振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

伏木を訪れる

(写真)伏木北前船資料館。

2020年(令和2年)8月、富山県高岡市伏木地区を訪れました。

※本記事は2024年(令和6年)2月に「伏木の映画館」から分割した記事です。

 

ayc.hatenablog.com

1. 伏木を訪れる

1.1 伏木の歴史

伏木(ふしき)は歴史の古い湊町であり、中世には越中国国府が置かれています。近世には北前船の経由地となり、高岡の外港として栄えるとともに、勝興寺寺内町という性格も有していました。

現代には国際拠点港湾である伏木富山港の一部となっており、2019年(令和元年)には日本最大のクルーズ船である飛鳥IIも伏木港に入港しています。1942年(昭和17年)に射水郡伏木町高岡市の一部となってから約80年が経過し、今日ではのどかな湊町といった雰囲気です。

f:id:AyC:20200804072750p:plain

(地図)富山県における伏木の位置。©OpenStreetMap contributors

f:id:AyC:20200804072814j:plainf:id:AyC:20200804072821j:plain

(左)新潟や敦賀と並んで伏木も記載された日本地図。(右)JR氷見線を走る快速「べるもんた」。

 

JR氷見線伏木駅を起点に伏木を歩きました。もっとも交通量が多い通りは伏木駅から北東に延びる富山県道24号であり、富山県道245号と交わる伏木中央町交差点がひとつの中心点といえそうです。2か所に商店街があり、歴史的にはこの2か所の商店街とその延長部分がにぎわっていたようです。

f:id:AyC:20200804080813p:plain

(写真)伏木市街地。※写真中の氷見駅伏木駅の誤り。地理院地図

 

1.2 勝興寺

伏木駅から正面に延びる通りを西に向かうと、突き当たりに浄土真宗本願寺派の勝興寺があります。日本で8番目に多い12棟の建造物が国の重要文化財に指定されており、京都府奈良県以外では専修寺三重県津市)と善光寺(長野県長野市)に次ぐ規模だそうです。この2020年(令和2年)7月には23年に及ぶ大修理が終了したばかりだそうで、2021年(令和3年)春には建物内部の公開も開始されるようです。

f:id:AyC:20200804072936j:plainf:id:AyC:20200804072943j:plain

(左)本堂。重要文化財。(右)経堂。重要文化財

f:id:AyC:20200804072951j:plainf:id:AyC:20200804072959j:plainf:id:AyC:20200804073006j:plain

(左)高麗門形式の総門。重要文化財。(中)四脚門形式の唐門。重要文化財。(右)薬医門形式の式台門。重要文化財

f:id:AyC:20200804073015j:plainf:id:AyC:20200804073022j:plainf:id:AyC:20200804073028j:plain

(左)鼓堂。重要文化財。(中)大広間。重要文化財。(右)宝蔵。重要文化財

  

1.3 北前船資料館・気象資料館

伏木北前船資料館

近世の伏木は北前船の寄港地であり、秋元家などが海運業を生業としていたようです。日本海岸の各地に北前船に関する資料館がありますが、伏木北前船資料館は1887年(明治20年)の伏木大火後に建築された旧秋元家住宅を転用しています。伏木北前船資料館は崖上に建設されており、望楼からは伏木の町並みを見晴らすことができます。

f:id:AyC:20200804073348j:plain

(写真)伏木北前船資料館。高岡市指定有形文化財

f:id:AyC:20200804073410j:plain

(写真)伏木北前船資料館の館内。北前船の引札。

f:id:AyC:20200804073402j:plainf:id:AyC:20200804073416j:plain

(左)伏木北前船資料館の館内。(右)崖上に建つ伏木北前船資料館。望楼がある。

 

伏木気象資料館

伏木駅から勝興寺に向かう途中の高台には伏木気象資料館がありました。1883年(明治16年)に設立された際には日本初の私立気象測候所だったようで、その後は富山県営や国営となっています。現存する建物は1909年(明治42年)の建築であり、2006年(平成18年)には登録有形文化財となっています。

敷地内には気象測候所の設立を主導した藤井能三の胸像が建っていました。藤井は1873年明治6年)に富山県初の公立小学校として開校した伏木小学校の設立者であり、伏木に鉄道や定期航路の誘致を行っています。伏木の近代化に大きく貢献した人物のようですが、Wikipediaにはまだ記事がありません。

f:id:AyC:20200804073158j:plain

(写真)伏木気象資料館。登録有形文化財

f:id:AyC:20200804073253j:plain

(写真)藤井能三翁像。

 

1.4 伏木湊町と中道商店街

伏木湊町の道路区割りは直線的でいかにも新開地に見えますが、明治中期の和風建築、明治末期の近代建築、昭和戦前の看板建築など発見の多い街並みです。1910年(明治43年)に建築された旧伏木銀行は現役の商工会議所。木造・瓦葺ではありますが、玄関や壁面は洋風、しかし銀行建築にも見えない、不思議な建築です。

f:id:AyC:20200804073455j:plain

(写真)伏木湊町にある高岡商工会議所伏木支所(旧伏木銀行)。登録有形文化財

 

旧伏木銀行前の通りを西に向かうと中道商店街に続いています。国鉄氷見線の開通前はこの通りがメインストリートだったようであり、大正時代の地図を見ると小矢部川側の突き当りには伏木税関が描かれています。旧伏木銀行から通りを挟んだ向かい側には松岡旅館と彫られた建物もありました。

f:id:AyC:20200804073503j:plainf:id:AyC:20200804073514j:plain

(左)旧伏木銀行前の通り。(右)旧伏木銀行と旧松岡旅館。

f:id:AyC:20200804085702j:plain

(地図)1924年伏木町の地図。日常旅行日記より。

 

伏木湊町にはスナックや銭湯などもあり、歓楽街だった頃の面影をわずかに残しています。正面に銅板が貼られた町屋や、味わい深い看板建築も目立ちます。

写真の看板建築の前には「ようこそ中道商店街へ」と書かれていますが、その上部には英語で、下部にはロシア語で同様の言葉が書かれています。伏木港は国際商業港であるとはいえ、ロシア人がこの寂れた商店街をぶらついていたりするのでしょうか。

商店街の看板以外には、道路看板や伏木駅の案内にもロシア語が見られました。富山県立伏木高校では中国語・韓国語・ロシア語のいずれかが必修だそうです。

f:id:AyC:20200804073521j:plainf:id:AyC:20200804073532j:plain

(左)伏木湊町にある銭湯の伏木温泉。(右)中道商店街の入口にある看板建築。

f:id:AyC:20200804073541j:plainf:id:AyC:20200804073552j:plain

(左)伏木湊町にある棚田家住宅。登録有形文化財。(右)中道商店街にある谷村家住宅。登録有形文化財