振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

駄知町を訪れる

(写真)山一製陶所の煉瓦煙突。

2019年(令和元年)12月、 岐阜県土岐市駄知町(だちちょう)を訪れました。

※本記事は2019年(令和元年)12月に投稿した「駄知町の映画館」を2024年(令和6年)2月に分割した記事です。

 

1. 駄知町を訪れる

1.1 駄知町の歴史

土岐郡駄知町は1909年(明治42年)から1955年(昭和30年)まで存在した自治体。1955年(昭和30年)には駄知町を含めた土岐郡の5町3村が合併し、いったんは土岐市役所が旧駄知町に置かれました。駄知地区には歴史的に窯元が多く、特にどんぶり生産が盛んだったようです。現在でも約90の窯元が残っており、もう使用されていないものの14の煉瓦煙突が点在しています。

窯業の不振によって1972年(昭和47年)には東濃鉄道駄知線が休止され、現在は公共交通機関でのアクセスが不便な地区となっています。一般的には土岐市街地から路線バスで訪れますが、今回は多治見市の多治見駅でレンタサイクルを借り、多治見市笠原地区経由で駄知地区を訪れました。多治見駅の標高は約95m、駄知地区の標高は約240mであり、往復約30kmです。

f:id:AyC:20191231090330p:plain

(地図)©OpenStreetMap contributors

f:id:AyC:20200101020632p:plain

(地図)JR多治見駅から土岐市駄知町までのルート。

f:id:AyC:20200101020638p:plain

(地図)JR多治見駅から土岐市駄知町までの地形断面図。

 

1.2 駄知町の建物

駄知町は盆地にあるため市街地がぎゅっと詰まっています。本町通りや栄町通りの周辺には、思わず足を止めてしまう建物が数多くありました。なお、駄知町に図書館等の施設はありません。

f:id:AyC:20191231080009j:plain

(写真)1932年竣工の駄知小売商業協同組合(旧駄知信用組合)。下見板張りの木造2階建て建築。

f:id:AyC:20191231080028j:plain

(写真)ガラス窓と木枠が美しい山丸商店向いの民家。

f:id:AyC:20191231080044j:plain

(右)千古乃岩酒造。土蔵造の建物の裏には店舗の和風建築がある。

f:id:AyC:20200101034434j:plainf:id:AyC:20200101034450j:plain

(左)戦前竣工の水色の下見板が美しい藤本内科医院。(右)駄知町の氏神である八王子神社
 

1.3 駄知町の煉瓦煙突

東濃地方の中でも歴史的に窯元が多かった駄知町には、すでにお役御免となった14本の古い煙突が残っているそうです。これらは昭和20年代から昭和40年代に建てられたもので、陶栄座や陶宝会館と同じくらいの歴史を歩んでいることになります。円柱もあれば角柱もあり、長さと太さのバランスも様々。隠れるように建っている煙突もあり、「窯風の里」マップを片手に煙突をめぐるのは楽しかったです。

f:id:AyC:20191231080127j:plain

(写真)山一製陶所。

f:id:AyC:20191231080058j:plain

(写真)塚本保夫邸。

f:id:AyC:20191231080108j:plainf:id:AyC:20191231080122j:plain

(左)快山製陶所。(右)山三製陶所。

f:id:AyC:20191231080133j:plainf:id:AyC:20191231080139j:plain

(左)三和アチハ。(中)すりばち館