振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

秩父市の映画館

(写真)秩父国際劇場の建物を改修して転用したトラゲット。

2023年(令和5年)4月、埼玉県秩父市を訪れました。「秩父市を訪れる(1)」「秩父市を訪れる(2)」からの続きです。

かつて秩父市には映画館「革進館」、「秩父昭和館」、「秩父中央劇場」、「秩父国際劇場」がありました。1993年(平成5年)から長らく映画館が存在しない期間が続きましたが、2022年(令和4年)には「ユナイテッド・シネマウニクス秩父」が開館し、29年ぶりに映画館が復活しています。

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1. 秩父市立図書館

(写真)秩父市立図書館。

(写真)秩父市立図書館。

 

2. 秩父市の映画館

2.1 秩父国際劇場(1902年-1964年頃)

所在地 : 埼玉県秩父市宮側1454(1964年)
開館年 : 1902年
閉館年 : 1964年頃? 1983年?
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1951年の映画館名簿では「秩父座」。1952年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年の映画館名簿では「国際映画劇場」。1958年の映画館名簿では「秩父松竹国際劇場」。1960年の映画館名簿では「松竹国際劇場」。1963年・1964年の映画館名簿では「秩父国際劇場」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はイタリアンレストラン「トラゲット」(Tra Ghetto)。映画館の建物が現存。最寄駅は秩父鉄道秩父本線秩父駅

明治末期から大正期、秩父郡大宮町(現在の秩父市中心部)には秩父座と大宮座という芝居小屋がありました。秩父座は1902年(明治35年)に建てられ、外観は東京・浅草の国際劇場を模しているとのこと。1917年(大正6年)の『秩父之精神』や1927年(昭和2年)の『秩父写真大鑑』には秩父座の写真が掲載されています。

大正期の経営者は新井吉五郎であり、後に上石喜平の上石チェーンとなります。1942年(昭和17年)には映画館に転向し、戦後の1950年(昭和25年)に秩父国際劇場という名称になりました。

『映画館名簿』への掲載は1964年(昭和39年)版で途絶えていますが、その後も住宅地図では秩父国際劇場という名前が見られます。トラゲットについて報じる新聞記事では「1983年に閉館した」「1989年に閉館した」などとあって閉館年が一貫しません。

(写真)知々父演芸株式会社が経営していた秩父座。『秩父写真大鑑』埼玉写真通信社、1927年。国立国会図書館デジタルコレクション。

(写真)秩父座の内部。『秩父之精神』金子綱友、1917年。国立国会図書館デジタルコレクション。

 

秩父国際劇場の南隣には大正時代竣工とされる上石商店があります。映画館としての閉館後、建物は上石喜平の息子である上石喜一郎が経営する建築資材会社の倉庫となっていましたが、2013年(平成25年)には上石喜一郎の息子である上石有規がイタリアンレストラン「トラゲット」を開店させました。レストランに転用する際には大改修が行われており、アール・デコ調のファサードをいったん取り壊してから忠実に復元したほか、建物の奥部半分が切り詰められています。

(写真)旧秩父国際劇場のファサード

(写真)モニュメント「秩父国際劇場跡」。

(左)2007年の旧秩父国際劇場。地図・空中写真閲覧サービス (右)2023年現在の旧秩父国際劇場。建物の奥部半分が切り詰められたことがわかる。Googleマップ

 

木造トラスの小屋組は芝居小屋時代のままとのこと。劇場や映画館の面影はほとんどありませんが、一般的な建物と比べて極端に高い天井などが芝居小屋の名残です。

(写真)トラゲット内部。

(左)旧秩父国際劇場の小屋組。(右)上石商店と秩父国際劇場のアート作品。

(写真)トラゲットの料理。

 

2.2 秩父中央劇場(1877年頃-1969年頃)

所在地 : 埼玉県秩父市秩父市東町1072(1969年)
開館年 : 1877年頃
閉館年 : 1969年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1925年・1927年の映画館名簿では「大宮座」。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1943年の映画館名簿では「大宮座」。1947年・1950年の映画館名簿では「秩父大宮座」。1953年の映画館名簿では「大宮座」。1955年の映画館名簿では「大宮中央劇場」。1958年の映画館名簿では「秩父中央劇場」。1960年の映画館名簿では「中央劇場」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「秩父中央劇場」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「埼玉りそな銀行秩父支店」南東140mにある駐車場。最寄駅は秩父鉄道秩父本線御花畑駅

秩父で最も早く建った劇場は、1877年(明治10年)頃に竣工した大宮座のようです。1927年(昭和2年)の『秩父写真大鑑』には大宮座の写真が掲載されています。戦後には秩父中央劇場に改称し、1969年(昭和44年)頃まで営業していたようです。

(写真)知々父演芸株式会社が経営していた大宮座。『秩父写真大鑑』埼玉写真通信社、1927年。国立国会図書館デジタルコレクション。

 

番場通りの中央部から西に入る路地として天王横丁があります。秩父中央劇場は天王横丁の中央部にあり、現在の跡地は駐車場となっています。はす向かいには古そうな字体で「秩父寫真舘」と書かれた建物がありますが、1930年(昭和5年)の『日本写真年鑑』にはもう秩父写真館の名前が見えます。

(写真)秩父中央劇場跡地の駐車場。左は秩父写真館。

 

2.3 秩父昭和館(1929年頃-1981年秋)

所在地 : 埼玉県秩父市番場町1031(1981年)
開館年 : 1929年頃
閉館年 : 1981年秋
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1943年の映画館名簿では「昭和館」。1947年・1950年の映画館名簿では「秩父昭和館」。1953年・1955年の映画館名簿では「昭和館」。1958年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「秩父東映昭和館」。1973年・1975年・1980年・1981年の映画館名簿では「秩父昭和館」。1982年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は駐車場「番場パーキング」。最寄駅は秩父鉄道秩父本線御花畑駅

番場通りの中央部にある番場パーキングの場所には秩父昭和館がありました。通り沿いは番場町ポケットパークという小広場になっており、「昭和館跡地」というモニュメントが建っています。

(写真)秩父昭和館跡地の駐車場。

(写真)モニュメント「昭和館跡地」。

(写真)昭和館解体直前の姿。

2.4 革進館(1950年-1993年1月17日)

所在地 : 埼玉県秩父市中町17-9(1993年)
開館年 : 1950年
閉館年 : 1993年1月17日
『全国映画館総覧 1954』には開館年が掲載されていない。『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1951年の映画館名簿には掲載されていない。1952年・1953年・1954年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「革進館」。1966年・1969年・1973年・1975年・1978年の映画館名簿では「秩父革新館」。1980年の映画館名簿では「秩父革進館」。1985年・1990年・1993年の映画館名簿では「革進館」。1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「秩父今宮神社」北の「関根接骨院」。最寄駅は秩父鉄道秩父本線御花畑駅

本町通りから西に少し入った場所、秩父今宮神社の北側には革進館がありました。同名の柔道場が母体であり、柔道場の館長だった関根正作が1950年(昭和25年)に開館させた映画館です。鉄筋コンクリート造3階建てで、1階と2階に360席を有する映画館でした。他館とは違って戦後に開館した映画館であり、秩父市で最も遅く1993年(平成5年)まで営業しました。

跡地には関根接骨院が建っており、革進館の最後の館長だった関根正幸が接骨院の経営者となっています。「関根さんは現在も、妻の和子さんと一緒に熊谷市上里町の映画館に足しげく通っている」とのこと。

(写真)革進館跡地に隣接する秩父今宮神社。

(写真)革進館跡地に隣接する秩父今宮神社。

 

2.5 ユナイテッド・シネマウニクス秩父(2022年7月29日-)

所在地 : 埼玉県秩父市上野町805-14 ウニクス秩父内(2023年)
開館年 : 2022年7月29日
閉館年 : 営業中
2022年の映画館名簿には掲載されていない。2023年の映画館名簿では「ユナイテッド・シネマウニクス秩父1-7」(7館)。

(写真)ウニクス秩父photo : あばさー


秩父市の映画館について調べたことは「秩父市の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(埼玉県版)」にマッピングしています。

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