(写真)武豊町地域交流施設。2020年。
2021年(令和3年)9月、愛知県知多郡武豊町を訪れました。「武豊町立図書館を訪れる」と「武豊町の映画館」に続きます。
1. 武豊町を歩く
1.1 武豊町の歴史
知多半島の東岸にある武豊町は近世から醸造業で栄えた町であり、千葉県の銚子や兵庫県の龍野と並ぶ「日本三大醸郷」というキャッチコピーがあるようです。銚子のヤマサ醤油や龍野のヒガシマル醤油ほど知られたブランドはありませんが、現在でも6の醸造元で味噌や醤油が生産されています。
(地図)愛知県における武豊町の位置。OpenStreetMap contributors
味噌や醤油の醸造元は大足地区に集まっており、なかでも中定商店の複数の蔵が登録文化財になっています。武豊町立図書館に隣接する武豊町歴史民俗資料館には巨大な樽などで武豊町の醸造業を紹介する展示があります。
(写真)醸造業の中定商店。昭二蔵と昭三蔵。いずれも登録有形文化財。2019年。
(写真)武豊町歴史民俗資料館。(左)醸造業の紹介。(右)武豊港の紹介。いずれも2019年。
1886年(明治19年)は愛知県初の鉄道である国鉄武豊線が開業し、1899年(明治32年)には愛知県初の近代的港湾である武豊港が開港。その後は国鉄東海道本線や名古屋港に主役の座を奪われますが、武豊町は衣浦臨海工業地域のある工業都市としても存在感が健在です。
(写真)中山名古屋共同発電名古屋発電所。2020年。
1.2 武豊町地域交流施設
醸造業の展示
2016年(平成28年)4月1日にはまちの駅(物品販売及び飲食施設)や地域交流センターの機能を有する武豊町地域交流施設が開館。旧国鉄武豊港駅転車台や大足地区の醸造元に近く、武豊町はこの施設を街並み散策の拠点にしたいようですが、名前が堅苦しいせいか知名度は高くなさそう。
(写真)武豊町地域交流施設の展示コーナー。
(写真)武豊町地域交流施設の展示コーナー。
展示の一部は巨大な醤油樽を模した空間の中にありますが、展示用の醤油樽は白くて安っぽいので作りかけのような雰囲気もあります。醸造業の歴史の中では取り立てて著名な人物がいないのか、愛知用水の必要性を説いた森田萬右衛門が紹介されていました。1921年(大正10年)には森田を顕彰するために私立の森田翁頌徳記念図書館も建設されています。
(写真)武豊町地域交流施設の展示コーナー。
武豊港駅転車台
国鉄武豊港駅のジオラマは転車台や堀割の位置関係がわかりやすい。1886年(明治19年)に武豊港駅が開業した際には駅構内に半径65mの急曲線があったため、1927年(昭和2年)には直角2線式の転車台が設置されました。ジオラマを見ると昔は隣接して2台あったようです。
(写真)国鉄武豊港駅のジオラマ。港から内陸を見る。奥の転車台が現存。中央上の堀割を通って武豊駅に向かう。
転車台は長らく傷んだまま放置されていましたが、1999年(平成11年)に地域学習を行っていた小学生が "発見" すると、町長に宛てた保存を求める手紙が功を奏して修復され、2009年(平成21年)に登録有形文化財に登録されています。
(地図)1913年の『愛知県武豊町全図』(武豊町立図書館所蔵)。左下に国鉄武豊港駅、中央右に武豊駅が描かれている。
1.3 大足地区の近代建築
武豊港や国鉄武豊線で近代から発展していたおかげか、武豊町地域交流施設がある大足地区には近代の名残が見える建築物がいくつかあります。
調味料メーカーのユタカフーズ - Wikipediaの敷地には洒落た本社事務所があり、四方に半切妻屋根がある複雑な外観が目立ちます。ユタカフーズの南東には武豊町の名称の由来にもなっている豊石神社が。拝殿の左手には煉瓦造の蔵があり、大足蛇車まつりで用いられる幟などが保管されているそう。
(左)ユタカフーズ本社事務所。木造。1940年建築。(右)豊石神社の煉瓦蔵。煉瓦造。建築時期不明。
豊石神社境内のすぐ東側には、意匠を凝らしたパラペットがある用途不明の倉庫があります。参道入口から約300m南下すると、旧国鉄武豊港駅転車台がある交差点の北西角には銀行建築だという煉瓦造の建物があります。
(左)小出邸の倉庫。鉄筋コンクリート造。昭和初期建築。(右)旧中埜銀行武豊出張所。煉瓦造。1922年頃建築。