振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「弥富市の橋めぐり・鉄道橋と樋門編」に参加する

(写真)近鉄名古屋線の旧線路の遺構。

2023年(令和5年)4月9日(日)、愛知県弥富市で開催された名古屋スリバチ学会FW「弥富市の橋めぐり・鉄道橋と樋門編」に参加しました。名古屋スリバチ学会が名古屋周辺の地形に着目して開催しているフィールドワークのひとつ。担当世話人のスギタさんとともに約6kmの行程を歩きました。

 

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1. 鉄道橋

1.1 国鉄関西本線木曽川橋梁

JR関西本線木曽川橋梁は1976年(昭和51年)竣工の3代目です。木曽川を渡る長大なトラス橋であり、近鉄名古屋線の橋梁とは違って緑色なのが特徴です。

初代木曽川橋梁は1895年(明治28年)に建設されたものですが、その位置は現行の3代目橋梁のすぐ上流側であり、干潮時には基礎部分の石垣が見えるようです。石垣自体は地味ですが、船に構造物の存在を知らせる杭は常に見えているので、干潮時以外でも位置が分かります。

(写真)現在のJR関西本線木曽川橋梁(左)と初代木曽川橋梁の遺構(右)。

 

時期を経て機関車の重量が増大したことで、1928年(昭和3年)には初代橋梁が廃されて2代目橋梁が架けられます。2代目橋梁は初代や3代目橋梁の下流側でした。現在のJR関西本線近鉄名古屋線の橋梁は50mほど離れていますが、1976年(昭和51年)までは25mほどしか離れていなかったようです。

1970年代中頃の航空写真には、上流側から順に「関西本線初代橋梁の石垣=近鉄名古屋線初代橋梁の石垣」、「建設中の関西本線3代目橋梁」、「関西本線2代目橋梁」、「近鉄名古屋線2代目橋梁」が写っています。

(写真)1970年代中頃の航空写真。地理院地図

 

1.2 近鉄名古屋線 旧線路

愛知県内において近鉄名古屋線はJR関西本線より「南」を通っており、近鉄弥富駅やJR弥富駅よりも少し「南」にあります。しかし、昭和初期に国鉄から払い下げられた木曽川橋梁は2代目関西本線木曽川橋梁よりも「北」にありました。

このため、1938年(昭和13年)の近鉄名古屋線完成時に必要に迫られて建設したのが関西本線を越えるオーバークロス高架橋です。戦前の構造物としてはとても規模が大きいのですが、木曽川に自前の橋を架けるよりは遥かに安価に済んだということなのでしょう。現代に建設された高架道路の遺構のようにも見えます。

(写真)近鉄名古屋線の旧線路の遺構。

 

1959年(昭和34年)の伊勢湾台風後、近鉄は甚大な被害を受けた鉄道施設の復旧を進めるとともに、各路線の標準軌への統一、単線の木曽川橋梁の複線橋への架け替えなどを行いました。

この過程で、近鉄国鉄から払い下げられた初代橋梁を廃し、約70m下流側に2代目橋梁を架けています。弥富付近の国鉄との線路の位置関係には無理がなくなり、オーバークロス高架橋も要なしとなりましたが、60年以上経った現在もオーバークロス高架橋の一部は残っています。

(写真)近鉄名古屋線の旧線路が描かれている1967年の住宅地図。

(写真)近鉄名古屋線の旧線路の遺構。手前。

 

1.2 日本毛織弥富工場 専用線

現在のイオンタウン弥富の場所には、かつて日本毛織弥富工場がありました。1928年(昭和3年)に昭和毛糸紡績会社として設立され、初期から貨物専用線(引き込み線)があったようです。戦後のピーク時には約1800人もの従業員を抱える大工場でした。

(左)水田が広がる1920年弥富市街地。(右)日本毛織弥富工場があり貨物専用線も描かれている1947年の弥富市街地。今昔マップ

 

弥富町誌』(弥富町、1993年)には1960年(昭和35年)の弥富市街地にあった商店図が掲載されていますが、その中心にあったのは近鉄弥富駅南西側の「駅前地区」ではなく、国鉄弥富駅北西側の「銀座地区」(銀座商店街)と国鉄弥富駅南西側の「中六地区」だったようです。

弥富市歴史民俗資料館には1938年(昭和13年)に描かれた昭和毛糸紡績会社(後の日本毛織弥富工場)のポスターがありました。煙突の南側には国鉄弥富駅からの引き込み線から続く貨物専用線が描かれています。

(写真)1938年の昭和毛糸紡績会社。弥富市歴史民俗資料館の展示。

 

1964年(昭和39年)には専用線が廃止され、跡地は住宅地化されましたが、不自然な橋の遺構や空地などが残っています。1997年(平成9年)には弥富工場自体が閉鎖され、2000年(平成12年)には跡地にイオンタウン弥富が開業しました。2つの駅から弥富工場に向かう途中にあったのが銀座商店街であり、弥富金魚最中などを売る和菓子屋の大橋屋は健在です。

(写真)日本毛織弥富工場の引き込み線の遺構。

(写真)日本毛織弥富工場の引き込み線跡が描かれている1976年の住宅地図。

 

2. 樋門

(写真)筏川。

 

2.1 筏大橋の樋門

(写真)樋門を有する筏大橋。

(写真)明治45年5月と書かれた親柱。(右)人造石工法の橋脚。

 

2.2 六門樋門(六門橋)

(写真)北側の3門と南側の3門で材質が異なる六門樋門。

(写真)六門樋門の煉瓦部分。

 

2.3 立田輪中人造堰樋門

(写真)立田輪中人造堰樋門。

(写真)立田輪中人造堰樋門。

(写真)立田輪中人造堰樋門。

 

3. FWで気になった建物

旧伊勢屋の煉瓦塀

(写真)旧伊勢屋。

 

旧諸戸医院

(写真)旧諸戸医院。

(写真)諸戸医院が描かれた1976年の住宅地図。

 

入母屋屋根の民家

(写真)木曽岬町加路戸にある入母屋屋根の民家。

 

(写真)養魚池が多数描かれた1967年の住宅地図。

(写真)養魚池が多数描かれた1967年の住宅地図。