振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

名張市の映画館

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(写真)上本町サンロード商店街。

2020年(令和2年)と2021年(令和3年)11月、三重県名張市を訪れました。かつて名張市には「名張大映劇場」「名張東映劇場」「名張松竹」の3館の映画館がありました。

 

1. 名張市を訪れる

1.1 上本町-中町-榊町

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(左)上本町サンロード商店街にある常盤湯。2008年廃業。(右)上本町サンロード商店街の街路灯。

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(左)上本町にある保田家住宅。1876年頃築。(右)柳原町にある貝増家住宅。明治時代築。いずれも登録有形文化財

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(写真)中町にある古書からすうり。

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(写真)榊町にある喫茶ママン。

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(写真)榊町にある小川家住宅。江戸時代築。登録有形文化財

 

1.2 本町

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(写真)本町にある料亭旅館の旧喜多藤。1923年築。登録有形文化財

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(左・右)本町にある料亭旅館の旧喜多藤。1923年築。登録有形文化財

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(写真)本町にある岡村家住宅。江戸時代築。登録有形文化財

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(写真)本町にある和菓子屋の大和屋。江戸時代築。登録有形文化財

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(写真)本町にある和菓子屋の大和屋。江戸時代築。登録有形文化財

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(左)本町にある山中家住宅。江戸時代築。登録有形文化財。(右)本町にある木屋正酒造。1818年創業。1889年築。登録有形文化財

 

1.3 元町-新町

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(左・右)元町にある中井家住宅。耳鼻咽喉科医院として建築された洋館。1932年築。登録有形文化財

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(左・右)新町にある川地写真館。1921年築。登録有形文化財

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(写真)新町にある名張市旧細川亭やなせ宿(細川家住宅)。明治時代築。登録有形文化財

 

 

2. 名張市の映画館

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(写真)名張町の鶯座が掲載されている『日本映画事業総覧(昭和5年版)』 国際映画通信社、1930年。

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(写真)名張市に3館が掲載されている『映画便覧 1960』時事通信社、1960年。

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(写真)1963年の航空写真における映画館。地図・空中写真閲覧サービス

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(写真)現在の航空写真における映画館跡地。地理院地図

 

2.1 名張松竹(1952年-1962年)

所在地 : 三重県名張市栄町(1962年)
開館年 : 1952年
閉館年 : 1962年
『全国映画館総覧1955』によると1951年10月開館。1952年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「銀映座」。1955年の映画館名簿では「名張銀映座」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1962年の映画館名簿では「名張松竹」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

名張市に3館あった映画館のうち、名張松竹のみは跡地がはっきりしません。各年版の映画館名簿や文献によると栄町にあり、名張駅に近かったようです。1962年の映画館名簿によると、経営者は大西栄一。建物は木造1階、定員236であり、松竹・洋画を上映していました。名張市に3館あった時代は、名張松竹が松竹と洋画、名張東映劇場が東映東宝と日活、名張大映劇場が大映を上映してすみわけが行われていました。

 

2.2 名張東映劇場(1930年以前-1966年7月)

所在地 : 三重県名張市元町391(1966年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1966年7月
『全国映画館総覧1955』によると1953年3月開館。1930年・1936年の映画館名簿では「鶯座」。1943年・1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「鶯座」。1952年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「名張映画劇場」。1960年の映画館名簿では「名張第一東映」。1963年の映画館名簿では「名張東映」。1966年の映画館名簿では「名張東映劇場」。1967年・1969年の映画館名簿には掲載されていない。

1930年以前に鶯座として建てられたのが名張東映劇場です。定員1350人という鶯座は三重県でも有数の大劇場で、舞台や花道もありました。1962年の映画館名簿では経営者が名張松竹と同じ大西栄一ですが、1966年には百地茂となっています。1962年の映画館名簿では定員500でしたが、1966年には定員130となっています。東映東宝・日活の上映館だったようです。

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(写真)名張大映劇場跡地にある駐車場。左奥は丸福精肉店。中央奥はイオン名張店立体駐車場。

 

名張市の旧市街地には「まちかど博物館」と呼ばれる掲示板がいくつかあり、昭和30年代などの古写真などが貼られています。元町にある丸福精肉店の店先には名張東映劇場(鶯座)に関する写真が貼られていたため、2020年(令和2年)に訪れた際には店に入って店主(60代?)に話を伺いました。

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(写真)話を聞いた丸福精肉店

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(写真)丸福精肉店の店先にある掲示板。「まちかど博物館」の取り組み。

 

『鶯座』では東映の作品が上映された。建物は戦前の建築であり、すぐ近くにある『名張大映』よりも大きかった。自分が小学生の時には『名張大映』にも観に行ったことがある

丸福精肉店の2階建て部分は、かつて映画館前にあった空き地である。平屋建て部分は映画館の建物の入口に相当する。丸福精肉店の南東にある民家の北半分くらいに映画館の建物があった。現在は空き地になっている場所辺りには、映画館で働いていた方が住んでいた

1966年には建物が公設市場に転用され、現在は丸福精肉店の駐車場となっているが、公設市場時代の床面のコンクリートは駐車場にうっすらと残っている。丸福精肉店は公設市場内の一店舗だったが、やがて敷地を買い取って現在の独立店舗となった『鶯座』や公設市場の鬼瓦の片方は現在も保管している

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(左)戦時中の鶯座(名張東映劇場)。(右)1945年頃の鶯座。

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(左)東映の広告ビラとスタッフ。(右)鶯座を訪れた花菱アチャコ

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(左)多数の自転車がとまる名張大映劇場。(右)名張大映劇場の館内。

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(写真)1903年の鶯座の棟上げ。

 

2.3 名張大映劇場(1957年-1973年1月)

所在地 : 三重県名張市中町通351(1970年)
開館年 : 1957年
閉館年 : 1973年1月
1957年・1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年・1960年・1963年の映画館名簿では「名張大映」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「名張大映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「上杉生花店」や「パチンコジャンボ」南西の駐車場。

名張市にあった3館の中で最も遅くまで営業していたのが名張大映劇場です。1962年の映画館名簿によると経営者は梅田孝義。定員は年によって揺らぎがありますが200人台であり、名張市に3館あった時代は大映東宝を、1館となってからは松竹・大映東宝などを上映していました。

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(地図)1969年の名張市中心部。中央右に名張大映劇場。中央下の名張中央センターが名張東映劇場跡地。

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(写真)名張大映劇場跡地にある駐車場。右奥がパチンコジャンボの廃墟。左奥がスナックなどが入る建物。

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(写真)中町の通りから名張大映劇場への入口。パチンコジャンボの廃墟と月星電機の間の路地。

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(写真)名張大映劇場に至る路地。左はスナックなどが入る建物。右端はパチンコジャンボの廃墟。

 

名張市の映画館について調べたことは「三重県の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(三重県版)」にマッピングしています。

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