(写真)さげもん。
2023年(令和5年)2月、福岡県柳川市を訪れました。かつて柳川市街地には映画館「柳川公楽劇場」、「柳川東宝劇場」、「白秋座」(柳河座)、「スバル座」があり、やや離れた沖端地区には「沖端座」がありました。「柳川市立図書館を訪れる」からの続きです。
1. 柳川市の映画館
かつて柳川市街地には映画館「柳川公楽劇場」、「柳川東宝劇場」、「白秋座」(柳河座)、「スバル座」があり、やや離れた沖端地区には「沖端座」がありました。柳川市街地にあった4館はいずれも京町通り沿いか、京町通りから分岐する路地沿いに位置していました。
(写真)1953年の柳川市における映画館と劇場。『柳川年鑑 1953年』同盟通信社大牟田支局、1953年。
(写真)柳川市に5館が掲載されている『映画便覧 1963』時事通信社、1963年。実際には白秋座の所在地は柳川市ではなく山門郡三橋町。
(写真)1962年の航空写真における柳川市街地の映画館。地図・空中写真閲覧サービス
1.1 沖端座(1931年以前-1966年頃)
所在地 : 福岡県柳川市矢留本町21(1966年)
開館年 : 1931年以前
閉館年 : 1966年頃
1951年の映画館名簿には掲載されていない。1952年の映画館名簿では「沖ノ端」。1953年・1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「沖端座」。1960年の映画館名簿では「沖端映劇」。1963年の映画館名簿では「沖端座」。1966年の映画館名簿では「柳川沖端座」。1967年の映画館名簿には掲載されていない。
1.2 スバル座(1951年頃-1970年代初頭)
所在地 : 福岡県柳川市片原町(1970年)
開館年 : 1951年頃
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1951年の映画館名簿には掲載されていない。1952年の映画館名簿では「国際映画劇場」。1953年の映画館名簿では「国際劇場」。1955年の映画館名簿では「柳川国際劇場」。1958年の映画館名簿では「柳川スバル東映」。1960年の映画館名簿では「スバル座」。1963年の映画館名簿では「柳川東映」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「柳川スバル東映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は洋菓子店「ケーキのカトウ」や青果店「広川屋」を含む数軒分の敷地。最寄駅は西鉄天神大牟田線西鉄柳川駅。
柳川市街地にあった4館の映画館のうち、最も早く閉館したのがスバル座です。1951年(昭和26年)の開館当初は国際映画劇場という名称でした。1950年(昭和25年)の『日本商工業別明細図』を見ると京町通りが辻町交差点で終わっていることから、京町通りの西方への延伸と同時に開館したことが分かります。
(写真)昭和20年代の柳川国際劇場。『南筑後の昭和』樹林舎、2015年。
柳川市街地にあった4館の映画館のうち、スバル座の跡地だけは図書館での文献調査で判明しませんでした。そこで敦坂酒店の店主に話を聞くと、
「スバル座は辻町の信号と鍛冶屋町の信号の間にあった。通りの南側である。建物は東西に長く、奥行は現在もある路地までだった。跡地は分割されて、ケーキのカトウから広川屋製菓店まで数軒分の建物となっている」
とのことです。通りから奥に向かって細長い敷地ではなく、通りに面して建物の側面があったようです。
(写真)スバル座跡地。写ってる範囲ほぼすべて。
(左)スバル座跡地の一角にある広川屋。(右)スバル座跡地の一角にあるケーキのカトウ。
1.3 白秋座(1954年9月-1970年代初頭)
所在地 : 福岡県柳川市三橋町藤吉(1970年)
開館年 : 1930年以前(柳河座)、1954年9月(白秋座)
閉館年 : 1970年以後1973年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1954年9月開館。1930年の映画館名簿では「柳河館」。1936年・1943年の映画館名簿では「柳河座」。1950年・1951年の映画館名簿では「大天地」。1952年の映画館名簿では「柳河大天地」。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「白秋座」。1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「白秋座」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「柳川白秋座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「リブレックス柳川」。最寄駅は西鉄天神大牟田線西鉄柳川駅。
戦前に開館した柳河座は、戦後の映画館名簿には大天地として掲載されており、1954年(昭和29年)には白秋座となっています。
(写真)戦前の柳河座。『柳川今昔』柳川青年会議所、1981年。
(写真)柳河大天地と柳河映画劇場が描かれている『日本商工業別明細図』東京交通社、1950年。柳川市立図書館所蔵。
白秋座の跡地には2014年(平成26年)竣工の12階建てマンションが建っています。2005年(平成17年)まで山門郡三橋町だった場所ですが、映画館名簿では2005年(平成17年)以前も柳川市三橋町と誤った住所で掲載されています。
(写真)白秋座跡地のマンション。
1.4 柳川東宝劇場(1951年3月-1974年頃)
所在地 : 福岡県柳川市横山町6-1(1974年)
開館年 : 1951年3月
閉館年 : 1974年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年3月開館。1950年・1951年の映画館名簿では「柳河映画劇場」。1952年の映画館名簿では「柳河映劇」。1953年の映画館名簿では「柳川映劇」。1955年の映画館名簿では「柳川映画劇場」。1958年の映画館名簿では「柳川劇場」。1960年の映画館名簿では「柳川映劇」。1963年の映画館名簿では「柳川東宝映劇」。1966年・1969年・1973年・1974年の映画館名簿では「柳川東宝劇場」。1975年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はアパート「フォルツァ弐番館」。最寄駅は西鉄天神大牟田線西鉄柳川駅。
京町通りの北にある横山町にあったのが柳川東宝劇場(柳川映画劇場)です。『全国映画館総覧 1955』によると開館年は1951年(昭和26年)3月とのことですが、戦前の地図にも同一地点に劇場が描かれています。
(地図)柳川東宝劇場の場所に「劇場」が描かれている『柳河町及近郊地図』柳川町商工会、1931年。柳川市立図書館所蔵。
(地図)柳川東宝劇場の場所に「劇場」が描かれている『柳河町及附近交通案内地図』吉村新郎、1937年。柳川市立図書館所蔵。
(写真)柳河大天地と柳河映画劇場が描かれている『日本商工業別明細図』東京交通社、1950年。柳川市立図書館所蔵。
跡地には長らく農林水産省福岡食糧事務所柳川支所の建物があったようですが、2018年(平成30年)には2棟のアパートが建ちました。
(写真)柳川東宝劇場跡地のアパート。
(写真)柳川東宝劇場が面していた通り。左の駐車場が跡地。
(左)京町通りから柳川東宝劇場に向かう通り。(右)老舗うなぎ店の元祖 本吉屋。
1.5 柳川公楽劇場(1958年頃-1985年頃)
所在地 : 福岡県柳川市本町3-2(1985年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1985年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の映画館名簿では「柳川公楽」。1960年の映画館名簿では「テアトル公楽」。1963年の映画館名簿では「柳川公楽」。1966年・1969年の映画館名簿では「柳川日活公楽」。1973年・1975年・1980年の映画館名簿では「柳川日活公楽劇場」。1985年の映画館名簿では「柳川公楽劇場」。1986年の映画館名簿には掲載されていない。柳川市最後の映画館。跡地は「柳川よかもん館」南40mにある空き地。最寄駅は西鉄天神大牟田線西鉄柳川駅。
柳川市で最後まで営業していた映画館は柳川公楽劇場です。福岡県立伝習館高校の東、柳川よかもん館の裏手というわかりにくい場所にありました。
(写真)公楽映画館が描かれた1982年の住宅地図。福岡県立図書館所蔵。
敦坂酒店の店主によると、柳川公楽劇場があった場所は経営者がまだ敷地を所有しているとのことで、ゴルフのパット練習場所が設置されています。1000館以上の映画館跡地について跡地の利用方法を見てきましたが、経営者が売却した敷地にマンションなどが建つか、経営者が敷地を所有したまま有料駐車場などに転用される場合が多いため、経営者の趣味の場として活用されている例は珍しいです。
(写真)柳川公楽劇場跡地のゴルフ練習場。
柳川市にあった映画館について調べたことは「福岡県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(福岡県版)」にマッピングしています。