(写真)焼津市立図書館・焼津市歴史民俗資料館。2017年8月。
焼津市歴史民俗資料館で開催されていた市制70周年記念企画展「ヤイヅ・シネマパラダイス 映画ポスターとまちの記憶」を鑑賞しました。「焼津市を訪れる」からの続きです。「焼津市の映画館」に続きます。
1. 焼津市立焼津図書館
1.1 図書館の館内
焼津の図書館の歴史は1916年(大正5年)まで、公立図書館としての歴史は1922年(大正11年)まで遡れるようです。1985年(昭和60年)には清美田公園に焼津市文化センターが開館し、建物東側の1階が焼津市立焼津図書館、建物東側の2階が焼津市歴史民俗資料館、建物西側が焼津文化会館となっています。巨大な建物の大部分は焼津文化会館のホールであり、利用者の多さと比べて図書館内は狭く感じられます。
(写真)2階から見た開架室。2017年8月。
(左)郷土資料コーナー。(右)児童書コーナー。いずれも2017年8月。
(左)テーマ展示「図鑑特集」。(右)英語・中国語・スペイン語・ポルトガル語の図書館利用案内。いずれも2017年8月。
焼津図書館の閉架書庫には1970年代以前の住宅地図が多数あり、焼津市にあった映画館の跡地はすべて特定させることができました。同規模の自治体でこの年代の住宅地図を所蔵している図書館は稀です。『焼津市明細図 1957』(全国都市明細図社、1957年)、「昭和通り名店街庇完成記念」という副題がある『漁都 焼津市明細図 1959』(関東明細地図編集社、1959年)などは貴重。"漁都" という表現は現在も使うのでしょうか。
(写真)焼津市立図書館が所蔵する1950年代・60年代の住宅地図。
自治体の刊行物には映画館に関する言及が比較的多い。焼津市歴史民俗資料館で映画/映画館に関する企画展を開催するのは今回が3度目のようであり、写真や文献の蓄積があります。
(写真)焼津市の映画館を紹介する文献。『やきつべ 明治・大正・昭和焼津の情景』焼津市、2001年。
2. 焼津市歴史民俗資料館
2.1 企画展「ヤイヅ・シネマパラダイス」
2021年(令和3年)5月29日から2022年(令和4年)1月30日まで、焼津市歴史民俗資料館で市制70周年記念企画展「ヤイヅ・シネマパラダイス 映画ポスターとまちの記憶」が開催されています。記念企画展で映画館が取り上げられるのはうれしい。
入口に展示されている絵看板は池谷光(いけがやひかる)氏の作品。池谷氏は1937年(昭和12年)に旧大井川町の芝居一座に生まれ、東京で看板絵師として活躍した後に帰郷して焼津でも看板絵師を続けた方だそうです。
焼津市在住のコレクターである白瀧行俊氏の遺族から寄贈された資料が多いとのこと。市内で5映画館を経営していた焼津興業株式会社の関山博司社長の遺族の所蔵物も多数展示されています。焼津座で実際に使用されていた映写機の一部も展示されていました。
注 : 企画展では「焼津興行」と表記されていましたが、映画館名簿では一貫して「焼津興業」であるため、本ブログでは映画館名簿の表記を採っています。
(写真)資料館の入口。池谷光氏による手描き絵看板。
焼津興業の関山社長は建物や館内の写真を多数撮っており、看板、受付、ホール、観客の写真などが展示されていました。個人蔵の写真ということで撮影禁止だったのが残念。
興味深かったのは「モニターをチェックする社長」の写真。焼津興業は狭い範囲で5館を経営していたため、拠点館である焼津座にテレビモニターを設置し、焼津座の館内にいながら各館の様子がわかるようになっていたようです。
「大人高校120円 中学子供100円」と書かれた自動券売機の写真も気になりました。入場料を考えると1950年代後半から1960年代前半の映画黄金期だと思われます。中央には両替窓口があるため、窓口の向こうには係員がいたと思われますが、わざわざ券売機を設置する必要があるほど観客が多かったのでしょう。
(左)企画展の看板。(右)手描き絵看板の説明。
基本的には撮影禁止の企画展ですが、以下の2枚の写真は企画担当者の方に撮影とSNS掲載の許可を得ました。焼津映画友の会ニュース、焼津座プレスシート、スチール写真郵送封筒、芝居小屋時代のチラシなど。1989年(平成元年)に焼津市最後の映画館である焼津座が閉館した後、市長が焼津興業の関山社長に要望したことで、焼津市文化センターで映画上映会が開催されていたそうです。自治体が映画館と良い関係を築いていたから受けられた寄贈物も多いと思われます。
(写真)展示された資料。芝居小屋時代のチラシ。※許可を得て撮影。
(写真)展示された資料。焼津映画友の会ニュース、スチール写真郵送封筒、プレスシート。※許可を得て撮影。