振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

西河克己映画記念館を訪れる

(写真)西河克己映画記念館。

2023年(令和5年)12月、鳥取県八頭郡智頭町にある西河克己映画記念館を訪れました。「石谷家住宅を訪れる」からの続きです。「ちえの森ちづ図書館を訪れる」「智頭町の旧智頭宿を訪れる」に続きます。

 

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1. 西河克己映画記念館

1.1 建物の歴史

西河克己映画記念館(旧塩屋出店洋館)は旧塩谷出店の背後にある洋館であり、旧塩谷出店とともに登録有形文化財に登録されています。文化遺産オンラインによると竣工は1935年(昭和10年)頃であり、教会堂などとして使用されていたようですが、ウェブ上ではあまり言及が見つからない。

智頭町出身の映画監督である西河克己から智頭町に資料が寄贈されたのを機に、2001年(平成13年)に映画資料館が開館しました。白色に塗られた下見板張、桟瓦葺の木造2階建てであり、縦長の窓が外観の特徴です。

(写真)西河克己映画記念館。

 

1.2 映写機

基本的には無人の資料館であり、勝手に入館して自由に見学していいようです。主に1階が展示室、2階が映像鑑賞室であり、1階には映写機が置かれていました。

(写真)1階の展示室。

 

映写機の脇には「昭和30年頃、鳥取県若桜町で使われていた映画映写機(昭和28年製造、東亜電機株式会社)<用瀬町・山本氏より寄贈>」という説明書きがありました。

各年版の映画館名簿を確認すると、若桜町にあった映画館は「若桜東映」(太陽館、1953年8月-1962年頃)と「若桜劇場」(1953年頃-1968年頃)の2館。1950年代中頃の映画館名簿を確認すると、若桜東映は東亜の映写機を用いており、1953年(昭和28年)8月という開館時期と製造年も一致します。若桜東映で用いられていたもののようです。

なお、八頭郡用瀬町(現・鳥取市)には「富士映劇」なる映画館があったようですが、映画館名簿に記載された経営者は鳥取市周辺で複数館を経営していた岡本照虎であり、「用瀬町の山本氏」なる人物の詳細は不明です。

(写真)1階の映写機。

(写真)1階の映写機。

(写真)若桜町の太陽館の映写機が東亜式と記されている『全国映画館総覧 1954年版』時事通信社、1954年。

 

映写機には「super MAGNA」「YKK YANAI KOGAKU」などの文字も確認できます。

(写真)1階の映写機。

(写真)1階の映写機。

(写真)1階の映写機。

 

1.3 展示室(1階)

西河克己 - Wikipedia は八頭郡土師村(現・智頭町)出身の映画監督。1939年(昭和14年)に日本大学芸術学部を卒業して松竹に入社し、戦後の1954年(昭和29年)に日活に移籍しています。

(写真)1階の展示室。

(写真)1階の展示室。

(写真)1階の展示室。

(写真)1階の展示室。

(写真)1階の展示室。

(写真)1階の展示室。

(写真)1階の展示室。

 

1.4 展示室(2階)

(写真)2階の展示室。

(写真)2階の展示室。