振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

山岡町の映画館

(写真)建物が現存する鶴岡座。

2024年(令和6年)7月、岐阜県恵那市山岡町(旧・恵那郡山岡町)を訪れました。かつて山岡町には劇場・映画館「鶴岡座」があり、建物は倉庫として現存しています。

 

1. 山岡町を訪れる

1.1 特産品の細寒天

山岡町は内陸部の盆地にあるため、冬季には気温が氷点下となるうえに昼夜の寒暖の差が激しく、この気候を利用した寒天の生産が盛んです。

寒天全体では長野県が全国の半分近くのシェアを占めており、「かんてんパパ」で知られる伊那市伊那食品工業などの有名なメーカーがありますが、和菓子に用いられる細寒天では山岡町が全国の8割のシェアを占めているそう。

(写真)寒天を干すための露天の棚。

 

1.2 山岡コミュニティセンター図書室

2004年(平成16年)には旧・恵那市恵那郡山岡町、岩村町、明智町、串原村、上矢作町の1市4町1村が合併して新・恵那市が発足しました。山岡町公民館が山岡コミュニティセンターに改称して恵那市に引き継がれています。

山岡コミュニティセンター図書室の蔵書数は約5,500冊とのことで、合併時点の人口約5,000人を考えるとやや物足りない冊数の図書室ですが、その代わり館内はゆったりしています。恵南の5町村全てに言えることですが、郷土資料は充実していません。

(写真)山岡コミュニティセンター図書室。

(写真)山岡コミュニティセンター図書室。

(写真)山岡コミュニティセンター図書室。

 

2. 山岡町の映画館

2.1 鶴岡座(1916年12月-1963年頃)

所在地 : 岐阜県恵那郡鶴岡村(1952年・1953年・1955年)、岐阜県恵那郡山岡町鶴岡(1958年・1960年・1963年)
開館年 : 1916年12月
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧1955』には開館年が記載されていない。1951年の映画館名簿には掲載されていない。1952年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「鶴岡座」。1960年の映画館名簿では「山岡座」。1963年の映画館名簿では「鶴岡座」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は岐阜県道33号下手向交差点北東170mに現存。

岐阜県東濃地方は農村歌舞伎が盛んな土地であり、多くの神社境内などに舞台(客席が野天となっている芝居小屋)が見られます。山岡町にも複数の農村歌舞伎舞台が作られますが、1916年(大正5年)暮れにはより本格的な芝居小屋として、桜井福太郎によって鶴岡座が建てられました。竣工当初はまだ山岡町に電気が通じていなかったようです。

やがて映画の上映が主となり、戦時中には軍需工場に転用されました。戦後の1955年(昭和30年)に合併で山岡町が発足すると、1956年(昭和31年)には株式会社山岡劇場として再出発しています。

(写真)鶴岡座に言及している『山岡町史 通史編』山岡町、1984年。

(写真)鶴岡座に言及している『山岡町史 通史編』山岡町、1984年。

 

1920年大正9年)の『岐阜県恵那郡勢要覧 大正8年調査』には恵那郡にあった会社の一覧が掲載されており、鶴岡村には1916年(大正5年)12月設立の鶴岡劇場株式会社が掲載されています。設立年が上記の『山岡町史 通史編』と一致していることから、鶴岡劇場株式会社と鶴岡座は同一施設であることが分かります。

(写真)鶴岡劇場株式会社が掲載された『岐阜県恵那郡勢要覧 大正8年調査』恵那郡1920年

 

時事通信社が刊行した各年版の「映画館名簿」(『全国映画館総覧』/『映画便覧』)を見ると、山岡町の映画館として鶴岡座が掲載されています。経営者は桜井としの、支配人は桜井芳男です。戦後の鶴岡座は株式組織だったはずですが、経営者/支配人は創立者である桜井福太郎の子孫でしょうか。

(写真)鶴岡座が掲載された『全国映画館総覧 1955』時事通信社、1955年。

 

なお、全国映画館新聞社が刊行した1960年(昭和35年)版の『全国映画館名簿』を見ると、山岡町の映画館として山岡劇場と鶴岡座の2館が掲載されていますが、両者は同一の施設だと思われます(重複掲載)。この時代の「映画館名簿」では稀に重複して掲載されてしまった館があります。

(写真)山岡劇場と鶴岡座が重複して掲載された『全国映画館名簿』全国映画館新聞社、1960年。

 

1964年(昭和39年)の東濃版住宅案内図や1967年(昭和42年)のゼンリン住宅地図にはまだ劇場が描かれていますが、書かれている名称は山岡劇場です。この時代の映画館は現代と比べると他地域からの集客を意識する必要がなく、単に「映画館」「劇場」「(地域名)劇場」と呼ばれるなど、名称へのこだわりがないことが多いように思われます。

以下の住宅地図では岐阜県道33号(通称:中馬かんてん街道)の南側に寒天工場が多数描かれていますが、現在も中馬かんてん街道の南側には丸三寒天、丸文寒天産業、マル京寒天製造所などの寒天メーカーが集まっています。

(写真)山岡劇場が描かれた1967年のゼンリン住宅地図

 

山岡町下手向(しもとうげ)は山岡町における中心地区のひとつですが、下手向の中でも鶴岡座がある芦原(あしはら)集落は小規模な集落にすぎないのに、かつて芝居小屋の鶴岡座と朝日屋旅館がありました。

朝日屋旅館の建物は2018年(平成30年)4月以後2021年(令和3年)11月以前に取り壊されてしまったようですが、鶴岡座の建物は竣工から100年以上経た2024年(令和6年)現在も現存します。

(写真)鶴岡座の建物。

(写真)鶴岡座の建物。

(写真)鶴岡座の建物。

(写真)鶴岡座の建物。

 

下手向の芦原集落に住む女性に鶴岡座について聞いてみると、

子どもの頃に入ったことがある。建物は倉庫になっているが、もうぼろぼろでつぶれそうだ。舞踊団が来たこともある。少し前までは通り沿いに旅館もあり、劇場と旅館の経営者は同じだった

とのことです。北側の屋根の一部には穴が開いており、朝日屋旅館のように取り壊される日も近いかもしれません。

(写真)2018年4月の航空写真における鶴岡座の建物とその周辺。地図・空中写真閲覧サービス

(写真)下手向芦原集落。

(写真)2012年の朝日屋旅館。Google ストリートビュー

 

山岡町の映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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