(写真)愛猫をモチーフにした作品。
2023年(令和5年)12月、愛知県豊田市平戸橋町の豊田市民芸館で開催された「河井寛次郎展」を訪れました。「前田公園を訪れる」に続きます。
1. 豊田市民芸館を訪れる
豊田市名誉市民で陶芸研究家の本多静雄の尽力もあり、1983年(昭和58年)には現在の第1民芸館からなる豊田市民芸館が開館。1985年(昭和60年)には第2民芸館と茶室、1990年(平成2年)には第3民芸館が開館して現在の形になりました。
今回の河井寛次郎展は開館40周年記念展覧会とのことで、2023年(令和5年)12月16日(土)から2024年(令和6年)3月10日(日)まで開催されています。なお、2016年(平成28年)には別地点の旧本多静雄邸が豊田市民芸の森として一般公開を開始しています。
2. 「河井寛次郎展」
2.1 河井寛次郎の経歴
河井寛次郎は1890年(明治23年)に島根県に生まれ、島根県松江中学校(現・島根県立松江北高校)と東京高等工業学校(現・東京工業大学)窯業科を卒業。30歳の時に京都・五条坂の窯で作品制作を開始し、当初から技巧に優れた天才陶芸家としてもてはやされたようですが、昭和初期にはもう民藝運動に傾倒して作風を変化させていったようです。
同じく東京高等工業学校窯業科を卒業して陶芸家となった人物には 濱田庄司 - Wikipedia がおり、益子焼で名声を高めた濱田も民藝運動に関わっています。なお、西三河地方では 大野一造 - Wikipedia がやはり東京高等工業学校窯業科を卒業していますが、大野は河井や濱田とは異なり、窯業技術者として煉瓦工場の工場長などを務めています。
(写真)第1民芸館における「河井寛次郎展」。
2.2 河井寛次郎の作品
「草花文花瓶碎紅芒目」
1920年頃(30歳頃)/個人蔵
「孔雀緑黒花文耳付壺」
1922年頃(32歳頃)/個人蔵
「青瓷鱔血葉文花瓶」
1923年頃(33歳頃)/個人蔵
「辰砂面取湯碗」
1931年頃(41歳頃)/河井寛次郎記念館蔵
「木彫像」
1937年頃(47歳頃)/河井寛次郎記念館蔵
河井寛次郎の愛猫「熊助」をモチーフとした木彫り作品。京都の河井寛次郎記念館ではチラシのデザインにもなる人気作品だそうです。
「白釉草花文面取壺」
1942年頃(52歳頃)/河井寛次郎記念館蔵
「灰釉筒描魚文角蓋物」
1952年頃(62歳頃)/個人蔵
晩年の作品
3. 旧井上家住宅西洋館
3.1 旧井上家住宅西洋館の歴史
豊田市民芸館の敷地内、第1民芸館の南には擬洋風建築の旧井上家住宅西洋館があります。文化財ナビあいちなどによると竣工年は "明治10年代" とのことで、"名古屋で開催された博覧会の貴賓館として建造され" とありますが、博覧会の正確な開催年や場所がわかりません。名古屋市において愛知銀行の前身である関戸銀行として使用され、1928年(昭和3年)8月20日、西加茂郡猿投村(現・豊田市井上町)に井上農場を開いた井上徳三郎によって猿投村に移築されています。
昭和末期に取り壊されそうになった際、1983年(昭和58年)に開館していた豊田市民芸館敷地内への移築が計画され、1989年(平成元年)4月に移築されました。2000年(平成12年)10月18日には登録有形文化財に登録されています。
(写真)旧井上家住宅西洋館。
建築面積は23m2(7坪)という小ささであり、1階も2階も2部屋ずつ設けられているようです。
(写真)旧井上家住宅西洋館。
(写真)旧井上家住宅西洋館。
旧井上家住宅西洋館の庭園部分には陶製狛犬が置かれています。陶製狛犬収集家である本多静雄の寄贈物と思われますが、説明書きなどがないのでよくわからない。
(写真)旧井上家住宅西洋館の正面の陶製狛犬。