振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

下石町の映画館

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(写真)倉庫として現存している中映劇場の建物。

2021年(令和3年)2月、岐阜県土岐市下石町を訪れました。

 

1. 下石町を歩く

1.1 裏山地区

土岐市は焼き物(陶磁器)の生産量が日本一の自治体であり、特に市南部の下石町(おろしちょう)はとっくりの生産で知られています。下石町の裏山地区には小規模な窯が点在し、2軒の窯には煉瓦煙突も残っています。

どんぶりの生産で知られる土岐市駄知町と比べると煉瓦煙突の密度は低いものの、ゆるキャラ「とっくりとっくん」を探す街歩きが楽しめます。町内の有志が製作しているという「とっくりとっくん」は町内の至る所に設置され、煙突を登っている者、本を読んでいる者、碁を打っている者、祠を拝んでいる者など様々なバリエーションがありました。

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(写真)荒神窯にある2本の煉瓦煙突。左下には煙突を登るとっくりとっくん。

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(写真)裏山地区に多数設置されているとっくりとっくん。

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(写真)裏山地区に多数設置されているとっくりとっくん。

 

 

2. 下石町の映画館

各年版の映画館名簿には下石町の映画館として「中映劇場」と「陶盛座」の2館が掲載されています。明治時代からある陶盛座については『郷土下石 資料編1』(桃井勝、1969年)と『ろくろの里 下石町誌』(下石陶磁器工業協同組合、1984年)に言及がありますが、中映劇場に言及している文献は映画館名簿以外には見当たらず。また、郷土資料や住宅地図などの文献では両館の正確な場所が判明しませんでした。

1940年代後半から1960年代の下石町の航空写真を見ると、中映劇場の跡地ではないかと気になる建物があり、1969年の住宅地図ではその場所がマルケイパチンコとなっています。現在の航空写真を見ても同一地点に巨大な建物があるため、映画館時代の建物が残っているのではないかと推測して現地で聞き込みを行いました。以下ではこの映画館を便宜的に "中映劇場" と表記していますが、話を聞いた4人の方はいずれも単に "映画館" と呼んでいました。

 

2.1 中映劇場(1953年-1965年頃)

所在地 : 岐阜県土岐市下石町(1964年)
開館年 : 1953年4月
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧1955』によると1953年4月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「中央劇場」。1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「中映劇場」。1965年の映画館名簿では「下石日活劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。「株式会社マルクニ・イトウ」東に映画館の建物が現存。 

まずは、1969年の住宅地図にも掲載されている金物屋の美濃津屋で話を聞きました。店主の女性(70代後半?)によると、「鶏肉屋の奥にはパチンコ店があり、さらに昔は映画館だった。名前は覚えていない。映画館だった建物がそのまま残っているか、建て替えているかはわからない」とのこと。中映劇場や中央劇場という名前ではなかったかと聞きましたが反応しませんでした。

中映劇場ではないかと推測した建物のすぐ北にある鳥春精肉店の店主の男性(70代?)によると、「鳥春の奥の建物は映画館だった。パチンコ店だった時期もある。映画館だった建物がそのまま残っているが、外壁の修理や塗装なども行われている」とのこと。

鳥春精肉店の東隣にはうなぎ屋の明月があり、鳥春精肉店から仕入れた鶏肉をうなぎの代わりに用いた鳥ひつまぶしも提供しています。鳥ひつまぶしを食べながら店主の女性(70代?)に話を聞くと、「明月の南西にある建物は映画館だった建物である。かつて道路から建物の入口までの両脇には長屋があり、靴屋などが入っていた。現在の建物は茶碗屋の倉庫になっている」。「下石町にはこの映画館のほかに陶盛座もあった。私が53年前に住みはじめたときにはもう両館とも閉館していた」とのことです。中映劇場や中央劇場や下石日活劇場という名前ではなかったかと聞きましたが、美濃津屋の女性と同じく反応しませんでした。

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(左)中映劇場だった建物の裏側。(右)中映劇場だった建物とマルクニ・イトウの工場。手前は東濃鉄道駄知線の廃線跡

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(左)中映劇場だった建物の西側面。(右)中映劇場だった建物の東側面。

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(写真)現在の中映劇場周辺の航空写真。地理院地図

 

2.2 陶盛座(1882年-1967年頃)

所在地 : 岐阜県土岐市下石町(1967年)
開館年 : 1882年5月(陶盛座)、1964年以後1966年以前(下石陶盛劇場)
閉館年 : 1967年頃
『全国映画館総覧1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「陶盛座」。1956年・1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1967年の映画館名簿では「下石陶盛劇場」。1968年・1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はうなぎ屋「ほうねんや」北北東70mにある空き地。

美濃津屋の女性によると、「陶盛座は清水にあった。美濃津屋から北に向かい、三叉路を右に、続いて左に曲がった先にあった」とのこと。

うなぎ屋の明月では「明月は90年前から営業している。現在は息子が3代目を継いでいる」とのことです。3代目でもある板長にはGoogle マップを見ながら陶盛座の場所を教えてもらいました。「うなぎ屋のほうねんやの角を上っていった先にある。(Google マップの航空写真を見ながら)この空地の場所である」とのことです。中映劇場と陶盛座の両館とも近くにうなぎ屋があるのは偶然でしょうか。

現地には巨大な長方形の空き地があり、その東側には1951年(昭和26年)に下石町が設置した「吉見先生住宅之跡」という石碑が建っていました。下石小学校で教員を務めた吉見門也先生のことらしく、下石小学校には銅像も建っているようです。

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(写真)陶盛座跡地にある空き地。 

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(左)陶盛座跡地の空き地と「吉見先生住宅之跡」。(右)陶盛座。中央には「吉見先生住宅之跡」と思われる石碑も見える。 下石町誌編纂委員会『ろくろの里 下石町誌』(下石陶磁器工業協同組合、1984年)。

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(写真)現在の陶盛座周辺の航空写真。地理院地図

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(写真)話を聞いたうなぎ屋の明月。(左)玄関。(中)鳥ひつまぶし。(右)店内。

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(左)話を聞いた鳥春精肉店の工場。奥にちらりと見えているのが中映劇場だった建物。(右)話を聞いた美濃津屋。

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 (写真)1961年の下石町の航空写真。地図・空中写真閲覧サービス

 

下石町の映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(中部版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com

 

 

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