(写真)宮側町の旧松竹秩父国際劇場付近。
2023年(令和5年)4月、埼玉県秩父市を訪れました。「秩父市を訪れる(1)」からの続きです。「秩父市の映画館」に続きます。
1. 上石商店
秩父市宮側町にある上石商店(かみいししょうてん)は大正時代竣工とされています。袖うだつ、なまこ壁、スクラッチタイル、ステンドグラスと、和風・洋風の装飾が入り乱れていて楽しいです。
(写真)上石商店。
(写真)上石商店。
(写真)上石商店。
上石商店の店舗を建てたのは上石吉三郎だと思われます。1917年(大正6年)の『秩父之精神』によると、1877年(明治10年)に比企郡松山町に生まれた人物であり、24歳だった1901年(明治34年)に秩父郡秩父町に穀屋を開業しています。1910年(明治43年)には秩父郡大滝村強石に支店を設立し、弟の上石喜平に経営を任せたようです。
(写真)上石吉三郎に言及している『秩父之精神』金子綱友、1917年。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧。
こちらは秩父郡大滝村出身の上石喜平に関する文献。1921年(大正10年)の『全国薪炭主要生産地荷主案内誌』によると、秩父町の上石家(上石商店)で見習い奉公した後の1910年(明治43年)に薪炭商として独立しています。上石吉三郎の実弟なのでしょうか。
(写真)上石喜平に言及している『全国薪炭主要生産地荷主案内誌』薪炭新報社、1918年。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧。
1925年(大正14年)の『秩父案内記』によると、上石喜平は1922年(大正11年)に秩父自動車株式会社の社長にも就任しています。
(写真)上石喜平に言及している『秩父案内記』時声社、1925年。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧。
(写真)上石喜平が社長を務めた秩父自動車。『秩父写真大鑑』埼玉写真通信社、1927年。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧。
(写真)大滝村では別格の高額納税者である上石喜平。『埼玉県昭和興信録』博進社出版部、1929年。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧。
戦後の上石喜平は上石石灰工業を経営する傍らで、秩父地域における興行界を席巻する人物でもありました。日本の映画黄金期は昭和20年代末から昭和30年代前半ですが、1960年(昭和35年)の『秩父案内記 3版』によると、秩父市の昭和館、大宮座(→中央劇場)、秩父座(→国際劇場)の3館、高篠村、大滝村、皆野町、荒川村、小鹿野町、吉田町の郡内計6館、大里郡寄居町の高砂座と、計10館の映画館を経営していました。
(写真)上石チェーンの映画館。『秩父案内記 3版』埼玉民論社、1960年。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧。
2. 秩父市本町・宮側町周辺
(写真)本町交差点付近。
(写真)本町交差点付近。
2.1 ほっとすぽっと秩父館
2.2 NIPPONIA秩父門前町
2.3 秩父ふるさと館
(写真)秩父ふるさと館。
2.4 旧新井商店(国登録)
(写真)旧新井商店。
3. 秩父市街地の医院建築
3.1 旧岩田医院
秩父市番場町付近には複数の医院建築が残っています。旧岩田医院は1909年(明治42年)竣工。晴れた日は水色の窓枠と下見板張りが美しいです。
(写真)旧岩田医院。
3.2 旧片山醫院
1910年(明治43年)竣工の旧片山醫院(旧片山医院)は1989年(平成元年)に閉院した医院建築。旧岩田医院と同時期に建てられており、雰囲気も似通っていますが、外壁は水色とピンク色で異なっています。
(写真)旧片山醫院。
3.3 近藤歯科医院(国登録)
1927年(昭和2年)竣工の近藤歯科医院は現役の医院建築。周辺の医院建築では唯一、登録有形文化財に登録されています。ハーフティンバー風のドイツ風。
(写真)近藤歯科医院。
(写真)近藤歯科医院。
(写真)近藤歯科医院。
3.4 名称不明の建物
秩父市本町2-1にも医院建築のような建物がありました。
(写真)名称不明の建物。
(写真)名称不明の建物。
4. 秩父市街地の銭湯
4.1 たから湯
秩父市には2軒の銭湯が現役です。秩父市道生町のたから湯は1936年(昭和11年)創業。
(写真)たから湯。
4.2 クラブ湯
(写真)クラブ湯。
(写真)クラブ湯。
5. 矢尾百貨店
(写真)矢尾百貨店。
(写真)矢尾百貨店。
(写真)矢尾百貨店。
(写真)矢尾百貨店。