振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「ウィキペディアタウン稲沢」に参加する

(写真)中高記念館。2024年6月。

2024年(令和6年)7月7日(日)、愛知県稲沢市稲沢市立中央図書館で開催された「ウィキペディアタウン稲沢」に参加しました。

 

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1. イベント概要

1.1 主催者・参加者

主催は稲沢市役所商工観光課であり、会場は稲沢市立中央図書館研修室です。講師は福井県立大学地域経済研究所の青木和人さんであり、主催者が初めて参加したウィキペディアタウンで青木さんが講師を務めていたことがきっかけです。

私は一般参加者として参加しています。参加者は16人であり、稲沢市在住者に加えて、あま市愛西市一宮市名古屋市刈谷市京都府などから参加していたようです。参加者の属性としては、市役所や県庁の職員、市の観光協会の職員、市や県の公共図書館司書、大学図書館司書、学校図書館司書などがいたようです。

 

1.2 スケジュール

10:00~10:30 ウィキペディアタウンの説明(青木和人さん)

10:30~12:00 まちあるき

12:00~13:00 昼休憩

13:00~13:20 Wikipedia編集方法の説明(青木和人さん)

13:20~15:45 3グループに分かれてWikipedia編集

16:00~16:30 成果発表・まとめ

 

午前中は稲沢市立中央図書館の研修室で、講師の青木和人さんからウィキペディアタウンについての説明を聞き、そのあと稲沢市街地の街歩きを行いました。その後は各自で昼食を取って図書館に戻り、青木和人さんからWikipedia編集についての説明を聞いた後、3グループに分かれてWikipedia編集を行いました。

(写真)会場となった稲沢市立中央図書館の研修室。

 

2. まちあるき

まちあるきにおける目的地は中高記念館、尾張国衙址、赤染衛門歌碑公園、尾張学校院址の4か所です。中高記念館は1880年明治13年)竣工の近代建築ですが、その他の3か所は平安時代歌人である赤染衛門と、その夫の大江匡衡に関連する史跡です。

(写真)国府宮神社の一の鳥居をくぐる参加者。

 

2.1 中高記念館

中高記念館は稲沢市最古の近代洋風建築であり、中高とは中島郡高等小学校を意味します。この建物のことは前から気になっており、Wikipedia記事の下書きを作成したまま投稿せずにいた原稿がありました。建物に言及している文献は一通りまとめてあるのですが、面白味の要素が足りないと思って投稿できずにいました。

中高記念館が内部を公開するのは1年に1回程度であり、近代建築ファンでもなかなか入る機会がない建物です。今回は稲沢市教育委員会の方が建物の鍵を開けてくださり、建物内を見学することができました。

(写真)中高記念館の建物。2024年6月。

 

中高記念館は1880年明治13年)竣工の建物ですが、1887年(明治20年)に中島郡高等小学校となるまでの7年間はどのような用途だったのか明らかになっていません。

また、この建物はまず禅源寺近くに建てられた後、1912年(明治45年)、1940年(昭和15年)、1960年(昭和35年)の3度も移築されて現在地に落ち着いた経緯があります。144年を経る過程で、高等小学校、稲沢町役場、稲沢町農会や宮田用水の事務所、愛知県中島地方駐在員室、稲沢市教育委員会事務所、福田悪水土地改良区や稲沢市役所北出張所の事務所と、様々な用途に用いられていますが、雑な使われ方に見えるのに取り壊されることなく現存している点が興味深いです。

ウェブ上にはこの複雑な沿革をまとめているページが存在せず、紙媒体の『中高記念館修理工事報告書』や『新修稲沢市史 研究編 1 建造物』の説明もわかりやすいとは言えません。その点で、今回のイベントでWikipedia上に中高記念館の記事を作成することには大きな意義があったと考えます。

(写真)教室を再現している中高記念館の2階。

 

まちあるきで説明を担当してくださったのは稲沢市ふるさとガイドの佐藤さんです。中高記念館の敷地内には五箇条の御誓文が刻まれた五角形の石柱があります。

上部には「廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ」などと刻まれているため、歴史好きの方であればこの石柱が五箇条の御誓文であることは説明されなくともわかるわけですが、私が個人的に石柱を見ていた際には五箇条の御誓文であることに気づけず、またウェブ上でも文献でも、この石柱が五箇条の御誓文であるとする言及は見たことがありません。

(写真)中高記念館の石碑の説明を聞く参加者。

 

2.2 赤染衛門大江匡衡に関連する史跡

かつてこの地域には尾張国国府が置かれ、正暦3年(992年)以後には計3度、国司として大江匡衡やその妻赤染衛門が赴任しました。まちあるきの後半には大江匡衡に関連する尾張国衙址と尾張学校院址、赤染衛門に関連する赤染衛門歌碑公園を訪れました。

いずれも平安時代の人物であり、両者が生きていた時代の建物などが残っているわけではありません。ウィキペディアタウンのまちあるきを行う意義は大きくないように思えましたが、至近距離に関連するスポットがあることを確認できた点はよかったです。

 

赤染衛門歌碑公園は住宅地の一角にある小規模な広場であり、複数の石碑があるだけの地味なスポットにも思えます。

しかし、かつてこの場所には衣掛松がありました。赤染衛門はこの松(の前身の松)に衣を掛けたという伝承があり、石碑よりもずっと平安時代を感じさせてくれるスポットだったようです。郷土資料には戦前の衣掛松の写真が掲載されており、遠くからでも目印になりそうな高い松が農地の中にそびえていた様子がわかります。

(写真)1916年の衣掛松。『写真アルバム 稲沢・清須の昭和』樹林舎、2014年。

(写真)1959年の衣掛松周辺。地図・空中写真閲覧サービス

 

佐藤さんの説明によると、赤染衛門歌碑公園の最奥部にある円形の花壇の場所に衣掛松がそびえていたとのこと。1989年(平成元年)に赤染衛門歌碑公園が整備された時にはもう周辺の宅地化が進んでいたため、後継の松は植えられずに現在に至っているようです。上記の衣掛松の写真などが掲示されているとよいと思いました。

(写真)赤染衛門歌碑公園にある衣掛松の跡地。

(写真)まちあるきコース。Googleマップ

 

3. 編集ワークショップ

主催者や講師が事前に題材を検討した結果、「中高記念館」(新規作成)、「赤染衛門歌碑公園」(新規作成)、「尾張国」(加筆)の3グループに分かれてWikipediaの編集を行うことになり、私は中高記念館グループでファシリテーター役を務めました。

とはいえ、各グループに入ったウィキペディアン3人の間では、「Wikipedia:独立記事作成の目安 - Wikipediaの観点から、赤染衛門歌碑公園の新規作成は難しいのでは」という点で意見が一致しており、「赤染衛門歌碑公園」グループは公園記事の新規作成ではなく「赤染衛門」の加筆を行っています。また、「尾張国」グループは尾張国の加筆よりも「大江匡衡」の加筆を中心とする編集を行っています。

(写真)講師の青木和人さんによるWikipedia編集の説明。

 

3.1 使用した文献

文献を準備してくださったのは会場でもある稲沢市立中央図書館です。『新修 稲沢市史』や『尾張国府跡発掘調査報告書』などの硬派な文献を中心としながらも、ティーンズ向けの『いまひとたびの 百人一首姫物語』も集めてくれるなど、未知のイベントのレファレンス提供に苦心した印象があります。

(写真)事前に準備された文献。

(写真)事前に準備された文献。

 

理解するのが難しい文献ばかり準備されていることも想定し、個人的に中日新聞データベースと朝日新聞クロスサーチで題材に関する新聞記事を印刷してイベントに持ち込みました。

このような新聞記事はその題材について簡潔にわかりやすくまとめられているし、現代における題材の影響を把握するのにも役に立ちます。例えば、書籍に書かれている中高記念館は「過去に小学校として使われていた建物」でしかありませんが、新聞記事を読むと「現在も展示会などで使用されている建物」であることがわかります。

告知段階で編集する題材が示されないウィキペディアタウンの場合、あまり興味を持てない題材を編集することになる参加者が発生しがちで、硬派な文献ばかりだと文献の要約練習会になってしまう場合もあります。今回はそのようなことにはならなかったようですが、ウィキペディアタウンで歴史的な題材を編集する場合、新聞記事などの軽めの文献を準備しておくと役に立つことが多いです。

(写真)「あいち遺産 中高記念館(稲沢市)市内最古の洋風建築」『中日新聞中日新聞社、2013年11月30日。

 

イベント中に国立国会図書館デジタルコレクションで文献を閲覧して出典を追加したグループもあったようです。公園記事としての赤染衛門歌碑公園を編集する場合は郷土資料が出典の軸になりますが、人物記事としての赤染衛門を編集する場合はデジタルコレクションを使えると一気に出典の幅が広がります。

文献を準備した稲沢市立中央図書館の方が編集記事を読んでくださるかどうかはわかりませんが、運営側が事前に準備したわけではない文献が多数使われた面白いイベントになりました。

(写真)「赤染衛門馬津の駅舎に宿る図」。赤染衛門尾張国の津島に降り立った場面を描いている。『尾張名所図会 前編』国立国会図書館デジタルコレクション

 

3.2 編集記事

中高記念館グループ

運営側の想定→中高記念館の新規作成

実際の編集 →中高記念館 - Wikipediaの新規作成

 

赤染衛門歌碑公園グループ

運営側の想定→赤染衛門歌碑公園の新規作成

実際の編集 →赤染衛門 - Wikipediaの加筆

 

尾張国グループ

運営側の想定→尾張国 - Wikipediaの加筆

実際の編集 →大江匡衡 - Wikipediaの加筆、尾張国 - Wikipediaの加筆

 

稲沢市による開催報告ページ

(写真)編集中の参加者。

(写真)新規作成されたWikipedia「中高記念館」。