(写真)上市劇場の廃墟(左)と吉野大劇の跡地(右奥)。
2021年(令和3年)11月、奈良県吉野郡吉野町を訪れました。かつて吉野町には映画館「吉野大劇」と「上市劇場」がありました。上市劇場は映画館時代の建物が現存しており、また吉野大劇跡地にある建物も映画館だった建物のようです。
1. 吉野町を訪れる
近鉄の大阪阿部野橋駅から吉野特急で吉野神宮駅へ。吉野市街地は吉野川を挟んで北側と南側に分かれており、北側が上市(かみいち)、南側が飯貝(いいがい)です。上市の一部は吉野川の南側にもありますが、この部分は吉野川が蛇行して形成された中洲の名残だそうです。
(写真)吉野川。左側(北岸)が上市、右側(南岸)が飯貝。
1.1 上市(かみいち)
上市は吉野川と平行する伊勢街道に沿って市街地が伸びる町。吉野町役場や吉野町中央公民館を中心として、東側の北岡本店(「やたがらす」)、西側の北村酒造(「猩々」)という両酒蔵が存在感を発揮しています。北岡家は北岡寿逸(経済学者)や北岡伸一(政治学者)を、北村家は北村宗四郎(貴族院議員)を輩出しており、いずれもこの地域では名門の家系だそう。
(写真)小川酒醤油店。※正確な所在地は吉野町上市ではなく吉野町立野
(左)たばこの自動販売機。(右)「やたがらす」の北岡本店。
(写真)近鉄吉野線大和上市駅前。上市劇場の廃墟と吉野大劇の跡地。
1.2 飯貝(いいがい)
吉野川の南岸にある飯貝の街道筋には、上市より古い民家が集まっていました。多数の登録有形文化財がある浄土真宗の本善寺もありますが、明応5年(1496年)に創建されたは本善寺は飯貝・上市では最も有力な寺院のようで、中世から近世初期には飯貝がこの地域の中心だったようです。
(写真)飯貝の街並み。
(左)和菓子屋 松屋本店にある尾上醤油醸造場の看板。(右)飯貝の街並み。
2. 吉野町の映画館
吉野町の映画館が掲載されている時代の住宅地図はなく、郷土資料にも吉野町の映画館はほとんど登場しません。
大和上市駅前にある大七沢井酒店で映画館の話を聞くと、「潮田病院の西にある大きな2棟の建物のうち、東側にある自動車修理工場の建物が上市劇場であり、西側の建物が吉野大劇の跡地である。閉館後には両方ともパチンコ店になった。上市劇場の建物は昔のままであり、映画館だった頃と同じである。吉野大劇は昔の建物が火事で焼けた後に現在の建物を建てている」とのことでした。
上市劇場の建物がそのまま残っていることはわかりましたが、吉野大劇については建て替えてからも映画館として営業していたのか、パチンコ店になってから建て替えたのか判然としませんでした。
1960年の映画館名簿
(写真)『映画便覧 1960』時事通信社、1960年。
1974年の映画館名簿
1972年の『吉野町史 下巻』
1972年(昭和47年)に刊行された『吉野町史』には「上市町商店街景観図」が掲載されています。館名は記されていないものの、上市橋より西側の大和上市駅前には「劇場・パチンコ」が2軒並んでいます。
(地図)「上市町商店街景観図」『吉野町史 下巻』吉野町、1972年。
(写真)現在の航空写真における吉野大劇の跡地と上市劇場の廃墟。Googleマップ
2.1 上市劇場(1950年6月-1974年頃)
所在地 : 奈良県吉野郡吉野町上市(1974年)
開館年 : 1950年6月、1956年7月22日(建て替え)
閉館年 : 1974年頃
『全国映画館総覧 1954』によると1950年6月開館。『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1943年の映画館名簿には掲載されていない。1947年・1949年・1950年・1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「上市劇場」。1966年・1969年・1973年・1974年の映画館名簿では「吉野上市劇場」。1975年・1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「潮田病院」西南西30mにある自動車整備工場「テラレーシング」。映画館の建物が現存。
吉野町上市に2館あった映画館のうち、先に開館したのが上市劇場です。映画館名簿では上市劇場の構造が鉄筋コンクリート造となっている年がありますが、外観は木造に見えます。座席数は250席であり、吉野大劇よりもやや小規模な映画館だったようです。上市劇場は松竹や日活の作品を上映していたようです。
(写真)上市劇場の開館を伝える「興行街」『キネマ旬報』1956年10月15日、158号。
(写真)「ふるさと吉野 懐古写真集」吉野町文化協会 ※一番右の写真については著作権が切れていない可能性があります。
閉館後には吉野大劇と同じくパチンコ店として使用され、正面にはうっすらとPachinkoの文字が見えます。映画館時代の建物が現存しており、現在は自動車整備工場として使用されています。
(写真)自動車修理工場として使われている上市劇場の廃墟。
(写真)自動車修理工場として使われている上市劇場の廃墟。裏側(国道169号側)。
2.2 吉野大劇(1956年頃-1979年)
所在地 : 奈良県吉野郡吉野町上市(1976年)
開館年 : 1956年頃
閉館年 : 1979年
1955年・1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1975年・1976年の映画館名簿では「吉野大劇」。1977年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「潮田病院」西南西50mにある建物。
吉野町上市に2館あった映画館のうち、遅くまで営業していたのが吉野大劇です。1960年(昭和35年)の映画館名簿における定員は450ですが、1960年代中頃以降の映画館名簿では定員295/295席となっており、もしかしたらこの頃に建て替えたのかもしれません。上市劇場は松竹や日活、吉野大劇は東映や東宝や大映の作品を上映していたようです。
1979年(昭和54年)の閉館後には吉野会館というパチンコ店に転換しています。吉野大劇や吉野会館の経営者は樫正春氏であり、樫氏は1981年(昭和56年)から業界団体である奈良県遊技業協同組合の理事長などを務めているほか、部落解放同盟の活動にも参画していたようです。建物の左側(西側)は喫茶店のスペースになっていますが、もう営業していないようです。
(写真)吉野大劇の跡地。
2003年(平成15年)には吉野町商工会青年部と上市まちづくりの会の共催で「レトロタウン上市」というイベントが開催されており、その一企画として吉野大劇跡地で「シネマ百科展」という展示会が開催されたようです。吉野大劇の跡地にある建物は映画館としても使用されていたと読み取れます。
(写真)2003年に開催された「レトロタウン上市 シネマ百科展」。※著作権は切れていません。
(写真)1960年代の上市劇場(左)と吉野大劇。「レトロタウン上市 シネマ百科展プレイベント」。※著作権が切れていない可能性があります。
(左・右)吉野大劇の跡地。
(写真)吉野大劇の跡地。裏側(国道169号側)。
(写真)吉野大劇の跡地。表側と裏側(国道169号側)で数mの高低差があることがわかる。
吉野町の映画館について調べたことは「奈良県の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(奈良県版)」にマッピングしています。