振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

上矢作町小田子の映画館

(写真)ラッキー映画館。

2024年(令和6年)7月、岐阜県恵那市上矢作町小田子(こだこ)を訪れました。

かつて小田子には「ラッキー映画館」がありました。「上矢作町下の映画館」「上矢作町の映画館」に続きます。

 

ayc.hatenablog.com

ayc.hatenablog.com

1. 上矢作町小田子を訪れる

1.1 小田子の立地

小田子は岐阜県と愛知県の県境にある集落です。根羽川と上村川は小田子で合流し、小田子より下流では矢作川と名を変えて愛知県に流れていきます。

根羽川に架かる国界橋が両県の県境となっており、橋のすぐ北側には岐阜県恵那市上矢作町の小田子集落、橋のすぐ南側には愛知県豊田市の押山集落があります。根羽川と上村川の合流点が静岡県田子の浦に似ていることが地名の由来とのことです。

(写真)根羽川に架かる国界橋。奥が岐阜県で手前が愛知県。

(写真)国界橋から見た矢作川

 

1.2 小田子の町並み

郵便局通り

小田子は「ト」字のような2本の通りを中心として集落が形成されており、東西の通り(岐阜県道20号、奥矢作さくら街道)を便宜的に郵便局通りと呼びます。郵便局通りは自動車の往来がある唯一の通りであり、下原田郵便局は営業を続けている唯一の商業施設です。

(写真)郵便局通り。

 

郵便局通りと裏通りの辻の南西には、たばこ屋ショーケースを持つ立派な和風建築があります。「昭和初年頃 小田子大平下地区見取図」を見ると丸大百貨店の建物だったようです。

(写真)旧丸大百貨店。

(写真)旧丸大百貨店と郵便局通り。

 

本通り

郵便局通りと直角に交差する南北の通りを便宜的に本通りと呼びます。本通りの南側はかつて小田子で最も栄えていた通りであり、現在も医院だった建物や旅館だった建物が現存しています。

(写真)本通りの南側。左は旧山田医院。

 

1920年大正9年)には小田子と下(しも)の両集落の中間に下村発電所が建設されました。それまでのこの地域の中心は下だったようですが、下村発電所の建設を機に小田子が発展して下原田村の中心となり、複数の旅館などが営業するようになったようです。

1956年(昭和31年)には下原田村と上村が合併して上矢作町が発足し、上矢作町役場は旧上村に置かれます。行政の中心地から外れた小田子は相対的に衰退し、旧医院、旧旅館、旧映画館などの建物が取り壊されることなく残ったようです。

(写真)本通りの南側。

(写真)本通りの北側。

 

小田子集落の南側入口近くには、奇妙な外観の蔵を持つ間口の広い建物があります。高さのある1階部分は下見板張、2階部分は漆喰塗であり、屋根の形状は蔵に多い切妻ではなく寄棟なのが独特の印象をもたらしています。

(写真)旧山田医院。

(写真)旧山田医院。

 

「昭和初年頃 小田子大平下地区見取図」にはこの場所に山田医院が描かれており、玄関の上には「健康保険医」「国民健康保険療養取扱機関」「保険医療機関」の琺瑯看板が掲示されていることから、この建物は旧山田医院で間違いないようです。

(写真)旧山田医院。

 

旧山田医院の3軒北には1階・2階ともに大きな窓を持つ建物があります。建物と通りの間の空間に小規模な庭園が整備されており、玄関部分の屋根は青緑色、1階の屋根は赤色であるのも見栄えが良いです。

「昭和初年頃 小田子大平下地区見取図」にはこの場所に花菱料理旅館が描かれています。絵図が描かれた際には先代の建物だった可能性はありますが、現存する建物も旅館だったと考えてよさそうです。

(写真)旧花菱旅館。

 

裏通り

本通りの南半分に並行して裏通りが通っています。軽自動車でないと通るのが困難な道路ですが、映画館として建てられて福祉センターに転用されている建物があります。

(写真)裏通りとラッキー映画館。

(写真)小田子集落の絵図「昭和初年頃 小田子大平下地区見取図」。左が北。『上矢作町史 民俗編』恵那市教育委員会、2008年。

 

2. 上矢作町小田子の映画館

2.1 ラッキー映画館(1960年頃-1962年)

各年版の映画館名簿には小田子を所在地とする映画館は掲載されておらず、上矢作町にあった映画館は本郷の上村劇場と下の熊野会館のみです。

しかし、『上矢作町史 民俗編』(恵那市教育委員会、2008年)には本郷や下に加えて小田子にも映画館があったと書かれており、1960年(昭和35年)頃にラッキーという名前で建てられたとあります。1962年(昭和37年)にはもう公民館に転用されたとのことですが、昭和30年代後半の急速な映画人気の低迷を考えると驚くことではありません。

(写真)ラッキー映画館に言及している『上矢作町史 民俗編』。

 

Googleストリートビューで小田子集落を見ていたところ、裏通り沿いに気になる建物がありました。壁面はほぼ完全にトタンで覆われていることで竣工時期が分からないのですが、ファサードの2階部分には横長の窓があり、西側に平屋の附属屋が付いている点が昭和30年代に建てられた映画館のようにも見えました。

本通り沿いに住む女性(80代?)にこの建物について聞いたところ、「この建物はラッキー映画館だった。今は福祉センターという集会所になっている」とのことでした。

この建物が映画館ではないかという推測は正しかったことになります。戦後の建物なので文化財的価値があるわけではありませんが、映画黄金期から残る貴重な映画館建築であり、内部を見てみたいと思いました。

(写真)ラッキー映画館の建物。

 

小田子のラッキー映画館のように、映画館名簿に掲載されていないけれども、文献で映画館として扱われていたり地元で映画館と認識されている建物は稀に存在します。ラッキー映画館の場合は不定期営業だった(≒毎日営業ではなかった)のではないかと推測しています。

(写真)ラッキー映画館の建物。

 

上矢作町小田子の映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com