。和風建築にモルタルの旧伏見郵便局がくっついて見えるのがユーモラスです。

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(写真)伏見宿本陣之跡と伏見公民館。2019年12月撮影。

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(写真)松屋山田家住宅。旧伏見郵便局を併設。登録有形文化財。2019年12月撮影。

 

1925年(大正14年)12月4日には伏見劇場が開館し、劇場としてだけではなく集会などにも用いられました。戦後の映画館名簿にも掲載されていますが、1959年(昭和34年)9月の伊勢湾台風で被害を受けたことで閉館しています。

(写真)伏見劇場の内部。『御嵩町史 通史編 下』御嵩町、1990年。

 

(追記)コメントで「伏見劇場は伊勢湾台風で倒壊したらしい」「東の道路から入口があった」との情報をいただきました。1949年(昭和24年)の空中写真を見てみると、伏見劇場らしき建物が映っていました。

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(写真)1949年の伏見市街地。地図・空中写真閲覧サービス

 

1.2 東濃シネマ劇場(1956年-1963年頃)

所在地 : 岐阜県可児郡御嵩町(1963年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 1963年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「東濃シネマ劇場」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「御嵩町営有料駐車場」。

名鉄御嵩駅のホーム西端の北側に東濃シネマ劇場がありました。跡地は御嵩町営有料駐車場ということですが、現在も利用者がいるのでしょうか。わずか数年で閉館したとのことで、現在の跡地の周囲に商店などはありません。

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(写真)御嵩町営有料駐車場。東濃シネマ劇場跡地。2019年12月撮影。

 

1.3 日之出映画劇場(1914年8月24日-1968年)

所在地 : 岐阜県可児郡御嵩町1536(1968年)
開館年 : 1914年8月24日
閉館年 : 1968年
1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「曙座」。1958年・1960年の映画館名簿では「曙座」と「日之出映画劇場」が重複して記載されている。1961年・1962年・1963年の映画館名簿では「日之出映画劇場」。1966年・1968年の映画館名簿では「御嵩日之出映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。1989年9月取り壊し。跡地は「中山道みたけ館」の南南東100mにあるアパート「リゾームハウスA・リゾームハウスB」。

 

明治時代後期には可児郡唯一の芝居小屋として曙座がありましたが、1914年(大正3年)には街道の南側に2代目の曙座が建てられました。廻り舞台、花道、せりなどを有する芝居小屋であり、歌舞伎の公演や活動写真の上映などが行われました。

(写真)大正時代の曙座周辺。『図録 御嵩町文化遺産御嵩町教育委員会、2003年。

(写真)曙座が描かれている『大日本職業別明細図 222号』東京交通社、1930年。岐阜県図書館所蔵。

(写真)曙座の図面。『御嵩町史 通史編 下』御嵩町、1990年。

 

戦後の御嵩町は亜炭の一大産地として栄え、1956年(昭和31年)には曙座が映画館化して日之出映画劇場となりました。同年にはやはり映画館の東濃シネマ劇場が開館し、数年間は2館の映画館が共存しています。

(写真)日之出映画劇場の前で撮られた記念写真。『御嵩町史 通史編 下』御嵩町、1990年。

 

亜炭景気の衰退、テレビブームによる映画産業の衰退などが理由で1968年(昭和43年)に閉館し、御嵩町から映画館がなくなっています。閉館後は御嵩シルバー株式会社の工場に転用され、1989年(平成元年)9月に建物が取り壊されました。跡地には2棟のアパートが建っています。

(写真)工場に転用されていた閉館後の建物。『図録 御嵩町文化遺産御嵩町教育委員会、2003年。

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(写真)リゾームハウスA・B。日之出映画劇場跡地。2019年12月撮影。

 

御嵩町の映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。

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