振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

銚子市を訪れる

(写真)飯沼観音の観音堂

2022年(令和4年)11月、千葉県銚子市を訪れました。「銚子市の映画館」に続きます。

 

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1. 銚子市を訪れる

1.1 銚子銀座通りココロード

銚子市街地の中心部には飯沼観音があり、その西側には銚子銀座通りココロード(銚子銀座商店街)が、東側には銚子東銀座商店街があります。現在の銚子銀座通りココロードにはアーケードがなく、銚子東銀座商店街には片側式アーケードがありますが、かつては銚子銀座通りココロードも片側式アーケードを有する商店街だったようです。

(写真)銚子銀座通りココロード。

(写真)銚子銀座通りココロード。

 

銚子銀座通りココロードには、1950年代から1970年代に建てられたと思われる2階建てまたは3階建ての商店が並んでいます。装飾の少ない地味な建物が多く、すでに廃業してしまったと思われる店舗も多いことから、やや不気味な印象を抱きました。

(写真)銚子銀座通りココロード。

(写真)銚子銀座通りココロード。土谷洋傘店と大平萬年堂。

 

1.2 銚子東銀座商店街

銚子東銀座商店街の片側式アーケードはポリカーボネートやトタンの波板でできた簡素なものですが、アーケードがない銚子銀座通りココロードの写真と見比べると、アーケードが通りの雰囲気に大きな違いを与えているのがわかります。商店街中央部の和田町には3階建ての防火建築が2棟あるのが気になります。

(写真)銚子東銀座商店街。

(写真)銚子東銀座商店街。

 

1.3 飯沼観音周辺

戦前から銚子市の盛り場の中心は飯沼観音周辺であり、近代の芝居小屋にルーツを持つ銚盛館や銚子座、昭和になってから開館した愛宕キネマや演芸館がありました。

銚盛館、銚子座(→銚子日活劇場)、演芸館(→銚子スカラ座)は戦後にも営業を続けたほか、戦後には銚子映画劇場、銚子富士館、銚子大映、銚子東映劇場も飯沼観音周辺に開館し、昭和30年代前半のピーク時には7館もの映画館が飯沼観音周辺に集まっていました。

(写真)飯沼観音の仁王門。

(写真)飯沼観音の五重塔

 

(写真)銚港神社。

 

飯沼観音の北側には登録有形文化財の磯角商店があります。1953年(昭和28年)に竣工した廻船問屋の建物であり、和風建築の南側に独特な形で洋館を配置した不思議な印象の建物です。

(写真)磯角商店。

 

3. 銚子市公正図書館

銚子市公生図書館は旧公正會舘のすぐ裏手にあります。千葉県立中央図書館にはない年代の住宅地図『最新住宅明細図 銚子市波崎町版 昭和42年』(東交出版社、1967年)などを閲覧しました。

(写真)銚子市公正図書館。

 

3.1 図書館の館内

(写真)銚子市公正図書館。フロアマップ。

(写真)銚子市公正図書館。一般書の書架。

(写真)銚子市公正図書館。郷土資料。

 

3.2 旧公正會舘

旧公正會舘は大通りに面した場所にあって目立ちます。銚子市を象徴する企業としてヤマサ醤油がありますが、初代濱口儀兵衛によって創業されたのは正保2年(1645年)のことでした。濱口儀兵衛商店として醤油の醸造を行っていましたが、1928年(昭和3年)には濱口梧洞 - Wikipedia(10代濱口儀兵衛)によって株式会社化され、ヤマサ醤油株式会社が設立されました。

濱口梧洞が私財を投じて1926年(大正15年)に建築したのが旧公正會舘です。ヤマサ醤油本社の正面にあり、銚子市公生図書館として使用されていた時期もありました。私が訪れたのは2022年(令和4年)11月ですが、10月に登録有形文化財に登録されたばかりでした。

(写真)旧公正會舘。

(写真)旧公正會舘。

(写真)旧公正會舘。

(左)財団法人公正会の扁額。銚子市公正図書館館内。(右)濱口梧洞の銅像。旧公正會舘建物前。