振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

行田市の映画館

(写真)行田足袋。

2020年(令和2年)11月、埼玉県行田市を訪れました。

かつて行田市には「忍館」、「大正座」、「中央映画劇場」、「行田劇場」の4館の映画館がありました。2020年(令和2年)11月に投稿した「行田市を訪れる」から分割した記事です。

 

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1. 行田市の映画館

各年版の映画館名簿によると、行田市には「忍館」(1953年-1970年代初頭)、「大正座」(1919年-1960年代中頃)、「中央映画劇場」(1946年-1960年代初頭)、「行田劇場」(1931年頃-1960年代初頭)の4館の映画館がありました。もっとも遅くまで営業していた忍館も1970年代初頭に閉館しており、熊谷市の5館の映画館や羽生市の羽生京王劇場が最寄りの映画館となっています。

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(写真)1958年の映画館名簿。行田市の映画館が最も多かった時代。

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(地図)行田市にあった映画館。

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(写真)1955年の行田市経済要図。市街地に点在する橙色は足袋産業関連企業。

 

1.1 行田劇場(1931年頃-1962年頃)

所在地 : 埼玉県行田市佐間185(1962年)
開館年 : 1931年頃
閉館年 : 1962年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1962年の映画館名簿では「行田劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

大正時代の行田にはすでに「大正座」がありましたが、昭和初期には "向町の水田の中に" 「行田劇場」が開館しました。当時は中心市街地からかなり遠い場所にあり、行田にあった4映画館の中で最も早く閉館しています。跡地は商店などが少ない住宅地の一角であり、映画館の跡地としては珍しい。行田劇場の西側の通りは劇場通りと呼ばれていたようです。

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(写真)1955年の行田市経済要図。右下に行田劇場。右上にカメラのタバタ。

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(写真)1955年の行田市経済要図にあるカメラのタバタの広告。劇場通りの文字が見える。

 

1.2 中央映画劇場(1946年-1962年頃)

所在地 : 埼玉県行田市宮本町82(1962年)
開館年 : 1946年
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧1955』には開館年が掲載されていない。1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「中央映画劇場」。1962年の映画館名簿では「行田中央劇場」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「秩父鉄道行田市駅」駅前ロータリー。

秩父鉄道行田市駅(旧・北武鉄道行田駅)前にあった映画館が「中央映画劇場」であり、行田初の映画専門館だと思われます。建物は駅前広場の東側にありましたが、閉館後には拡張された駅前ロータリーの一部となり、現在は時計塔がある場所付近だと思われます。

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(写真)1955年の行田市経済要図。駅前に中央映画劇場。

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(写真)1956年の行田市駅と中央映画劇場。『行田・加須・羽生の昭和』(いき出版、2007年)。

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(写真)秩父鉄道行田市駅と駅前ロータリー。中央映画劇場跡地の時計塔。

 

1.3 大正座(1919年-1965年頃)

所在地 : 埼玉県行田市忍101(1964年)
開館年 : 1919年
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧1955』には開館年が掲載されていない。1953年・1955年・1960年・1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「行田大正座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「清善寺」本堂南西100mにある「コスモプリンツ株式会社」。

行田でもっとも早く開館した劇場が「大正座」です。1963年の映画館名簿では木造2階建てで850席、日活と東映を上映する映画館とされています。写真を見ると2階建てではなく3階建てですが、3階部分には何があったのでしょう。戦前のこの手の劇場で3階建てはかなり珍しいと思われます。地方における戦前の劇場としてはとてもモダンな建築だったようます。

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(左)1955年の行田市経済要図。左下に大正座。

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(右)大正座跡地にあるコスモプリンツ株式会社。

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(写真)戦前の行田町などの営業別索引。足袋とくらしの博物館の展示品。

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(写真)戦前の大正座。『ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 行田』(国書刊行会、1978年)

 

1.4 忍館(1953年-1970年代初頭)

所在地 : 埼玉県行田市忍町103(1970年)
開館年 : 1953年
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「行田忍館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1985年の住宅地図ではスーパー「マミーマート行田店」。1987年の住宅地図では「ディスカウントTOP」。跡地は「行田市コミュニティセンターみずしろ」北東70mにある駐車場と民家。

行田でもっとも遅くまで営業していた「忍館」は、木造平屋建てで400席の映画館です。忍町という地名の読みは「おしまち」ですが、映画館名は「しのぶかん」らしい。『ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 行田』(国書刊行会、1978年)には1953年(昭和28年)開館とありますが、1955年の行田市経済要図や1955年の映画館名簿には掲載されていないため、『ふるさとの想い出写真集-』における開館年の記述は誤っているかもしれません。

跡地はスーパーのマミーマート行田店となったとされますが、映画館の建物を転用したのか取り壊した上でスーパーを建てたのかはわかりません。現在の跡地は駐車場と民家になっています。

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(写真)行田忍館跡地にある駐車場と民家。

 

行田市にあった映画館について調べたことは「埼玉県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(埼玉県版)」にマッピングしています。

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