振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

豊橋市民俗資料収蔵室 ふるためを訪れる

(写真)豊橋市民俗資料収蔵室 ふるため。

2023年(令和5年)11月25日(土)、愛知県豊橋市多米町にある豊橋市民俗資料収蔵室 ふるためを訪れました。愛知登文会などが主体となって毎年開催されているあいちのたてもの博覧会(あいたて博)の見学会です。同日午前にはやはりあいたて博の見学会でトヨテック本社社屋を訪れています。

 

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1. 旧豊橋市立多米小学校

1.1 多米小学校の歴史

多米地区は豊橋駅の東約6kmにある地区。北・東・南の三方を弓張山地に囲まれた場所にあり、国の天然記念物である葦毛湿原も学区内にあるなど、自然豊かな学区です。

1873年明治6年)に多米学校が開校し、1901年(明治34年)に現在の豊橋市民俗資料収蔵室がある場所に校地を移転。戦時中の1944年(昭和19年)には現在の豊橋市民俗資料収蔵室本棟である多米国民学校本校舎が完成、戦後の1954年(昭和29年)には現在の豊橋市民俗資料収蔵室西棟である多米小学校西校舎が完成しています。

児童数の増加を理由として、1976年(昭和51年)には朝倉川の南の現在地に校地を移転しました。したがって、場所としては1901年(明治34年)から1976年(昭和51年)まで75年間、本校舎の建物としては1944年(昭和19年)から1976年(昭和51年)まで32年間、学校として用いられたことになります。

(写真)旧豊橋市立多米小学校。1901年から1976年までの校地。

(写真)現在の豊橋市立多米小学校。1976年以後の校地。

(写真)豊橋市民俗資料収蔵室と現在の豊橋市立多米小学校。地理院地図

1.1 旧豊橋市立多米小学校の建物

豊橋市立多米小学校の背後にはすぐ山が迫っています。同様の立地にある廃校利活用施設としては北設楽郡東栄町東栄町体験交流館のき山学校(旧東栄町立東部小学校)がある。

(写真)旧豊橋市立多米小学校。本校舎。

(写真)旧豊橋市立多米小学校。本校舎。

(写真)旧豊橋市立多米小学校。(左)西校舎。(右)クスノキ

 

2. 豊橋市民俗資料収蔵室 ふるため

2.1 廊下

本校舎は戦時中の1944年(昭和19年)10月に竣工した建物です。戦時中で資材が乏しかった時代であり、同じく豊橋市の施設である豊橋市神田ふれあいセンター(旧設楽町立神田小学校)などと比べると、使用されている木材には差があるのが分かります。両学校とも柱と梁を斜めに結ぶ方杖が校舎内のアクセントになっています。

(写真)本校舎の廊下。

(写真)本校舎の廊下。

参考:豊橋市神田ふれあいセンター

(写真)豊橋市神田ふれあいセンター(旧設楽町立神田小学校)。2020年8月。

 

2.2 展示室(生活用具)

生活用具展示室には掛時計のコレクションがありました。説明が欲しい。ジュークボックスは2020年(令和2年)に閉店した喫茶店から寄贈されたものだそうです。

(写真)生活用具展示室。掛時計のコレクション。

(写真)生活用具展示室。ジュークボックス。

(写真)生活用具展示室。

(写真)生活用具展示室。昭和30年代の茶の間。

 

2.3 展示室(昔の教室)

(写真)昔の教室。

(写真)昔の教室。(右)愛知時計電機の柱時計。

 

2.4 展示室(製糸・養蚕用具)

(写真)製糸用具展示室。

(写真)養蚕用具展示室。

 

2.5 展示室(漁業用具)

(写真)漁業用具展示室。

 

3. 豊橋市小鷹野浄水場

11月25日(土)には東三河地方各地であいたて博の見学会が開催されており、豊橋市民俗資料収蔵室の西1.5kmにある豊橋市上水道施設(小鷹野浄水場、多米配水場)も会場となっていました。小鷹野浄水場旧ポンプ室、多米配水場旧配水池などが登録有形文化財に登録されています。

(写真)豊橋市小鷹野浄水場。旧ポンプ室。登録有形文化財

(写真)豊橋市小鷹野浄水場