振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

水戸銀星映画劇場を訪れる

(写真)水戸銀星映画劇場。2021年12月。

2023年(令和5年)7月、茨城県水戸市袴塚町の映画館「水戸銀星映画劇場」を訪れました。1951年(昭和26年)に開館した水戸銀星映画劇場は茨城県唯一の成人映画館です。

 

1. 水戸市の映画館

1.1 投稿済のブログ記事

なお、2020年(令和2年)9月にはブログ記事「水戸市の映画館(1)」「水戸市の映画館(2)」「水戸市の映画館(3)」を作成しています。

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1.2 映画館名簿

1949年の映画館名簿

1951年(昭和26年)以前の映画館名簿を見ると、1947年版には水戸市袴塚町の映画館として水戸松竹座が、1949年版や1950年版には水戸ニューパール劇場が掲載されています。現在の水戸銀星映画劇場と同一地点にあったと思われますが、建物が同一かどうかは定かでありません。

 

1952年の映画館名簿

『全国映画館名簿 1955』によると水戸銀星映画劇場の開館は1951年(昭和26年)11月とのことです。各年版の映画館名簿には1952年版から一貫して、「銀星」が付く名前(銀星映画劇場/水戸銀星劇場/水戸銀星映画劇場)で掲載されています。

 

1963年の映画館名簿

映画黄金期の昭和30年代前半、水戸市には約12館の映画館がありました。内訳は上市(うわいち、現在の水戸市街地中心部)が約9館、下市(しもいち)が約3館であり、上市の中でも水戸銀星映画劇場は孤立していました。

 

1982年の映画館名簿

1982年(昭和57年)の水戸市には9施設10館がありました。この時代には複数館が入居するビル型の映画館がほとんどなかったことがわかります。この頃の水戸銀星劇場は成人映画だけでなく邦画も上映していたようであり、映画館名簿の上映系統表記が「邦・他」(邦画と成人映画を上映)から「他」(成人映画のみ上映)に変わるのは1996年(平成8年)版です。

京王電鉄の系列会社として新宿京王劇場を旗艦館とする京王映画株式会社がありましたが、1988年(昭和63年)には新宿京王劇場を閉館させ、1989年(平成元年)には水戸市の映画館も閉館させたことで、映画館経営から撤退しています。

 

2001年の映画館名簿

2001年(平成13年)の水戸市には6施設12館の映画館がありました。東映東京テアトルなどの大手興行会社、東日本映画などの地方の興行会社、三笠屋本店や倉内興業など地場の興行会社が共存しています。水戸銀星映画劇場のほかには水戸スカラ座も成人映画専門館だったようです。

 

2022年の映画館名簿

2005年(平成17年)には水戸市初のシネコンとしてTOHOシネマズ水戸内原が開館し、翌年にはシネプレックス水戸(現・ユナイテッド・シネマ水戸)も開館しました。これによって既存興行館の閉館が相次ぎ、2008年(平成20年)にはシネコン2施設と水戸銀星映画劇場のみという現在の体制で落ち着きました。

 

2. 水戸銀星映画劇場(1951年11月-営業中)

所在地 : 茨城県水戸市袴塚1-6-16(2020年)
開館年 : 1951年11月
閉館年 : 営業中
『全国映画館総覧 1955』によると1951年11月開館。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年の映画館名簿では「水戸松竹座」。1949年の映画館名簿では「ニューパール劇場」。1950年の映画館名簿では「水戸ニューパール劇場」。1951年・1952年・1953年・1955年の映画館名簿では「銀星映画劇場」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「水戸銀星映画劇場」。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年・1980年・1985年の映画館名簿では「水戸銀星劇場」。1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2020年の映画館名簿では「水戸銀星映画劇場」。最寄駅はJR常磐線赤塚駅

 

2.1 映画館の建物

『全国映画館総覧 1955』によると水戸銀星映画劇場は1951年(昭和26年)11月設立とされています。この文献における設立の定義は曖昧であり、「建物の竣工」と「営業開始」が混在しているように思われます。水戸銀星映画劇場が1951年(昭和26年)竣工なのか1951年(昭和26年)開館なのかは定かではありません。というのも、1951年(昭和26年)以前の映画館名簿にも袴塚町にあった映画館が掲載されており、同一地点にあったと考えるのが妥当と思われるからです。

水戸銀星映画劇場を正面から見ると鉄筋コンクリート造3階建ての建物に見えます。しかし、側面を見るとホール部分は三角屋根の和風建築であることがわかります。3階建て部分は事務所や倉庫などとして利用されているのでしょうか。竣工年が1951年(昭和26年)だと考えるのは妥当そうですが、改称または経営者の変更があったのが1951年(昭和26年)であるとする考え方もあります。

(写真)建物全景。2023年7月。

(写真)水戸銀星映画劇場周辺の航空写真。地理院地図

 

ファサード左右の2階と3階部分にはモザイク壁画(モザイクアート)があり、黄・青・赤・緑・白などのモザイクタイルで抽象的なデザインが描かれています。名古屋市では旧丸栄百貨店本館のモザイク壁画(1956年壁画完成、2018年解体)が有名であり、映画館としては静岡市の静活会館(静岡松竹劇場→静岡オリオン座、1957年壁画完成)などがありますが、水戸銀星映画劇場のモザイク壁画が設置されたのはこれより後の時代ではないかと思われます。

(写真)建物上部右側のモザイクタイルアート。2021年12月。

(写真)建物上部左側のモザイクタイルアートと看板。(左)昼間。2021年12月。(右)照明が付いている夜間。2023年7月。

 

水戸銀星映画劇場の入口はやや複雑な構造。扉を開けて出入りする観客の姿や、上映作品のポスターや上映時間表を確認する観客の姿が見えにくくされています。水戸銀星映画劇場は交通量の多い茨城県道171号石川袴塚線に面しているし、はす向かいには水戸袴塚郵便局があるという立地のためなのでしょう。

出入りする観客への配慮がなされている一方で、女性の裸を含む作品ポスターは道路ぎりぎりの場所には貼られています。これまでに全国各地の成人映画館を訪れましたが、繁華街でない場所にある成人映画館としては、一般市民への配慮がなされていない印象を抱きました。

(写真)初日(※火曜)の建物入口。2021年12月。

(写真)オールナイト上映時(土曜)の建物入口。2023年7月。

 

全国の成人映画館に関する過去の新聞記事を漁っていると、「卑猥なポスターを掲げる映画館に対してPTAが抗議した」などという記事を見つけることができます。水戸銀星映画劇場においてショーウィンドウでのポスターの掲示が地域から許されているのは、軋轢を生まないように地域とうまく関わってきたからなのだと思います。なお、成人映画館は風俗営業法の規制範囲内ではありませんが、水戸銀星映画劇場の半径100m以内に小中学校はありません。

(写真)建物入口。2023年7月。

(写真)建物入口。2023年7月。

 

夜間には館名の看板に照明が灯されますが、2階・3階部分が暗いため不気味であり、繁華街から外れた場所にあることを実感させられます。

(写真)夜間の建物。オールナイト営業日の20時頃。2023年7月。

(写真)夜間のショーウィンドウ。2023年7月。

(写真)夜間の建物入口。2023年7月。

 

2.2 映画館の館内

水戸銀星映画劇場の館内に入ります。道路からは死角となっている扉を開け、狭いロビーで1500円の入場券を購入します。ロビーには2台の自動販売機がありますが、ゆったりしたスペースはなく、ロビーでたむろっているのはためらわれる雰囲気です。

ホール内はかつて500席もあったというほど広く、座席に余裕を持たせた現在も300席を有しています。前部(約1/3)と後部(約2/3)、左側と中央部と右側が通路で区切られており、座席は計6のブロックに分けることができます。左側と中央部と右側はそれぞれ7席、前部は4列で後部は12列です。後部右側の7席6列分は座席が撤去されていました。ホールの後部の部分には緩やかな傾斜が付けられています。

私が訪れたのは土曜日夜の18時頃から20時頃でした。館内にいたのは30人~40人程度であり、少なくとも3人の女装子がいました。毎週土曜日はオールナイト上映が行われており、他の曜日よりも観客が多いようです。成人映画館は一般映画館よりも館内が明るめであることが多いのですが、他の成人映画館よりも照明が暗めかもしれません。

 

港町キネマ通り「水戸銀星映画劇場」などでホール内の写真を見ることができます。

www.cinema-st.com

 

 

水戸市の映画館について調べたことは「水戸市の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(茨城県版)」にマッピングしています。

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