振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

岩部亀士紀功碑を訪れる

(写真)岩部亀士紀功碑。
2023年(令和5年)11月、香川県小豆郡小豆島町苗羽(のうま)にある「岩部亀士紀功碑」「岩部亀士顕彰碑」を訪れました。

 

岩部亀士(Iwabu Kameo、いわぶかめお、1860年~1915年)は苗羽村長として小豆島の醤油産業の発展に尽力した人物。小豆島町立苗羽小学校の東側、信号のある三叉路の鋭角部分に2体の石碑が建立されており、ここは苗羽村役場の跡地だそうです。

(写真)岩部亀士紀功碑の所在地。Googleマップ

1. 顕彰碑

1.1 顕彰碑の概要

2005年(平成17年)11月に建立された石板状の記念碑。小豆島醤油協同組合、小豆島調理食品工業協同組合、マルキン忠勇株式会社、苗羽財産区議会、試味会が建立者に名を連ねています。

 

1.2 顕彰碑の内容(要約)

1860年、岩部亀士は香川県木田郡奥鹿村に生まれた。小学校の訓導を勤め、1898年に初代志度村長に選ばれると、4年間に渡って志度村長を務めた。小豆島の丸金醤油創立者である木下忠次郎は岩部の手腕を高く評価していた。1903年3月、岩部は木下に懇願されて苗羽村長に就任した。岩部は醤油産業の近代化の必要性を説き、『讃岐醤油醸造改良説』を起草した。岩部は木下や香川県会議員の藤井勝太とともに、香川県庁や香川県議会に対して醤油試験場の創設を働きかけた。さらに苗羽醤油協会を結成し、航路を解説したり、電話や電燈の敷設を行うなど、小豆島の発展に尽力した。8年間に渡って苗羽村長を務めた後は、『小豆島新報』や雑誌『瀬戸内海』の発行、醤油の宣伝育成や寒霞渓の紹介を行った。

 

2. 紀功碑

2.1 紀功碑の概要

1942年(昭和17年)11月に建立された石碑。題額は化学者の鴨居武(1864年~1960年)ですが、鴨居は香川県初の東京帝国大学合格者・香川県初の工学博士だそうです。撰文は藤井勝太、書は梅園良正。

 

2.2 紀功碑の内容(全文)

工学博士鴨居武題額

岩部亀士君香川県奥鹿人明治三十六年就任苗羽

村長転慮醸造業将来提唱醤油醸造試験場之必要

与関係同志相謀不青年得是設置蓋本邦嚆矢而従

是我小豆島醤油之名声益嘖嘖而産額亦激増矣詎

不謂斯界恩人哉君更竭力於道路改修航路創開電

話電燈敷設等文化進展樹功績寔不尠四十四年辭

職爰懐住感今建碑以表君偉功云

昭和十七年十一月

藤井勝太撰 梅園良正書